いやはや、参りました。
今までろくに勉強してこなかったようなものが、読書した後に簡単にスラスラと感想をかけるような、安直な本ではありませんでしたね。
以前からポピュリズムには多少なりとも興味はありましたので、それが深められる本かなと思って手に取ったのですが、書いてある事は、それまでの僕の常識からはみ出し、ひっくり返されてしまうような内容ばかりで、最後には居住まいを正して読まさせていただきました。
本書は、1930年に発表された、スペインの哲学者オルテガによる痛烈な文明批判の書です。
今から90年も前に執筆された本です。
当時のヨーロッパは第一次世界大戦が終結して、ロシアでは共産主義革命が起こり、その混乱の中で、イタリアではムッソリーニのファシスト政権が発足し、ドイツではナチス党が生声を上げ、アメリカでは、ウォール街での株の暴落により世界恐慌の波がヨーロッパまで押し寄せていた不穏な時代です。
そんな時代に、オルテガは何を見ていたのか。
彼は本書の冒頭で、時代のメインストリートに大衆が主役として躍り出た時代になったと言っています。
では彼が言う大衆とはどんな人たちのことなのか。
まずここで、僕の頭にあった大衆の定義は見事に否定されます。
僕がイメージしていた大衆は、例えばエリートと相対するような、決して裕福ではなく、教養もなく、お調子者でノリのいい一般階層の人たち。
要するに、自分も含めた庶民と言われるような人たちのことを言うのだと思っていました。
しかし、オルテガの言う大衆の意味は、これとは違いました。
彼は、大衆とは、階層の区分をいうのではなく、人間の区分をいうのだと言います。
大衆とは、オルテガに言わせるとこうなります。
・大量にいる人たち
・根無し草になってしまった人たち
・個性を失い、何ものでもない 「群衆化」した人たち
産業革命以後のヨーロッパでは、都市に人口が集中するようになり、かえって人々はトポスを喪失しているといいます。トポスとは、いわゆる「居場所」のこと。
人々は、社会の中でいつでも代替え可能な歯車となってゆき、人はたくさんいるのに孤独を感じることになっていきます。人が感情をなくし、次第に記号になっていくわけです。
思い出すのは、あの有名なチャップリンの「モダン・タイムス」の冒頭。
羊が群れをなして移動する映像が、工場へ向かう労働者の映像とオーバーラップするという秀逸な場面がありました。
あれがまさに、この時代の大衆でしょう。
チャップリンは、工場の一労働者として、文字通り歯車となって働く姿を、とことん辛辣に笑い飛ばしてくれました。
大衆は、人々が「充満」してくる、都市生活者の中から生まれてくるわけです。
これまで、農村で自由に暮らしていた人たちを、都市の中で、工場労働者として働かせるためには訓練が必要になります.
これが近代教育のスタートです。
どういうことかと言うと、工場労働者として働ける体にするために、まず規律化を叩き込むことが必要になるというわけです。
大事な事は、授業の内容ではありません。そういうことではなく、45分なり、90分なりの授業の間中、教師の話を一方的に聞いていられる身体とメンタルを作ることが近代教育の目的となるわけです。
小学校の時、毎週月曜の朝の朝礼で、校庭に並んだまま校長先生の話を聞かされたものですが、もちろん話の内容など、全て右の耳から左の耳は抜けていました。
でもそれは問題ではないと言うこと。要は、校長先生が話している間、そこに黙って立っていられることを私たちは訓練されていたわけです。
僕は、これまで大衆のことを、ほとんど庶民と混同していましたが、オルテガは庶民と大衆は明確に違うといいます。
庶民たちは、集まればコミュニティーを作ります。そして、横の連携を広げていきながら、地に足をつけて暮らし始めます。
明治になる前に、江戸に暮らしていた人たちがその代表でしょう。彼らは「江戸庶民」と言われますが、決して「江戸の大衆」とは言われません。
これに対して大衆とは、個性を好みません。共通の型を作り出して、それに準じることをよしとする人たちです。大衆とは「平均人」だとオルテガは言います。
