マイナビ提供の「就農FEST」に参加したのが、8月4日のこと。
そこの福島県飯舘村のブースで、このバスツアーを紹介されました。
チラシは持って帰ったのですが、その後役場の担当の方からも再度お誘いのメールを頂き、本日のこのツアーに参加した次第。
集合場所は、福島駅西口バスターミナル。
仙台、神奈川、千葉、埼玉から集まった参加者は7名。
これに対して、福島県職員、そして相双地域各村役場農政課、そしてマイナビ関係の方は、ほぼその倍。
これは予想していなかったので、のっけから圧倒されました。
移住希望者、就農希望者へのウェルカム・バイアスが半端じゃない。
「今日は是非楽しんでもらえれば結構です。」
そう言っている目が、みなさんギラギラ。
気の弱い僕などは、「はい、福島に移住します!」と、開始早々一時間も経たないうちに言ってしまいそうな空気でした。
さて、一番最初に向かったのは、田舎道にある手づくりな味わいのレストラン「飯舘村気まぐれ茶屋ちえこ」
今年74歳になるという、ちえこおばあちゃん手づくりのランチ。
よくも、こんな田舎道にポツンと一軒だけあるようなレストランで、営業が成り立つなと思っていたら、営業日は火曜水曜木曜かだけという、極めてマイペース営業のレストラン。
本日は、我々を含め、団体客が2組ほど食事をとっていて、結構賑わっていました。
メニューは見事にオール野菜。
ベジタリアンの僕には、言うことなし。
そして、食後には、この辺りの地域の保存食である「シミ餅」をいただきました。
左手前の煮物は冬瓜。
我が畑では、今絶好調の冬瓜ですので、この味付けは参考になりました。
早速家に戻ったら、やってみます。
この、囲炉裏を囲んだ、ランチで7名は自己紹介。
みなさん、若い就農希望者で、予想通り、今年定年退職の僕は最年長者。
行ってきた、ブータンの話など織り交ぜながら自己紹介させてもらいました。
最初に向かったのが、飯舘村にある合同会社「福相農園」。
社長の渡辺春治さんは、もともと土建屋だったのこと。
震災前には、大規模露地栽培も展開されていましたが、震災で一時避難。
帰還後は、風評被害を考慮に入れて、口に入らないものということで、現在の花き栽培に取り組まれたそうです。
なので、施設は、ハウスも作業所もまだ新しい。
まず、最初に見せていただいたのはスターチスという花の栽培。
これは、聞いたことがありませんでした。
スターチスは、ドライフラワーアレンジメントの添え花として利用されることの多い花。
もちろん生花としても利用されています。
かなりボリューム感があり、なんといっても色のバリエーションが豊富。
こちらの農園のハウスでも、その種類ごとに分けて栽培されていました。
最初は、地面に植えて育てていたそうですが、それだと、花の病気が出た時に、周囲にその影響がたちまち広がってしまうので、今では、プラケースに入れて、地面から離して栽培。
こうすることにより、もし病気が発生しても、そのプラケースだけ処分すれば、他の花には影響がいかないようにという工夫。
風通しも良くしながら、室温も定温管理。
育った花が倒れて折れないように、ネットを張っていました。
次に紹介されたのは、かすみ草の剪定作業。
丸く、小さな花がいくつも咲くカスミソウ。
花屋の店先には、一年を通して出回る定番フラワー
ドライフラワーのスワッグや花嫁のブーケや花冠に使われることの多い花です。
かすみ草の剪定作業は、写真のように、目盛の入った作業盤に、収穫されたかすみ草を置いて、決まった長さに統一して切りそろえるやり方。
その際に、傷んだ葉や、余計な枝も切り落とします。
部屋の中は、19度に設定されていました。
社員6名と、パートの女性たち10名ほどで運営。
最出荷時は、朝の5時くらいから作業されるそうです。
聞いてみたら、従業員全体の平均年齢は68歳とのこと。
これから先のことを考えると、やはりもっと若い人たちの就農を希望しているという渡辺社長。
このほかに、季節に応じて、ひまわりなども栽培されているそうです。
そして、次に向かったのが同じ飯舘村の長生増夫氏の農園。
近隣の仲間と、共同で運営されているとのこと。
まず最初に見せていただいたのは、エゴマの畑。
