WOWOWでオンエアがあった時に録画し損ねて以来、常に「見たい映画」リスト上位にラインナップされていた本作を、なんとYouTubeで発見。
しかも課金なしで見れたのでラッキーでした。(違法なのかな?)
クラシック映画好きな映画ファンとしては、録画漏れしているような作品に、こうやって時々出会えるので、YouTubeもなかなか侮れません。
陸軍中野学校は、戦前から戦中にかけて、実際に存在した日本帝国陸軍のスパイ養成所の名称です。
僕らの世代で、この名前が深く焼き付けられたのは、1974年のこと。
日本陸軍少尉だった小野田寛郎さんがフィリピンのルバング島で発見された事件があったんですね。
この小野田少尉が、陸軍中野学校の出身者だったというわけです。
彼は、終戦を知ることなく、ジャングルの奥地に潜伏。
次々と仲間が倒れていく中、最後にはたった一人になっても、遊撃戦を続行していました。
小野田さんは、ある日本人青年との接触をきっかけに、その存在がクローズアップされ、まだ存命だった直属の上司からの任務解除命令を受けることで投降。
終戦から29年後に、やっと小野田少尉の戦争は終わりました。
その彼が日本に帰国した時のマスコミの熱狂ぶりは、子供心にもよく覚えています。
そして、忘れられないのが、その時の彼の凛とした佇まいと、その鋭い眼光です。
どしてそれが印象的だったか。
実はこの2年前にも、グァム島で発見された元日本軍の兵士がいたんですね。
横井正一軍曹です。
比較するのは失礼かもしれませんが、この時の彼は、小野田さんに比べると、正直申してかなりくたびれていました。
「恥ずかしながら帰って参りました。」という彼の帰国の弁はよく覚えてます。
しかし、よくよく考えてみれば、人としては横井さんの方が正常な気がします。
極度の緊張が強いられる孤独なジャングル生活を長く続ければ、常識で考えて普通でいられるはずがありません。
あまりにカクシャクとした、小野田少尉の方が異様だったんですね。
では両者の差がどこにあったのか。
そこで大きくクローズアップされることになったのが、陸軍中野学校です。
そこでは一体どんな訓練が行われていたのか。
もちろん、スパイ養成学校ですから、その訓練内容は、実在当時は秘密のベールの中。
これを、「週刊サンケイ」に実録ものとして連載された原作をベースに映画化されたのが本作だったわけです。
もちろん映画ですから、フィクションの要素も多分にあるわけですが、中野学校の内容は、かなり原作や史実に忠実だったようです。
映画が公開されたのは小野田少尉の生還から、8年前のことでした。
時代劇スターだった市川雷蔵が、髪を七三に分けた凛々しい青年将校椎名次郎を演じた本作は、シリーズ化され、全5作が公開されていますね。(全作YouTubeで鑑賞可能)
鑑賞した映画ファンも多かったと思います。
とにかく興味深いのは中野学校のカリキュラム。
各国言語や、政治学、武術、航空機の操縦だけでなく、諜報において必要な技術 として、変装、ダンス、更に金庫破りや窃盗術、さらには、女性を虜にするベッド・テクニックまでもがまでもが教授されていました。
映画前半は、このスパイ養成学校に招集された青年たちが、スパイ活動に必須なスキルを一年という短期間で習得していく過程を描いた異色青春学園ものというような展開。
言ってみれば。「ハリー・ポッター」シリーズの軍隊版と言ったところ。
しかし、そこは大映作品です。
そこに東宝や日活の青春映画のような爽やかさは微塵もありません。
自殺者が出だり、学校の名誉を傷つけた仲間に自殺を強要したりと、相当に重苦しい展開です。
後半は、卒業試験がわりとなる実地訓練。
イギリス大使館の金庫に眠る暗号用のコードブックの中身をコピーしてくるというミッションを、椎名を含む中野学校の成績優秀者3名が実行していくという展開。
そして、陸軍に招集されてから連絡の途絶えた椎名の行方を探すため、参謀本部の英文タイピストになる婚約者雪子を演じるのが小川真由美です。