大衆とは、みんなと同じであることに喜びさえ感じる人たちのこと。
この平均人たちが、様々な世の中の紆余曲折を経て、民主主義化言う波の中で、次第に時代の主役に踊りでるようになると、「平等」と言う名の「均質化」が図られるようになります。
平等と言う耳障りの良い美名のもとで、優れた個性を抑圧するようになっていくわけです。
そして最終的には、少数意見には一切耳を傾けなくなり、みんなと同じであるということが唯一の「正しさ」になってゆくわけです。
大衆の時代の特徴をオルテガは、「凡俗な人間が、おのれが凡俗であることを知りながら、凡俗であることの権利を敢然と主張し、いたるところでそれを貫徹しようとするところにある」と語っています。
つまり、大衆の反逆の本質とは、道徳的退廃に他ならないというし言うわけです。
オルテガは、この「大衆」の対極に、なんと「貴族」を持ってきます。
貴族と言うと僕のイメージは、先祖代々の特権の上にあぐらをかいて、何の苦労もせずに優雅な生活を楽しんでいるセレブたちということでしょうか。
しかし、オルテガが言う「貴族」とは、このイメージともだいぶ違います。
「貴族」とは、過去から受け継がれ生活に根づいた「知」を身につけ、自分と異なる他者と共存しようとする我慢強さや寛容さを持ち、自らに課せられた制約を積極的に引き受けてその中で能力を発揮することを旨とするリベラリズム(自由主義)を身につけている人。
これが、オルテガの言うところの「貴族」です。
僕の持っていた貴族のイメージは、完全に蹴飛ばされてしまいました。
さあ、ここに出てきたリベラリズムです。
この言葉も、これまで、僕のイメージしていたものに対して、オルテガは、首を振ってきます。
僕がイメージしていたリベラルとは、いわゆる、左派右派の文脈で語られるところの左派のことです。
急進的、革新的、あるいは革命的な政治勢力や人を指し、社会主義的、共産主義的傾向の人や団体などをリベラルと呼ぶと思っていましたね。
「お前、かなり左寄りだなあ。」といえば、単純に、現体制に文句をいう側という意味です。要するに、社会変革を支持する層がリベラルと思っていたわけです。
しかし、オルテガは、そうは取りません。
政治におけるリベラルとは、「隣人を尊重する決意を極端にまで発揮したもの」「至上の寛容さ」「多数者が少数者に与える権利」なのだとして、リベラリズムを積極的に擁護する立場を取ります。
僕の中の常識としては、このリベラル・マインドに対立するものが、いわゆる保守でした。
しかし、オルテガはこの対立を取りません。
オルテガがリベラルに対立する存在として捉えたのは、ファシズム(全体主義)でありボリシェビズム(マルクス・レーニン主義)でした。彼は、この時代のヨーロッパを覆っていくこれらのイデオロギーの台頭を、人類の歴史的文化を放棄した「野蛮性への後退」だとして、厳しく糺弾しました。
さて、話を大衆に戻します。
本書において、オルテガは、難しい哲学や、政治学の用語を使わずに、しばしば、持ち前の辛口のユーモアを駆使した比喩を多用します。
その最たるものが、これでしょう。
「大衆とは、慢心したお坊ちゃんたちである。」
慢心した坊ちゃんとは、一体どういうことか。
大衆とは、今まで無数の人が血を流し、数えきれない失敗を繰り返して、勝ち取ってきた歴史や叡智の上に、なんの努力もせずにあぐらをかき、自分は万能だと勝手に勘違いをしている原始人のような人たちだとして、オルテガは痛烈に批判します。
「慢心したお坊ちゃん」たちは、たまたまその時代に生まれたと言うだけで、自分は完全だと勘違いしています。
そして、自分を超えるものへの畏敬の念がありません。
過去の栄達たちへの、リスペクトもありません。
あるのは、自分への過信のみ。
そんな、彼らが何をするようになるのかと言えば、それが革命や独裁というわけです。
自分の思い描いた世界になるように、世の中を塗り替えることに、彼らは躊躇しません。
そして、そんな過激な改革は、歴史が物語るように、しばしば暴力的になります。
これは、もはやリベラルでもなんでもないわけです。
ならば、慢心したお坊ちゃんではない、「貴族」なら、一体どういう態度を取るのか。
