さて昭和53年です。
この年は、晴れて大学生になった年です。
前年のブログでも述べたとおり、高校の三年間は、学校の授業以外は、部活にほぼ終始した三年間でしたので、そのストレスはかなり溜まっていました。
とにかく、この4年間(実際は5年間)は、好きなことを好きなだけやれる人生のモラトリアム期間と決めて、悔いなく遊ぼうと決めていました。
この時決めたモットーは「ちゃんと遊んでおかないと、ろくな大人にはなれない。」
(結局たっぷり遊んでもろくな大人にはなっていませんが)
そんなわけで、大学の授業は、できる限りの情報を収集して、出席にうるさくなく、評価も甘いという噂の授業を取りまくり、授業に出なくとも、代返と、出席した友人のノートのコピーがあれば単位が取れるものばかり選択していました。
そして、遊ぶには何と言っても軍資金が必要。
授業料さえ出してくれれば、あとは全て自分でやるなどと、親には宣言していた手前、高校の卒業式を終えた直後から始めたのがアルバイト。
今から振り返ると、大学生だった5年間(人より一年多い)は、とにかくろくに授業も行かないで、アルバイトに明け暮れていました。
長期希望はなるべく避けて、短期決戦のものばかり拾っていきましたので、やったバイトの数はドンドン増えていき、途中からこれは話のネタになると数え始めていたのですが、最終的に大学を卒業するときには103種類のアルバイトをこなしていました。
アルバイト・ニュースは、ほぼ定期購読状態。
とにかく、お金になれば、なんでもやりましたね。
高田の馬場と新大久保の間にあった通称ヤマと言われる公園にも早朝に出向いて並び、日雇の土方もやりましたし、池袋のグランド・キャバレーのウエイターや、俗称テキ屋と呼ばれていた縁日の露天商などの、かなりキワドイものから、家庭教師、カメラマンのアシスタント、お中元の配達、警備員、道路工事の旗振り、マルチの勧誘、「カメラのさくらや」の販売員など、とにかくありとあらゆる職種を経験しました。
そのおかげで、個人的には、大学の授業を受けるよりも、こちらの経験の方が、後の人生には大いに役立ったと思っています。
おかげで、好き嫌い関係なく、どんな仕事でも、与えられれば、そこそここなせる自信だけはつきました。
高校までの音楽ライフは、ほぼラジカセ一台でまかなっていましたが、バイト代が入るようになると、ステレオ・セットやカセット・デッキも次々と購入して、その環境は段々と整っていきました。
それまでも、ギターを覚える過程で、ボチボチと作っていた自作曲は、大学生になってからは、結構まともな録音機材を購入して、マメに録音するようになっていました。
我が生涯で、完成している自作曲はおよそ60曲程度ありますが、その9割以上は、この大学生だった5年間で作ったものです。
ポップシーンには、サザン・オールスターズが登場。
ゴダイゴや、アリス、世良公則とツイストもブレイク。
個人的には、原田真二のデビュー・アルバム「FEEL HAPPY」は、ヘビーローテーションで聴いていました。
ニュー・ミュージック系のアーティストが次第に勢力を伸ばす中で、歌謡曲勢もまだ奮闘しています。
頑張っていたのは、沢田研二、山口百恵、ピンクレディ、キャンディーズですね。
そんな中で、演歌勢が次第に分が悪くなってきたのがこの頃です。
この辺りから演歌は耳に入ってこなくなりました。
さて、この年の歌謡曲で、今でも覚えていて歌うことができた楽曲は以下の通り。
ハリウッド・スキャンダル(郷ひろみ)
プレイバックPart2(山口百恵)
わな(キャンディーズ)
ジョニーの子守唄(アリス)
微笑み返し(キャンディーズ)
宿なし(世良公則とツイスト)
ダーリング(沢田研二)
勝手にシンドバット(サザン・オールスターズ)
戦士の休息(町田義人)
バイブレーション(郷ひろみ)
シンデレラ・ハネムーン(岩崎宏美)
みずいろの雨(八神純子)
夢一夜(南こうせつ)
オリビアを聴きながら(杏里)
闘牛士(チャー)
檸檬(さだまさし)
東京ららばい(中原理恵)
埠頭を渡る風(松任谷由実)
林檎殺人事件(郷ひろみ&樹木希林)
ガンダーラ(ゴダイゴ)
かもめが翔んだ日(渡辺真知子)
たそがれマイラブ(大橋純子)
Mr.サマータイム(サーカス)
カナダからの手紙(平尾昌晃・畑中葉子)
以上全57曲
コメント