しかし、彼女は椎名が軍隊内で死んだ事を知らされ、その動揺の中で、イギリスのためのスパイ活動に手を染めてしまいます。
それを知った椎名は・・
この辺りのクールな市川雷蔵の演技は、やはり当たり役眠狂四郎に通じるところがありますね。
中野学校の校長草薙中佐を演じたのは加藤大介。
Wiki してみると、中野学校の創始者の中に、秋草俊という中佐がいたので、おそらくこの人がモデルだと思われます。
この草薙中佐が、生徒たちに向かって言うことがシビれます。
諸君は、汚く卑怯ともいえる諜報活動を行うこととなるからこそ、「至誠」の心を強く持て。
007シリーズの大ヒット以来、世界中で火がついたスパイ映画ムーブメントの潮流に乗って本作が作られたことは間違いありませんが、明らかにこの辺りが多くのスパイ映画とは一線を画す、大映作品ならではのテイストになっています。
生まれも育ちも、自分たちとはまるで違う異国の文化に溶け込み、互いの理解を深めながら任務を遂行するからこそ、必要になるのは「誠の心」だというわけです。
ジェームズ・ボンドは、決して真心などとは言いませんね。
実は草薙中佐には諜報員の理想とする人物がいました。
日露戦争の時に、諜報員としてロシアに潜伏し、革命勢力と手を組んで、ロシアを内側から揺さぶって継戦意欲を削ぐことに大きく貢献した伝説のスパイが明石元二郎中佐です。
Wiki してみたら、きちんと実存した人でした。
革命前夜のロシアに渡り、指導者レーニンの神輿を担ぎ、その革命勢力への武器調達のために、日本政府からの資金供与を仲介したりと、彼の活躍は八面六臂。
ロシア革命初期の「血の日曜日事件」や「戦艦ポチョムキンの反乱」にも、明石中佐の諜報工作が関与していると言われていますね。
その成果は圧倒的で、彼の活躍は、兵士20万人の兵力に相当するとも、10個師団に相当するとも形容されるほど。
その活躍は、ロシア側も認めるところとなり、情報戦、諜報活動の重要さを思い知ったロシアは、スパイ養成に力を注ぐようになります。
革命達成後、ソ連になってからは、KGBを創設し、今でも多くのスパイを世界各国の中枢に送り込んでいます。
ちなみに、現ロシア大統領のプーチンもKGB出身ですが、ソ連のスパイとして、歴史上最も有名なのはミヒェル・ゾルゲ。
この人は、戦前の日本に、ドイツ特派員として潜入し、日本の軍事機密をモスクワに送り続けた人物です。
最後はその諜報活動が日本側にバレて、戦後になって日本で処刑されています。
これが有名なゾルゲ事件。
彼の命懸けの諜報活動は、後年本国では再評価されることになり、今では祖国の英雄として、スパイとしは異例な銅像まで建てられています。
一方で明石中佐は、その活躍にも関わらず、情報将校軽視の陸軍体質が根強かったため、熊本に左遷されたりと、出世面ではかなり冷遇されています。
諜報活動や情報戦による勝利を潔しとしない日本軍の傾向は、後の大戦における敗北へとつながり、しいては、現在の国際社会においても、大きく先進諸国の後塵を拝していく遠因にもなっていることは周知の事実。世の中、何事も綺麗事だけでは済まないわけです。
様々な政府の不祥事の尻拭いをさせられている哀れな日本の官僚たちを見るにつけ、我が国の深刻な人材不足に絶望的な思いにさせられる昨今ですが、そんな彼らにこそ必要なのが、実践的な陸軍中野学校のカリキュラムかもしれません。頭がいいだけでは、国は動かせません。
せめて、外交官くらいには、中野学校イズムを、びっしりと叩き込んでもらいたいものです。
そうすれば、北朝鮮の拉致問題も、北方領土交渉も、もう少し前進していたかもしれませんね。
もちろん、何よりも学習してもらいたいことは、国民に対する「至誠」の精神であることは、いうまでもありません。
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