まず、貴族たちは、人間に対して、徹底的に懐疑的です。
つまり、人間とは、いつの時代においても、私利私欲に流され、権力に溺れる不完全なものだということを大前提にものを考えます。
そんな人間が、自分を完璧だと勘違いして、強引に描く社会の設計図は、それが、どれほど優秀な人物が考えたものであっても、完璧なものである訳がないというわけです。
どんなに優れた思想だと思っても、そこには、必ず、予想もつかない綻びの種が埋まっているもの。
これを大前提とするのなら、一体どう言う態度を取るべきなのか。
そんな彼らが見るのは、歴史の積み重ねから学ぶ叡智です。
不完全な多くの人が、無数の失敗を積み重ねてきた上で人類が掴み取った知識の集積です。
そして、これをベースにして、今ある政治に不都合があるなら、決してその体制をひっくり返すような暴力的な改革は選択せずに、より良い方向に少しずつ微調整していく改革を常に模索していくという姿勢こそが、貴族のとるべき態度だとオルテガは言います。
そして、その「永遠の微調整」に真摯に向き合うことこそが、「保守」の取るべき態度だというわけです。
人間というものが不完全なものだとしたら、それは当然自分自身にも当てはまるべきことです。
これを前提にするなら、自然に生まれてくる態度は、他者の意見に耳を傾けるということ。
そして、それを受け入れながら、上手にバランスにとっていくこと。
この態度で政治に臨むことこそ、貴族のとるべき姿勢だとオルテガは言います。
保守というと、どうも個人的には、自民党の政治とイコールだという先入観がありすぎて、政治の風通しが悪くなり、次第に腐敗していくという悪いイメージばかりが膨らんでいたのですが、こう言われてしまうと、話はだいぶ違ってきます。
というよりも、自ら変わっていくという意志もなく、野党の言い分に耳を傾ける気もない今の自民党政治は、要するに保守ですらないということになります。
保守という概念が生まれた経緯は、17世紀の三十年戦争にまで遡ります。
この戦争は、カトリックとプロテスタントの宗教戦争でした。
しかし、これに当時のヨーロッパ諸国の利害が複雑に絡み合って、ヨーロッパ全土を戦場にした国際戦争に拡大していきました。
戦争は、各国に甚大な被害を及ぼして、最終的に争いの火種は残したまま、ウェストファーレン条約を締結することで終了します。
ここで、当時のヨーロッパの人たちは学びました。
国際戦争においては、一方を排斥するところまで争いを続ければ、最終的にはその被害は双方にとって、絶望的なものになる。そうなっては国家すら立ち行かなくなる。それよりは、相手の文化や宗教をお互いが認め合い、歩み寄ることで、折り合いをつけていく方向の調整をしていく方が、面倒なことではあっても。、戦争で決着をつけるよりは遥かに望ましい。
つまり、国際政治において大切なことは、力による相手の排斥ではなく、話し合いにによって相手を認める寛容の姿勢だというわけです。
これが、そもそもの保守という考え方のスタートだったんですね。
これは、当然国際政治においてだけでなく、国内政治においても同じことです。
昭和の時代に、大平正芳という自民党の政治家がいましたが、この人がこういうことを言っていたそうです。
「政治は、常に60点でいい。いやむしろ、60点であることが望ましい。」
どういうことかといえば、残りの40点分は、自分にはいいアイデアがないという謙虚な態度で、周りから意見を聞けということなんですね。
つまり、自分の弱さや足りないところもあえて見せることで、少数意見とも上手にバランスをとり、相手を尊重することで、政治は安定するということです。
今の自民党政治家たちに、こんな腹芸のできる政治家は皆無ですが、大平元首相には、政治における寛容の重要性がわかっていたということでしょう。
その昔、美味しいという評判の老舗のラーメン屋の大将が言っていたことを思い出します。
「みんな、うちのラーメンの味は昔から変わらないと言ってくれるが、実はそんなことはないんだよ。