全部で、150aほどの面積を、ほぼ自然栽培で育てているとのこと。
長生さんは、営農そのものよりも、「農ある暮らし」にこだわっており、エゴマの他にも、トマト、キュウリなどの露地野菜。
ナツハゼ、ブルーベリーなどの果実。
特にこだわっておられたのが雑穀。
そして、小麦や蕎麦ですね。
蕎麦は、地元特産の韃靼蕎麦も育てておられ、自ら、そば粉を打って練り、蕎麦を作ることも楽しんでおられるとおっしゃっていました。
「百姓として、死ぬまで働けるということは、幸せなこと。」
長相さんは、そういっておられましたが、これはまさに同感。
それが、僕の老後のテーマでもあります。
年間を通した体験メニューも豊富で、あの「鉄腕DASH」村の候補地にもなっていたそうです。
しかし、穏やかな里山の暮らしが、人目にさらされることで、荒らされることを危惧して、その話はお断りになったとのこと。
いろいろと、大変に参考になる話が聞けました。
自宅の敷地内には、ゲスト用の休憩室なども作っておられ、見学に来る人たちに、「農ある暮らし」を通じての、里山での動植物との共生を静かにアピール。
健康で楽しく老いることの意義も語っておられました。
さて、到着したホテルは、ホテル・ラフィーヌ。
すぐに行われたのが意見交換回。
ホテルの立派な部屋に通されて、ここでまた圧倒されました。
我々7人は、ズラリと横に並ばされ、それを囲むように、取材の人や、現場担当の方なども加わって関係者の数ははさらに増え、熱気もさらにヒートアップ。
まず登壇されたのが、地元で新規就農されて頑張っているお二人。
一人は、株式会社グラン・ファーム代表取締役・後藤直之氏。
まだ35歳という青年でした。
若者らしく、いろいろな先端技術を導入し、行政のサポートも受けながら、なんとか福島での農業を軌道に乗せたとのこと。
もうひと方は、南相馬市ねぎ出荷組合株式会社・表取締役・田岡義康氏。
この方は、神奈川県から家族とともに移住されてきたとのこと。
ねぎのニーズに目をつけて、地場産業に展開しようと努力されてきたとのことです。
田岡さんの弁。
「福島の人が好き。農業が好き。野菜が好き。これだけあれば、大丈夫。
新規就農に対して、行政がこれだけ熱心な地域はない。いちから農業を始めるなら断然福島。」
それから、福島第一原発の地元浪江町の方。
帰還が認められても、実際戻ってこられる方はやはり少ないとのこと。
震災前の農業からの復旧率もまだ数パーセントほど。
それだけに、浪江町の農業は、まったくの白紙に近い状態。あるのは可能性だけ。
なので、開拓精神の旺盛な方の移住就農を期待しますとのこと。
僕が、2015年に、この地域を車で回った時には、他の地域に比べて圧倒的に復旧が遅れていた印象。
しかし農業復活の芽は、出始めているというお話でした。。
そして、引続き別室にて交流会。
たった7人しかいない参加者が、3つのテーブルに分かれて、その間をびっしり埋めるように、今回のツアーの主催者側のスタッフが座ります。
そして、出された料理も見事なもの。
話を聞けば、ホテルのシェフは、国内のシェフのコンテストで優勝されたことのある腕前とのこと。
豪快で素朴ブータン料理を体験したばかりの僕には、その繊細な盛り付けにはため息。
いかにも、高級な素材をいただいているなという感想。
「いやあ、これはお金かかってるな。採算度外視だな。」
老人は、一人で変な心配をして、汗をかいておりました。
交流会の食事の間は、職員の皆さんがひっきりなしに入れ替わって、移住就農をアピール。
お酒も入れば、初めは固かった参加者の表情も次第にほぐれてきます。
みなさん、顔を赤らめながら、かなり熱心に話を聞いておられました。
さて、翌日の農業見学は5箇所。
就農というよりは、いかに老後の田舎生活を楽しめるかに重きを置く老人としては、若いみなさんに比べてちょっと肩身の狭いツアーではありますが、またいろいろと参考になる話が聞ければ幸い。
やはり、現地の人の話を聞くのが、なによりの情報源になります。
以上。
第一日目終了。
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