「『十角館の殺人』はまさに日本ミステリ界のマイルストーンでした。
それを皮切りに、法月綸太郎、有栖川有栖、我孫子武丸など錚々たる才能が日本ミ ステリ界に登場し、松本清張の活躍以来、縮小の一途をたどっていた本格ミステリの人気が一気に爆発して、新本格ムーブメントが起きたんですから」
本作は、ミステリーの解説書ではないコテコテの本格ミステリーです。
その中で、こうして日本の本格ミステリー誕生のリアルな経緯が説明されるわけです。
こちらは、中学高校時代に、松本清張や横溝正史、森村誠一のミステリーを読み漁ってからは、平成時代まるまるミステリーから遠ざかり、定年退職後になって、再びミステリーにハマっているという老人です。
そのまるまる抜け落ちた部分を、評論家ではなく、ミステリーの登場人物からご指導を仰ぐというのはなんとも不思議な気分。
ミステリーの愛好者でもある作者から、本作を通じてこう教えられているような気分でしたね。
「あなたが知らないうちに、日本のミステリーは、海外の古典本格ミステリーの伝統を損なうことなく、独自の進歩を遂げ、今や大輪の花を咲かせていますよ。」
まさにそうでした。
そして、本作自体が、その大輪の花となる極上のミステリーになっているわけですから、もう平身低頭です。
新本格ムーブメントだけではありません。
作者は、そこに至るまでの先達へのリスペクトも忘れていません。
少々長くなりますが、本作のトリックとは関係ない部分ですのでまるまる引用します。
「ただ、『十角館の殺人』で新本格ムーブメントが爆発する土壌を作ったのは、島田荘司なのは間 違いないでしょう1981年に刊行されたデビュー作『占星術殺人事件』は多くの本格ミステリ ファンを魅了しました。綾辻行人もその一人だったはずです。また島田荘司は自らも「斜め屋敷の 犯罪』や『暗闇坂の人喰いの木』などの名作を生み出す一方、綾辻行人、法月綸太郎、歌野晶午な ど新本格ムーブメントを担う若手作家を世に送り出しています。島田荘司がいなければ『十角館の 殺人』も生まれることなく、新本格ムーブメントも起こらなかったのではないでしょうか。また新本格ムーブメントを仕掛けた宇山日出臣、戸川安宣などの編集者の功績も忘れてはなりません。もちろん、鮎川哲也など、本格ミステリ不遇の時代を支えてきた・・・」
いやいや、作者のミステリー愛がこぼれ落ちそうです。
作家だけでなく、編集者にも実名で言及しているあたりはファンとして涙が出そうなところ。
ある意味では、我が国だけではない、180年に及ぶ世界のミステリーの総括といっても過言ではないくらいの価値が本作にはあるかもしれません。
とにかく、過去のミステリーの名作が、実名でこれでもかと登場します。
僕が読んでいる本も相当数あって、これを読んでいるのと、読んでいないのとでは、物語の理解度が違ってくるという仕掛けになっています。
僕が読んでいたミステリーは半分ほどでしょうか。
未読のミステリーがあったのが悔しいくらいでした。
老後の楽しみに、今後もミステリーは読んでいくつもりです。
しかし、世界に星の数ほどあるミステリーを全て読めるわけはありません。
その意味では本作は、極上の作品を教えてくれる格好のガイド・ブックにもなっておりました。
ミステリー・ファンなら、絶対にチェックしてみてください。
個人的に、今後の読書の参考にするため、本作に登場したミステリーは、しっかりとメモしましたので、ここで紹介しておきます。
もしも、これらをこれらの作品をすでに読んでいらっしゃる方は、そのミステリーが、本作のどんな場面で登場するのかを是非楽しんでみてください。
すべて、その内容がストーリーとリンクしています。
「ねじれた家」アガサ・クリスティー
「Yの悲劇」エラリー・クイーン
「毒入りチョコレート事件」アントニー・バークリー
「火刑法廷」ディクスン・カー
「モルグ街の殺人」エドガー・アラン・ポー
「まだらの紐」コナン・ドイル
