「おお、今日は赤穂浪士の討ち入りの日だぞ。」
「なんすか、それ?」
今日会社で、そういってカレンダーを見てそう言ったら、若い社員にそう言われました。
そうか。
平成生まれの若者は、もうすでに忠臣蔵を知らないというわけか。
ちょっと遠い目になってしまいました。
時は元禄15年12月14日。
江戸は、本所吉良邸に、亡き主君浅野内匠頭の無念を晴らすべく、元播磨赤穂藩国家老の大石内蔵助以下四十七人の赤穂浪士たちが討ち入り。
吉良上野介の首をとって、亡き主君の墓前に供えた事件。
これが、世に言う忠臣蔵ですね。
徳川の時代になって、世は天下泰平。
武士たちも、公務員化、サラリーマン化していく中で、主君の仇を取ると言う、このあまりにも武士然とした赤穂浪士たちの行動は、当時の江戸市民たちの間では拍手喝采。
しかし、お上の裁きは、江戸の風紀を乱すとして、四十七士全員切腹。
この悲劇性も加わり、忠臣蔵のストーリーは、人形浄瑠璃や歌舞伎、そして映画テレビと受け継がれて現代に至るわけです。
とにかく、日本人は、忠義が大好きな国民でした。
映画文化華やかし頃は、忠臣蔵といえば、オールスター映画の定番。
松竹の喜劇映画にも「サラリーマン忠臣蔵」なんてありましたね。
英語で言えば、ロイヤリティということになりますが、この精神は、戦後は終身雇用前提だった会社への忠信という形で、あの高度成長期の日本を牽引してきた精神的支柱になっていたことは疑いのないところ。
しかし、今はどうでしょう?
会社への忠誠を誓っているサラリーマンがどれだけいるでしょうか。
会社のために、命を張れるサラリーマンがどれだけいるでしょうか。
特に若い世代を中心に、「会社への忠誠心」という言葉自体が、だんだんと死語になりつつある気がします。
考えてみれば、それもそのはず。
正規社員を採用せず、非正規雇用で、用無しになればいつでも切れる派遣社員を多用しているような企業体質では、会社への忠誠心が生まれる道理がありません。
忠臣蔵のマインドなんてものは、今の若者にとっては、いまやナンセンスそのものかもしれません。
経営者に、忠誠を尽くすサラリーマンが、果たしてどれだけ残っているか。
こうやって書いてきてふと思いました。
平成も終わろうとしている今の世の中で、組織に対して、一番忠誠を誓っているのは案外霞が関の官僚たちではなかろうか。
先日の森友学園の国有地取引をめぐる決算文書改ざん問題で、証人喚問された佐川前国税庁長官。
彼の証人喚問を聞いていて、これは痛烈に思いましたね。
彼は金子委員長からの質問に対し、明らかに全てを知っている立場であるにもかかわらず、「告発を受けている身」「捜査を受けている身」「刑事訴追を受ける恐れがある」と、核心に関わる質問には終始証言拒否。
まあ、かっこ悪いやら、みっともないやら。
国税庁長官まで務めたエリート中のエリートが、あの場でああいう無様な発言はないだろうとも思いましたが、彼はあの場では、プライドも何もかも捨て、あれに徹したんですね。
もちろんそれは、時の安倍政権を守るために他なりません。
まさに、それは、安倍総理にとっては、忠義そのもの。
平成の忠臣蔵です。
「うい奴じゃ。よきにはからえ。」
彼が、安倍総理にそう言われたかどうかは知りません。
しかし、それをすることが、彼自身の保身にもなっていたことは明白。
つまり、ここで、時の政権に恩を売っておけば、後々の自分への大きな見返りにも大きく影響する。
要するに、天下り先ですよ。
これを確保するためには、あの場でたとえどんな屈辱的な答弁でも、それをする価値は十分にある。
東大出身の彼の脳裏には、そんな計算結果だけは出ていたのかもしれません。
さて、どうです?
この平成版忠臣蔵は、映画やドラマになりそうですか?
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