少なくとも、終戦直後と今とでは、味は微妙に変えている。昔のままの味を続けていたとしたら、おそらくお客さんは失くしてるはず。」
この大将の言葉の中に、実は保守の真髄があるような気がしています。
大切なことは、要するに微調整だと言うことです。
よく、復古主義とか、原理主義とか、進歩主義とかいう改革の顔がありますが、本来の保守はこの立場を決してとりません。
つまり、今が良くないと言って、過去のある地点に立ち戻ろうとしても、人間というものは、その時点でも完璧ではないことは同じだということです。
宗教や主義の原点に帰ろうと言うのも同じこと。
そこに戻れば、確かに今の問題は解決されることはあっても、また新たに、その時点での不完全さや問題にぶつかるだけで、問題の解決には、必ずしもつながらないと考えるわけです。
人間というものは、過去においても、現在においても、未来においても、常に間違いを起こす不完全な存在だということを肝に銘じることこそ、保守のとるべき態度だということです。
自ら、変わっていくことこそ保守の保守たる重要な要件になるのだとしたら、むしろ保守こそリベラルだということになります。
保守というと、日本人なら、絶対に米と味噌汁だと譲らないような、古いものの考え方から離れない人たちのことを指すというイメージを持っていましたが、少しずつでも、変わっていくことこそ保守の本質だと言われてしまうと、この言葉においても、今まで僕の持っていた常識はひっくり返されてしまいます。
なんだか、長い読書感想になりそうですが、続けます。
リベラルを寛容という言葉と同義と捉えると、少数派のとるべき理想的な態度というものも決まってきます。
つまり、こういうことです。
「あなたの思想を認めるから、私の意見も尊重してくださいね。」
その意見が、保守側の意見とは両立しない場合、これに対して、保守側はどういう態度を取るべきか。
つまりこういうことでしょう。
「残念ながら、今回はあなたの意見を受け入れることはできません。違う主張のあなたに、こちらの意見を受け入れてもらうことは断腸の思いです。しかし、私たちは、この主張に対して、これからも反対意見を言うあなたの自由だけは、命にかけて守ります。」
こういう場合に、何よりも大切なことは、礼節だとオルテガは言います。
保守として、少数意見に対するリスペクトをもてるかどうか。
これは、学者が言う言葉としては、結構意外でしたが、大いに納得のいくところです。
意見の異なる他者と合意形成をしていく場面で、多数派が数にモノを言わせて、上から目線で威圧的に交渉したところで、相手から返ってくるものは、反感と抵抗しかありません。
政治とは、自分の考え方一色に周囲を染めていくことではなく、たくさんの他者と丁寧に折り合いをつけていく行為そのものと言っても過言ではないということ。
そして、その先にこそ、たくさんの他者との最大公約数的幸福がある社会が作れるというわけです。
相手のもっている自由を認めていく文明性を身につけることこそが、リベラルだと考えると、オルテガの言う次の言葉は、胸に響いてきます。
「敵とともに生きる! 反対者とともに統治する!」
とりあえずは、保守であるところの、自民党のとある大物政治家が、野党の政治家に対して、こう言っていたそうです。
「彼らは、意見の合う人や仲のいい友人としか、酒を飲みにいかないだろう。我々は違う。酒を飲みに行くなら、むしろ、意見の合わない、対立している相手を選ぶのが当たり前。我々は、彼らみたいにな子供じゃない。」
自民党を応援したいわけではありませんが、確かにこれは一理あります。
オルテガは、知識階級の学術的専門家の中にも、大衆的人間はいると言っています。
自分の専門分野にしか、知見を持たず、他の分野にはトンと学識も興味もないといったないような学者は知者ではあるが、結局無知な大衆と変わらない存在と切り捨てています。
では、学識者としてあるべき姿とはどういうものか。
オルテガはこう言います。
一人の人間が究極の真理に到達するなんてことは、ある意味では、不可能だということを理解することがまずは大前提。
しかし、だからと言って、決して諦めずに、常に真理に対して「王手」をかけようという意志を持ち続けることが大切だというわけです。
