ライ麦畑でつかまえて
1951年にアメリカで発表された青春純文学の金字塔が「ライ麦畑でつかまえて」です。
発表されてから現在まで、世界中の国に翻訳されて、発行部数累計6000万部以上。
現在でもなお、毎年50万部が売れているという、モンスター小説です。
そして、特筆すべきはその読者の大多数が青少年たちだということ。
恥ずかしながら、僕は60歳を超えるこの年齢になるまで、本作は未読でした。
しかし、実家が本屋だったということもあって、その名だけはずいぶんと昔から知っていたし、おそらく、学生時代の学校推薦図書としては、ほぼ常連の本でしたので、何度か本を手に取ったことはあった記憶です。
しかし、本作を読むより前に、松田聖子のアルバム「風立ちぬ」に収録されていた名曲「いちご畑でつかまえて」(シングルカットなし)にいたく感動していた経緯もあり、本作も、おそらくは可愛い少女が、ライ麦畑で、王子様のようなボーイフレンドと無邪気に追いかけっこをしているようなイメージの「不思議の国のアリス」テイストの小説かと、勝手にお門違いの想像をしていました。
本作の原題は”THE CATCHER IN THE RYE”。
2003年には、この原題通りのタイトルで、村上春樹が新訳版を発表していますが、今回僕が読んだのは、1964年に日本で出版された当時の野崎孝訳のもの。
図書館にあったのはこちらでした。
このタイトル、原題通りに訳せば、「ライ麦畑の捕手」みたいなことですが、これでは何のことだか分かりませんから、この「ライ麦畑でつかまえて」という和訳は、違訳ではあっても、タイトルとしては、なかなかキャッチーであったかもしれません。
前述の松田聖子の曲で、松本隆がこのタイトルを拝借したのも宜なるかな。
という訳で、本題に入りましょう。
この「ライ麦畑でつかまえて」とはいかなる小説か。
本作には、ストーリーらしいストーリーはありません。
体を壊して療養中の16歳の少年が、前年のクリスマス前の週末2〜3日を思い出して、何やらブツブツとその顛末を独り言のように語るというだけの小説です。
ストーリーの起承転結がまるでないので、ミステリーのようなしっかりとした構成の本を好んで読んできた僕としては、最後まで、なかなかとっつきにくかったということだけは正直に申し上げておきましょう。
全編若者言葉のくだけた表現ではありますが、文章も結構詰まっていて、ちょっと目を離すと、どこまで読んだかがすぐにわからなくなり、集中力に欠ける読者としては、読了するのは結構難儀でした。
しかし、まあそれが純文学たる所以といえばその通り。
もともと、こちらが純文学の読書に、適応していないだけのことかもしれません。
高校を既に4校も退学しているような、すれっからしの16歳の、世間や大人に対するルサンチマンに満ち満ちたモノローグに、シンパシーを感じれるかどうか。
本作を楽しめるかどうかの境目は、ひとえにそこにかかっていると思われます。
もしかしたら、主人公と同じ年頃か、せめて20代までに、本作を一度でも読破していれば、還暦を超えて読んだ感想も、また違っていたかもしれないと反省しきり。
どうあがいても、こちらの感性の劣化は否めないという思いはありますね。
主人公は、ホールデン・コーンフィールド。
彼は、高校を退学になる“落ちこぼれ” ですが,大人のウソと欺瞞をかぎ分ける嗅覚はとても鋭敏で,高校の父母会で寄付をしてくれそうな父母とそ うでない父母を差別して扱う高校の校長や,依頼人の利益よりも,弁護士としての評判や利益の方を 心配する自分の父親を軽蔑します。
彼が認めるのは、白血病で死んだ弟のアリーと、10歳になる妹のフィービー。
そして、しいうてうなら、ランチで一緒になったシスターだけ。
とにかく、彼は偽善と商業主義にまみれたアメリカ社会を「インチキ」と呼んで、終始蔑み、批判し続けるわけです。
そういえば、本作の中に、このインチキという単語が、果たして何回出て来たことか。
佐野元春の「HAPPY MAN」という曲の中に、「世界中のインチキにAi Ai Ai」という歌詞があったのをふと思い出します。
