1915年に発表された、文豪夏目漱石のエッセイです。
「青空文庫」からダウンロードいたしました。
今から、100年以上も前のエッセイですが、かなり共感できて驚きです。
当時の学習院大学の学生たちに講演した内容を、一冊の本にしたものです。
言ってみれば、これから日本のエリートとなっていく学生たちに向けた、漱石渾身の人生訓ですね。
自分の道を見つけられず、不本意のまま教師の職についていた若き日の漱石は、ロンドンへの留学を命ぜられ、本場の英文学を学ぶ機会を得ますが、そこでも彼は壁にぶち当たり、重度のノイローゼになってしまいます。
胃潰瘍になるくらいのフラストレーションを抱えた漱石は、悩みに悩んだ末、最終的に自ら文学の道を切り開くしかないという境地に達したわけです。
そして、帰国後に、小説家になろうと決意した漱石は、教師の職を辞し「吾輩は猫である」の執筆にとりかかり、この成功をとっかかりに文豪への道を歩み始め、最終的には、千円札の顔にまでなるわけです。
その人生の最晩年に、夏目漱石が提唱した「私の個人主義」には、個人の自己実現や自己表現が重要であることが述べられていますが、同時に、権力や金力を持つ者に対してのあるべき姿について説かれていて、これに関しては、明治の時代も今も変わらないのだなあと思わず納得した次第。
漱石は、この先の人生で、貧乏な庶民よりは、はるかに高い確率で、その両方を持つことになると思われる学習院大学の学生たちに対して、あらかじめ釘を刺したわけです。
夏目漱石は、「権力と金力を持つ者は、自己中心的な行動をしてはならない」と主張しています。
彼は、権力や金力を持つ者は、これを持つ者の責任と義務として、社会のために尽くすことが重要であり、自己中心的な行動を取ることは許されないと説きます。
なんだか、現政権の色々な政治家たちや、彼らを取り巻く官僚たちの顔がチラついて来ますね。
まして漱石は、権力や金力を持つ者が、常に自分自身を客観的に見つめ、自己成長することも求めています。
要するに、権力や金力を持つ者は、社会に貢献するために、自分自身を高め、自己成長をしていくことが必要であるというわけです。
ないなあ。これは。今の政治家の皆様たちには。
岸田総理に至っては、「あなたはどうして、総理を目指したのですか」という質問に、こう答えていましたよ。
「それは、総理大臣が、日本の最高権力者だから。」
漱石がそれを聞いたら、どんな顔をするか。
漱石は、そこからが自己成長のスタートだと言っているのに、この人は、その権力こそが魅力なんだとおっしゃるわけです。
そうなれば、あとは、もうそれを濫用する絵しか見えてきませんね。
この人の物言いには、国民のことなどまるで眼中にないことが透けて見えてしまいます。
もちろん、夏目漱石が「私の個人主義」において述べた権力や金力を持つ者への戒めは、100年の時を経て、現代社会においても十分に通用する内容です。
漱石は、本書の中で、完璧に今の日本の政治を予見していますね。
「もし人格のないものがむやみに個性を発展しようとすると、他を妨害する、権力を用いようとすると、濫用に流れる、金力を使おうとすれば、社会の腐敗をもたらす。」
いやはや、金之助(漱石の本名)お見事という感じ。
現実の政治家や官僚たちの中には、権力や金力を自己の利益のために濫用するケースが、頻繁に起こりすぎていて、国民は次第にそれに麻痺している気配さえあります。
個人主義と、利己主義は違うのだよと、漱石に怒られそうですね。
漱石は、明治時代に西洋文化が押し寄せ、日本古来の文化が後退していく中で、周囲が自分に期待するものを受け入れ切れずに苦悩していました。
彼は、自分の内面と外界との間に葛藤を感じており、その中で自分自身と向き合い、最終的には、「我が道をいく」という活路を見出すわけです。
胃潰瘍になる程苦悩した末に、漱石は自分自身の個人主義を確立しました。
彼の個人主義とは、周囲から期待されることや、他者の意見に左右されることがなく、自分自身の信じる道を進むこと。
そして、それと同じくらいに大切なことは、自分の個人主義を貫くためには、他人の主義主張も、同じように認める度量が不可欠だということ。
漱石は、これを繰り返し述べています。
「第一に自己の個性の発展を仕遂げようと思うならば、同時に他人の個性も尊重しなければならないという事。
第二に自己の所有している権力を使用しようと思うならば、それに附随している義務というものを心得なければならないという事。
第三に自己の金力を示そうと願うなら、それに伴う責任を重じなければならないという事。つまりこの三カ条に帰着するのであります。」
しかし、この後の日本は、残念ながら戦争に向かって舵を切り、個人主義などもっての他という時代に突き進んでいくわけです。
個人主義を貫けば、何事も自分で考えなければいかず、もちろん、それに伴う責任も背負うことになります。
多少窮屈ではあっても、全体主義の中に身を置く方が、何も考えなくていい分、案外楽なのかもしれません。
少なくとも、胃潰瘍にはならないかも。
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