なるほど、この王手という表現が絶妙です。
「詰み」ではなく「王手」なんですね。
つまり、王手であれば、まだ相手はそこから逃げられるわけです。
しかし、そこで逃げられたら、また次の王手を狙いにいく。
これを永遠に続けることが、学者としてのあるへき姿勢だとオルテガはいうわけです。
そして、これが楽しめてこそ、晴れて学者も貴族の仲間入りを果たすことが出来るというわけです。
貴族というものは、勇気や責任感を持ち、自分の意志を持つことを放棄した大衆には、決して迎合しない気高い精神を持つもの。
これを、政治家に置きかえるならば、それはイデオロギーに対する王手ということになります。
決して辿り着かないことは承知の上で、その真理を対する王手をかけることは諦めず、他者と共存できる粘り強さをもって永遠の微調整を続けていく意志がある政治家こそが、貴族ということになります。
オルテガにここまで言われると、貴族に対するイメージは、急上昇です。
この姿勢があることが貴族であるとするならば、庶民の中にも貴族は存在しそうです。
自分と異なる人と生きていける懐の広さと寛容性を持ち、そして地道に合意形成をしていく、粘り強さや克己心があれば、どんな立場の人でも貴族になれると言うことでしょう。
自分のトポス(場)をしっかりと持ち、社会の中でその役割を果たそうとする人は、どんな階層の中にも必ず存在するはずです。
届かないとわかっている真理、これは理想と言い換えても良いかもしれません。これに、決して背を向けないで一歩ずつ近づこうとする努力を怠らない人なら、誰でも貴族になり得るわけです。
おそらくそれは、恐ろしくまどろっこしく、際限なく面倒臭いことであるはずです。
しかし、今の政治家たちは、権力と金の力を使えば、そんな微調整をはすっ飛ばしても、真理はいとも簡単に手に入るだろうと勘違いしているように思えてなりません。
型を破ることは、決して自由になることではありません。
しかし、本書が執筆された20世紀初頭のヨーロッパにおいては、オルテガの目には、自由を求めることで、むしろその自由を自らの手で破壊しているような大衆の姿が映っていました。
伝統や慣習を破壊することは、それまでの自由を担保してきた秩序を破壊することに他なりません。
多数派の欲望による行き過ぎだ民主主義を、オルテガは超民主主義と呼びました。
そこにあるのは、ひたすら危険な、大衆による熱狂です。
自己の利益に目が眩み、フラストレーションの解放だけに身を任せたまま彷徨う大衆が、饒舌な独裁者に扇動されるとき、国家は破滅の道を歩み出します。
オルテガは、国家が道を間違えようとしている時に必要なものは、死者による民主主義だと言っています。
どういうことか。
まず、民主主義というものは、つまり「生きているもの」の多数決で決まる国家体制ではないかと彼は言うわけです。
ですから、その投票結果には、当然生きているものの意見しか反映されません。
これでは、人間が積み重ねてきた過去の叡智が蔑ろにされるということを、オルテガは危惧しているわけです。
死者は生きている。
オルテガの言う「生きている死者」とは、言い方を変えれば、死者たちは、死者となって存在しているということ。
過去の栄達の知見に真摯に向き合い、後ろを向きながら、ボートを漕いで前進するからこそ、ボートはまっすぐに進むことができる。これこそ、真の未来思考だとオルテガは言います。
イギリスの詩人でもあり、随筆家でもあるG・K・チェスタソンがこう言っています。
「伝統を守るということは、われらが祖先に投票権を与えることを意味する。 つまり死者の民主主義なのだ。 民主主義と伝統、この二つの観念は、少なくとも私には切っても切れぬものに見える。 われわれは死者を会議に招かねばならない。」
古代ギリシャの人たちは、石で投票したと言いますが、死者たちには、墓石で投票させろというわけです。
それでは、政治において、死者の意見を聞くという態度がどういうものであるか。
それが形になったものが、立憲政治ということになります。
そして、死者たちの叡智が直接反映されたものが、つまり憲法ですね。