正直言って、そんな鬱積した若者のストレスに付き合うのは、この歳になってしまうと、正直うざったいという思いはあるのですが、ただ未成熟で、自己矛盾は抱えつつも、やるせない現実にひたすら抗おうとするティーンエイジャーの等身大の独白は、同世代の読者には強烈に響いてきたという歴史的事実だけは知っておくべきでしょう。
ちなみに、ティーエイジャーという言葉は、本作には一度も登場しませんが、この概念が出来上がったのは、ちょうど1950年代のアメリカで、本作が発表された後のことです。
それまでは、二十代前半を含むこの世代は、一括りに「若者」と総括されていましたが、1955年の「理由なき反抗」「エデンの東」のジェームズ・ディーンの登場により、「十代の若者」は一気に脚光を浴びることになります。
それと同じ年の映画「暴力教室」で、主題歌としてビル・ヘイリー&ザ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」でロックンロールが誕生し、それはエルビス・プレスリーの登場で、一気にティーン・エイジャーの音楽として定着していくことになります。
とにかく、ティーンエイジャーたちは、大人たちに対して懐疑的で、反抗的だというスタイルが次第に定着していきます。
そのベースには、戦争という愚かしいことをしでかした世代への不信感があったのでしょう。
サリンジャーも、あのノルマンディ上陸作戦に一連合軍兵士として従軍し、その後は、激しい戦闘の後遺症でPSDを患い、陸軍総合病院に入院しています。
本作には、戦争に対する直接的記述こそありませんが、戦後、わずか5年しか経っていない時期に書かれた小説ですから、その影響がないわけがありません。
戦争という圧倒的な理不尽に対する憤りは、ホールディング少年の、世間や大人に対する目に懐疑的視線に色濃く反映されているような匂いはします。
ヨーロッパに目を向けると、フランソワーズ・トリフォー監督の長編デビュー作「大人は判ってくれない」がすぐに頭に浮かびます。
実はトリフォー監督と、本作の主人公ホールデン・コーンフィールドとは、かなり重なり合うところがあります。
トリフォーも少年時代は、学校を放棄し、何度も感化院に放り込まれた経歴の持ち主。
この映画で、彼の分身であるアントワーヌ少年(演じたのは、ジャン=ピエール・レオ)の見せる、世の中や大人たちに対するちょっと拗ねたような目つきは、本作を読んでいて、何度もホールデン少年とオーバーラップしました。
トリフォー監督が、この映画を作るにあたって、本作を意識したかどうかは定かではありませんが、少なからず影響は受けていたかもしれません。
世の中に対して、何か抗議したいけれど、それが自分の言葉でうまく表現できないもどかしさ。
それは、多くのティーン・エイジャーが、潜在的に抱えていたストレスだったかもしれません。
それを、敏感に察知して上手く掬い上げたのが当時30歳の著者J.D.サリンジャーです。
彼が、絶妙な若者言葉で、ティーン・エイジャーたちの深層心理や、心象風景を、文学的に昇華させた本作が、まだモノ言う能力がその高みには到達していない青少年たちのバイブル、あるいは教科書として、本作が熱狂的に支持されたのだとすれば、それは十分に理解できます。
やがて戦後のベビー・ブーマーに生まれた子供たちが、大挙して大学生となる1960年代には、ティーンエイジャーたちによって熱狂的に支持されたカウンター・カルチャーが、世界中を席巻することになり、フラワー・ムーヴメントや反戦運動が時代のうねりになっていくわけです。
若者たちが、本気で世の中を変えられると信じて、声をあげ、行動した時代は、70年代まで続くことになります。
時代的にはだいぶ後になりますが、日本で言うなら、この路線の最も正当的な継承者は尾崎豊でしょうか。
但し、「十五の夜」に、「盗んだバイク」で走り出し、「卒業」で、「夜の校舎窓ガラス壊して回った」彼は、しかしながら本作のホールデン少年よりも、かなり過激的であった気はします。