映画「ナイブズ・アウト」
BBCドラマ「忌まわしき花嫁」
映画「ローラ殺人事件」
ドラマ「刑事コロンボ」シリーズ
「三つの棺」ディクスン・カー(第17章密室の講義)
「名探偵の掟」東野圭吾
「アクロイド殺人事件」アガサ・クリスティ
「そして誰もいなくなった」アガサ・クリスティ
「十角館の殺人」綾辻行人
「屍人荘の殺人」今村昌人
「パディントン発4時50分」アガサ・クリスティ
「鏡は横にひび割れて」アガサ・クリスティ
「火曜クラブ」アガサ・クリスティ
「空飛ぶ馬」北村薫
「ビブリア古書堂の事件手帖」三上廷
「珈琲店タレーランの事件簿」岡崎琢磨
「オリエント急行殺人事件」アガサ・クリスティ
「占星術殺人事件」島田荘司
「エジプト十字架の秘密」エラリー・クイーン
「焦茶色のパステル」岡嶋二人
「斜め屋敷の犯罪」「暗闇坂の人喰いの木」島田荘司
「時計館の殺人」綾辻行人
「探偵が早すぎる」井上真偽
「りら荘事件」鮎川哲也
「キングを探せ」「11枚のトランプ」「トランプ殺人事件」法月綸太郎
「踊る人形(シャーロック・ホームズの帰還)」コナン・ドイル
「狙った獣」マーガレット・ミラー
「数字を1つ思い浮かべろ」ジョン・バードン
「仮題・中学殺人事件」「9枚の挑戦状」辻真先
「最後のトリック」深水黎一郎
「神様ゲーム」麻耶雄嵩
さて内容です。
実は、本作で展開される連続殺人事件は、あまりにミステリーのテンプレートに沿ったもので、物語冒頭は正直リアリティが感じられませんでした。
本作は、あくまでフィクションとしてお楽しみくださいと最初から言われているような展開なんですね。
もちろん、それならそうで、こちらもそういうモードにスイッチを切り替えて、楽しませてもらいましょうと頭の中を整え直します。それもまた正しいミステリーの楽しみ方というもの。
しかし、そのいかにも古典ミステリー然とした事件の合間に、自分の知っているリアルなミステリー小説の情報などが挟まってくると、そのうちこちらは現実とフィクションの境目が怪しくなってくるんですね。
確かに「十角館の殺人」などにも多少そういった表現は多少出てきましたが、ここまで意識的に、リアルな現実世界を小説内にぶち込んでくるミステリーははじめてでした。
そして、これを巧みに利用したミステリーを、メタミステリーということも、実は本作で知ることとなります。
このロートルが知らぬ間に、いつのまにか、そういうミステリーの分野が確立されていたようで、実はそんなこととはつゆ知らず読んだ過去の作品の中にも、このジャンルに含まれる作品はありました。
本作ほど明快なものはありませんでしたが、例えば叙述ミステリーなどは、ある意味ではこの分野に含まれてもいいミステリーかもしれません。
メタ・ミステリーは、つまり物語世界と現実世界の境界を意識的に取っ払うという手法です。
これは一歩使い方を間違うと、ミステリー・マニアたちの顰蹙を買うことにもなりかねませんが、上手に使えば、物語は俄然面白くなります。
例えば、本作にはこんなセリフが登場します。
「私は綾辻行人になりたかったんだ。」
これを、ご本人が読んだらどんなリアクションになるのか。
そんなことを考えるだけでもニンマリです。
こんなのも出てきました。
「だからこそ君は、ハンニ バル・レクターでも真賀田四季でもなく、自らをモリアーティに見立てているんだよ」
ハンニバル・レクターは、ご存じ「羊たちの沈黙」に登場するインテリ殺人鬼。
真賀田四季は、最近読んだばかりの森博嗣のデビュー作「すべてはFになる」に登場する美貌の天才殺人鬼。
このキャラは、後に単独でシリーズ化もされています。
モリアーティは、もちろんシャーロック・ホームズの宿敵。
最後は一緒にホームズと共に滝に落ちて絶命します。
知っていれば、その分このセリフが何倍にも楽しめるという仕掛けです。
いや、たとえ知らなくても、これがメタ情報だとわかっていれば、スマホで検索すれば学習することも可能、