憲法とは、主権を持つものが、為政者に対して、絶対に守らなければいけない権利を保障させた、権力暴走制御装置のようなものです。
ですから、これを守るためには、たとえ議会の多数派が支持しても、絶対に覆してはいけないものもあるわけです。
それに、歯止めをかけるのが、いつの時代であっても憲法ということになります。
つまり、憲法というものは、どの国のものであっても、その国の過去の死者たちが、多くの失敗を重ねた上でだどりついた金科玉条の知見を積み重ねた「死者の民主主義」による、産物であるということ。
どの時代であっても、不完全な人間が、多くの血を流し、失敗を繰り返すことでしか獲得できなかった真理だからこそ、今の人間の私利私欲やご都合主義で、そう簡単に覆してはいけない重みを持つものが憲法ということです。
生きている人間が投票して、多数派によって様々なものが決定していくのが民主主義だとすれば、死者が主体となって行う政治が立憲主義ということになります。
民主主義において陥りやすい「多数者による専制」に、歯止めをかけるものこそ憲法だと言うわけです。
政治における多数者目線からの改憲が、どれだけ危険なものかは、心しておくべきでしょう。
大衆社会の傾向として、ポーランドの社会学者ジグムント・バウマンがこう言っています。
一つは、大衆の多くは、クローク型共同体を形成する傾向にあるということ。
それは、観劇をするために集まった客が、クロークに荷物を預けて、観客席から観劇をしている間は、感動を共有しているが、劇が終了し、 劇場を出た瞬間にその共同性がは失われ、散り散りになるということ。
そして、それはカーニバル型共同体でもあるということ。祭りの間は、熱狂しているが、 祭りが終われば、その熱狂がはすぐに忘れ去られるというわけです。
大衆社会は、 祭りという形でしか共同ができなくなっている社会ではないかとバウマンは言うわけです。
これは21世紀になった、今日で考えれば、SNSでよく見かける、炎上が顕著な例だと言えそうです。
ターゲットを見つけて、バッシングをしているうちは、その熱気は盛り上がり、暴走しますが、一度熱が下がれば、あとは何事もなかったかのように、人々は忘れ去っていくというわけです。
オルテガはこう言っています。
「もしあなたが自分の時代をよく見たければ遠くからごらんになることだ。 クレオパトラの鼻が見えなくなるだけの距離から見ればよい。 」
どういうことかと考えてみると、つまり世の中は、近距離から近視眼的に眺めると見間違うと言うこと。
目の前の、熱狂があるのなら、そこを俯瞰できる位置まで距離を置いて、長いスパントと、広い視野を持って眺めてみること。
そうすると、それはおそらく違ったものに見える可能性が高いよということではないかと思うわけです。
かつて、チャップリンはこう言っています。
「人生は近くで見ると悲劇だが、遠くから見ると喜劇である。」
日本の保守論客として著名な人物に、西部邁という人がいます。
この人は、2018年に、自ら自裁死と名付けた尊厳死を選んで、多摩川に入水自殺をした人ですが、この人が、貴族についてこう述べています。
「共に独りでいることの緊張に堪え抜く精神 。
つまり大衆に迎合することも唯我に自閉することもない精神 。
それがオルテガのいう貴族、選良あるいは勝れた少数者たることの条件である。」
大衆の波に飲まれることなく、自分に奢ることなく、どんな少数の意見に対しても耳を傾け、合意形成に努力するもの。
そんな人こそ、真の保守のリーダーとして相応しいというわけです。
問題を解決する最良の方法は、決して拳の問題ではない。それはいつだって尻の問題だとオルテガはいいます。
つまり、殴り合うよりも先に、大切なことは、まあ、座れよ、そこに座って話してみないかという方法を選択する姿勢だということでしょう。
共同体には、およそ2つのタイプがあると言われています。
それは大きく分けて「ボンディング型」と「ブリッジング型」です。
ボンディン グ型の共同体は、閉鎖的だが結束力が強いタイプ。