「モノ言う若者」といえば、現代ですぐに頭に浮かぶのは、環境活動家のグレタ・トゥーンベリ嬢でしょうか。彼女がその可愛い顔面補歪めて、大人たちに抗議するのも、その原点を辿れば、70年も前の本作に遡るような気がします。
いずれにせよ、世界中に伝播していくことになる「モノ言う怒れる若者たち」という潮流の出発点になっていたのは、ルーツを辿れば実は本作だったと言えるのかもしれません。
ホールデン少年のつぶやきは、1950年代初期のアメリカでは、まだまだ多分に内省的で、攻撃的でも暴力的でもありませんでしたが、この小説の大ヒットに便乗して、本作のテーマが、とんでもないテロ行為の動機づけとして祭り上げられることになります。
1980年に、ジョン・レノンを自宅アパート前で射殺したマーク・チャップマンですね。
ビートルズ・フリークとしては、個人的に許し難い男です。
あの男は凶行に及んだ後、警官が到着するまで、現場に座り込んで、本作を読んでいたというのは有名な話。
何の罪もない青春小説を、勝手に未熟な自分の悪事の共犯者にするような真似をするのは言語道断。
しかしこの事件はすぐに連鎖します。
翌1981年に、当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンに対する暗殺未遂事件を起こした犯人ジョン・ヒンクリーの部屋からも本作が見つかり、1989年に女優レベッカ・シェイファーを射殺したロバート・バルトも本作を愛読していたと判明するわけです。
精神の均衡を失った危険なテロリストに愛読されていた小説として、本作は1980年代以降、俄然ブラックな危険書物扱いを受けることになるのですが、これはサリンジャーにしてみれば全くもって迷惑な話。
言ってみれば、誰にも理解されるはずのないテロ行為のこじつけ的動機付けとして、本作のテーマが無理やり捻じ曲げられて悪用されたに過ぎません。もちろん本作に罪はなし。
これゆえ、本書を「悪魔の書」呼ばわりするのは、ちょと筋違いでしょう。
申し訳ないが、どう読んでも、本作が犯人たちの気持ちを代弁し、凶行を後押ししている内容とは思えません。若者の小説として、本作が有名になりすぎたことの、社会的副作用ということでしょう。
さて、タイトルの由来となったシーンです。
妹のフィービーに、「じゃあ、一体あなたは何になりたいの?」と尋ねられたホールディング・コーンフィールド少年はこう答えます。
「僕はね。麦畑で遊んでいる子供たちが、気が付かずに、崖から落ちそうになったら、そっと無言で助けてあげる、そんな人になりたいんだ。」
本作の中で、最も象徴的なシーンです。
著者サリンジャーが、あるいはホールディング少年が、子供の頃にそうして欲しかったという願望が込められているのかもしれません。
こんな大人たちが、もしも彼の育った環境にいたとしたら、彼はいくつもの学校を退学するような少年になってはいなかったのか。
申し訳ないけれど、そこも、この歳になってしまうとそう素直にはそう思えません。
そういう大人たちに囲まれていたとしたら、その時は多分ホールディング少年はこういうのではないか。
「大人たちは、見ているだけでそこに崖があることを教えてくれない。僕たちが落っこちそうになるのを待っているだけ。」
そういうことになれば、本作のタイトルは「ライ麦畑でつかまえて」ではなくて、「ライ麦畑に御用心」になっていたかもしれませんね。
そういえば、1970年に庄司薫が書いた「赤頭巾ちゃん気をつけて」は、ちょっと日本版「ライ麦畑でつかまえて」の味わいがありました。
ちなみに、本作にちなんだわけではありませんが、うちの畑にライ麦畑を作りました。
畑の一番端の土手沿いです。
この辺りは、いつも近くの子供たちが、走りまわっているのですが、一言。
あんたたち、気をつけなさいよ。
おじさんは、君たちが土手から転げ落ちても、絶対にキャッチしたりしないからね。
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