要するに、物語の情報が、次元を飛び越えてくる感覚は、それを知っているミステリー・ファンであればあるほど楽しくなるというわけです。
思わず本作のメタ・ミステリーとしての魅力ばかり語ってしまいましたが、もちろんそれだけではありません。
本作には、本格ミステリーとしての仕掛けも、二重三重に張り巡らされています。
この物語は、ミステリーを愛する大富豪の呼びかけで、地上11階・地下1階の「硝子の館」に集まった刑事、霊能力者、小説家、料理人など、個性的なゲストたちが繰り広げる謎解きと殺人事件を描いています。
物語を引っ張っていくのは、この富豪に殺意を抱いている医者と、自称名探偵と豪語するエキセントリックな男装の美女。
物語の舞台となる「硝子の館」は、長野県の北アルプスに位置し、13年前に起きたスキー場での暴行事件と関連する過去の事件が絡み合います。
ゲストたちは次々と起こる殺人事件に巻き込まれ、13年前の事件の真相が解き明かされていきます。
.まあまあ、とにかくその絵に描いたようなクローズド・サークルの舞台設定。
そのままアニメがRPGゲームにでもなりそうな立ったキャラ設定。
そして、硝子の塔で展開されるのは、趣向の凝った「ザ・密室殺人」。
なんといっても、この連続殺人を解明していく名探偵女子のなんとアニメチックなことよ。
彼女のこんなセリフがありましたね。
「犯罪現場は刺身のようなものです。」
「名探偵に常識を求めるなんて、それこそ非常識。」
いや、もちろんいいんです。
ミステリーの基本はなんといってもエンターテイメント。
こちらが納得出来る範囲で面白ければ、リアルすぎて面白くないミステリーよりはなんぼかましというもの。
多少謎解きが雑であろうと・・・・犯人の目星がついてしまいそうでも・・・
正直そんな思いも抱きながら、名探偵女史の謎解きのパートまで読み進めていきます。
まあ、これで大円団でも、一応は納得ラインには達していたという感想です。
そこで、ふと気になって、本書の残りページを確認するわけです。
すると、まだたっぷり物語が展開できるくらいのページが残っているんですね。
おや? これで終わりではないのか。
まさに、映画ならここでエンドロールでもおかしくないというようなシーンが訪れます。
ところが、そこからの怒涛の大どんでん返しがまさに圧巻。
確かに、いくつかの謎は説明なしのまま残っていたことは気が付きました。
しかし、そこからの展開は、その謎の解決ばかりではありませんでした。
驚くべきは、そこまでこちらとしては消化不良だった部分も含めて、見事にひっくり返されていくんですね。
仕込まれた伏線やロジックに破綻はありませんでした。
これぞまさに「ザ・大どんでん返し」。
おもわず、「ごめんなさい! 舐めてました」と反省するのみ。
作者は、本作の読者が、ある意味この名探偵女史の「謎解き」パートに、多少の不完全燃焼を感じているところまでをしっかりと計算に入れていましたね。明らかに確信犯でした。
ミステリー・ファンの思考回路を辱知しているあたりが実に憎らしい。
知念実希人恐るべし。
とにかく、この複雑に過去の事件とも絡まる、まるでDNAの螺旋構造をようなブロットを巧みに構築して、密室トリックあり、暗号トリックあり、アリバイ崩しありのトリックてんこ盛りで、雪中にキラキラと輝く硝子の塔のような極上のミステリーを仕上げた作者の筆力にはただ脱帽するのみ。
日本ミステリーの金字塔は、まさに硝子の塔だったと申し上げておきます。
最後に、個人的に一つだけ残った謎があるのですが、これが分かる人がいたら是非教えていただきたい。
「なるほど、探偵役が犯人というわけですか。なかなか面白い。けれどミステリ小説では、そのトリックはすでに様々な作品で使われていて、よほどうまく使わない限り読者に驚きを与えられない んですよ。そうですね、まず思いつくのはレー・・・・・」
この後に続く作品名はなんだ!?