この共同体に属すると、人々は息苦しさを感じ、他の共同体に対する排他的な意識を植え付けられます。ブリッジング型は 、結束力こそ強固ではないけれど、それ故に、特定集団内に限らず、 他の性質の集団等と自己の集団を橋渡し(ブリ ッジ)していけることが可能なタイプです。
民主主義を支えていくものは、明らかに後者でしょう。
全体が一つにまとまろうとすることよりも、複数の共同体が、閉鎖的になることを避け、開放的に、他の共同体とブリッジングして繋がっていく方が、全体的に見ても、健全な民主主義は育まれていくというわけです。
熱狂しているものの怖さは、全体が一つになって、何か一つのことを盲信している、その怖さです。
そして、そこからはずれる他者を、一丸となって排除していく怖さです。
この恐怖を、我々は、21世紀の日常の中でも、世界の歴史の中でも嫌というほど見てきました。
大衆というものは、いつでも熱狂に群がり、そして一気に忘れ去っていく。
それこそが、大衆の怖さです。
あのヒットラーの政権も、きちんとしたドイツの民主主義の手続を踏んで誕生したことを忘れるべきではないでしょう。
それは、ナポレオンも、ムッソリーニも、ポル・ポトも皆同じです。
彼らの登場を、どの国民も皆一度は歓喜で迎えたことは、紛れもない歴史上の事実です。
その熱狂の真っ只中にいた国民は、皆間違いなく、オルテガの言うところの大衆そのものでした。
その熱狂に身を委ねた結果、彼らの運命に待ち受けていたものは大きな不幸でした。
影響力の強い何かにすがり、 その力を盲信的に信じて従うことは、自分で何も考えなくてもいいという意味では、とても楽な選択です。
しかし、それがとても危険な選択であることは歴史が証明しています。
どんなに、面倒でしんどいことではあっても、きちんと自分の頭で考え、周りと合意形成をしながら、コツコツと共同体を営んでいくことが、自分を 「大衆化」させないための、たったひとつの方法であることは 、どうやら間違いなさそうです。
大衆の渦に巻き込まれずに、正当なリベラル保守として、社会の一員を担おうとするなら、その根本にあるべきものは、利己の対極にある利他の精神かもしれません。
利他とは、自分を犠牲にしてでも、他人の幸福のために行動できることです。
資本主義の世の中に、どっぷり浸かっていると、行動の基準は等価交換で図られることが多くなります。
つまり、誰かに何かされたら、常にその相手に対しては、その瞬間から、同じ価値のものを返す義務が発生するというのが資本主義における常識です。
もしくは、その行為に対する自分への評価を期待していると言うことも、等価交換に含まれるといってよいでしょう。
寄付や、奉仕活動をすれば、それは売名行為だろうと言われてしまうこともしばしば。
他人からの純粋な善意に対して、返すことが義務になるのなら、そんな面倒臭いものはいらないとなってしまえば、これはこれでギスギスとした社会になってしまいそうです。
資本主義の社会においては、利他の成立はなかなか難しく、どうしても、利己が頭をもたげてしまうことになります。
例えば、こう考えてみるとどうでしょうか。
他人から受けた善意は、その相手に対して返すのではなく、どこか違う場所で、違う相手に返すことで、収支を合わせるということを人々が当たり前のマインドをとして共有し、その善意のリレーが共同体の中でシステムとして定着し、それが習慣となり、文化になっていけば、大衆の暴走が、発生しにくい「貴族的」な社会が築けるのではないか。
オルテガは、現代人が人間の理性を過信しすぎてはいないかと警鐘を鳴らしています。
元来人間というものは、知的にも倫理的にも、不完全なもの。
どんなに優れた人であっても、時にはエゴイズムに囚われ、嫉妬や保身からから逃れることができない弱い部分は、常に併せ持っていると考えるべきでしょう。
そう考えれば、誰でも、判断を誤ることはあるし、モラルに反する行動を取ってもおかしくありません。
しかし、残念ながら、我が国の政治家や官僚諸氏は、自分たちは間違うことはないということを大前提にしているように思われます。
いわゆる、無謬性と言うやつですね。
