ヌーベルバーグにも心酔していた、クウェンティン・タランティーノ監督なら、おそらくこの辺りの作品もおおいに参考にしていたかもと踏んで選んだのが本作。
実際はタランティーノ監督は、ジャン=リュック・ゴダール監督がお気に入りだったようですが、やはりヌーベルバーグといえば、彼と双璧と言えるフランソワーズ・トリュフォー。
長編デビュー作「大人は判ってくれない」で、一気にこのムーヴメントの旗手に躍り出た彼ですが、本作はその彼の2作目。
1作目で、ナイーヴな少年の内面を、瑞々しいタッチで描き出し、高い評価を受けた彼が、次作では、一転して、フィルムノアール・テイストの大人の世界を描きます。
1960年の作品で、主演はシャンソン歌手でもあるシャルル・アズナブール。
1999年の映画で、ジュリア・ロバーツとヒュー・グラントが出演した「ノッティングヒルの恋人」という映画があります。
この映画の主題歌 “She” を歌ったのは、エルヴィス・コステロでしたが、この曲のオリジナルを作曲・歌唱したのがシャルル・アズナブールです。
歌手が本業ですから、映画の出演作品はそれほど多くないのですが、僕が強烈に覚えているのは、1968年製作の「キャンディ」。
名だたる名優たちが、一人の女の子を巡って、スケベジジイ丸出し演技を繰り広げる、ポップでエッチな映画でしたが、彼もその中の一人で、嬉々として「せむし男」を演じていました。
シルヴィ・バルタン主演の「アイドルを探せ」にも出ていて、ヒットした主題歌は彼の作詞です。
本作の原作は、パルプ・フィクション。
タランティーノ監督のヒット作のタイトルとして有名になりましたが、これは元々アメリカ製で、チープな材質の紙で作られた安価で低俗な三文小説群です。
主に、出兵する兵士たちに愛読されていたようで、彼らは読み終わったら平気でそれをポイポイと捨てていたようです。
戦後のGHQ占領時代の日本にも、若い兵士たちによって、大量のパルプ・フィクションが持ち込まれ、読み終わった本は、アメ横などに流れていったといいます。
そんなパルプ・フィクションの影響を受けた大藪春彦、片岡義雄、生島治郎などが、後に和製ハードボイルド作家へと育っていったわけです。
実は、僕も大学生時代に、神保町の古本屋を回って、何冊かパルプ・フィクションを仕入れたことがあります。
どれも、ナイスバディの女性が、エロいポーズを取っている扇情的なイラストが表紙を飾っているものばかり。
同じ勉強するなら、学校のテキストで勉強するよりも、こちらの方がはるかに身につくだろうとう魂胆で購入したもの。
結局、途中で挫けましたが・・
本作の原作者はデイビッド・グーデスという人で、「狼は天使の匂い」「華麗なる大泥棒」(両方とも映画になっています)なんてあたりも書いている人で、それほど三文作家と言うわけでもなさそうです。
しかし、僕の世代で「ピアニストを撃て」というと、どうしても思い出してしまうのは、エルトン・ジョンの傑作アルバム「ピアニストを撃つな」。
「クロコダイル・ロック」や「ダニエル」といったヒット曲が収録されているご機嫌なアルバムです。
アルバム・ジャケットを見ても、この映画は相当意識されていたと思われます。
フランソワーズ・トリュフォーといえば、生涯に25本の作品を残していますが、僕が初めて見た作品はハッキリと覚えています。
1973年に作られた「アメリカの夜」ですね。
トリフォー作品というよりも、大好きな女優ジャクリーン・ビセットが主演している作品として見たのを覚えています。いやあ、綺麗でした。
この頃のトリフォーは、もうすでにヌーベルバーグからは卒業しており、いっぱしの大監督になっていました。
僕の場合のトリュフォーは、この時代の作品から見始めて、だんだんと遡って見て行った記憶です。
当時は、映画マニアとして、トリフォーの作品を見ておくのはもはや義務というくらいのつもりで追いかけていました。
それでもバイオグラフィを眺めてみると、彼の作品で見た記憶のあるものは、およそ半分。
本作は、未見の一本でした。
トリュフォー監督といえば、ヒッチコック・マニアとしても有名で、ヒッチコックとの対談集「ヒッチコック/トリフォー映画術」は、個人的には生涯においても、5本の指に入れたい名著ですが、ハリウッドの1930年代に一世を風靡したギャング映画にも造詣が深いことで有名。
本作では、ハリウッドでは、スタジオ・ワークで製作されていた暗黒街ものを、ロケーション、同時録音、即興演出を駆使したヌーベルバーグ・スタイルで撮ったらどうなるかという彼らしい実験精神があったように思えます。
しかし結果として、トリュフォー・カラーが勝ってしまい、犯罪映画としては微妙な味わいの作品になってしまったような。
個人的には、フィルムノワールとしてなら、やはりジャン=ピエール・メルビルの一連の作品群に軍配が上がってしまいます。
しかしそれでも、フランソワーズ・トリュフォーの作品は、ちょっと目が離せません。
本作は、1960年の映画でありながら、アズナブールが、隣の部屋に住む娼婦とベッドに潜り込むシーンでは、なんと堂々の上半身ヌードが登場。
ドキリとさせられました。
確か「黒衣の花嫁」を見たときにも、まさかのジャンヌ・モローの上半身ヌード(もしかしたらボディダブルだったかも)でビックリさせられましたから、まだ見ていない作品を見るときは、ちょっと気を抜けません。
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