過去においても、現在においても、未来においても、自分達は決して間違わないと決めてしまっているわけですから、ひとたび間違っていることが明らかになると、非常に厄介なことになります。
彼らは、中断することも、やり直すことも決してしません。
それをすれば、自分達が間違ったことを、正式に認めてしまうことになるからですね。
従って、謝罪をすることも、反省することもありません。
彼らが腐心するのは、それが間違った判断でなかったことを、ひたすら理論武装することです。
今回のコロナ騒動においても、我が国の優秀な官僚、とりわけ医系技官たちは、初動において、明らかに判断を間違えました。
自分達の天下り先確保のため、PCR検査の窓口を保健所に集中させ、これがパニックになってくると、今度はPCR検査をすることが、かえってパンデミックを増長するなどと公言するようになりました。
これにより、日本のPCR検査実施状況は、世界中のどの国よりも遅れをとり、コロナ対策は以降の全てが後手後手となっていきます。
実態を正確に把握できないのですから、何をやってもトンチンカンな対策ばかりになるのはあたりまえの話。
全ては、この最初のボタンのかけ違いから発生していることは明らかです。
以降は、その間違いを正当化するための屁理屈のオンパレード。
コロナの感染の原因は、エアロゾルによる空気感染であることは、もうすでに二年も前から世界の常識なのに、彼らはあくまで飛沫感染と、そのための対策にこだわり、あいも変わらず、飲食店をいじめ抜いた挙句に、やっとこれを、空気感染であると認めたのは、つい先日のことです。
オルテガの言う通り、このエリートの面々は、自分たちの優秀さを過信して、ただあぐらをかいているだけの大衆となんら変わらないと言うわけです。
彼らが、もし貴族であるならば、まず利己や保身に溺れることはないでしょう。
謙虚に、自分達の不完全さを認め、イエスマンではない優秀な専門家たちの意見にも耳を傾け、自分たちが間違っていることが判明したら、素直に謝罪して訂正するはずです。
今回のコロナは、彼らが判断の拠り所にしてきた、過去のデータには一切載っていない、始めての出来事です。初めてのことなら、例え判断を間違えても、それはむしろ当然のこと。
間違えたなら、それを素直に認めて、仕切り直せばいいだけです。
しかし、彼らの根拠のない過信と、歪んだプライドがそれを拒みます。
結果、我が国のコロナ対策は、いまだに世界とは周回遅れの最悪の状況となっているわけです。
コロナ対策だけではありません。
原発にしてもそうです。
原発をどうするべきか。その答えは、もうとっくに出ているはずなのに、彼らはいまだに屁理屈をつけては、再生可能エネルギーに舵を切ろうとはしません。
あれだけのことがあっても、彼らは、いまだに原発を間違いだとは認めようとはしないわけです。
なぜなら、それを認めてしまえば、自分達の優秀さが担保できないからに他なりません。
彼らにもし、自分たちの不完全性も、弱さも認めた上で、間違いは素直に認め、他者の言葉にも耳を傾ける素養があったならば、公文書改竄、統計不正など、ここ数年の官僚の相次ぐ不祥事もなかったのではないかと考えさせられます。
こうした人間の不完全性を強調し、個人の理性を超えた伝統や良識の中に座標軸を求めていくのが、オルテガのいう「保守思想」です。
本書を読んで、保守に対する考え方は、だいぶ修正された気がします。
どちらかといえば、現状に不満をタラタラと述べまくり、これを一掃してくれる勢いのある革新にばかり、いつもエールを送っていたようなところがありましたが、これが実は大変危ない大衆思想なのだと言うことを、本書を読んで思い知らされました。
それと同時に、今の自民党が、決して本来の保守ではないと言うことも見えてきた気がします。
本書を読んでみると、今年の7月に行われる参議院選挙で、自分の一票をどう行使するかは、少々混沌としてきてしまいましたが、「大衆」としてではなく、あくまで「貴族」の意識を持って、これからの政局なども勉強しつつ、決めたいと思います。
忙しいから、投票に行かないなどと言っていると、「大衆の反逆」が待っていそうです。