世界史の中には、明らかにサイコパスだろうと思われる人物がかなりの頻度で登場してきます。
やはり、世の中や体制を変えるようなシーンで活躍できるような人物となれば、普通の感覚の持ち主では、つとまらないということは、あるのかも知れません。
織田信長は、典型的なサイコパスだとよく言われますが、あれだけ魅力的なカリスマ性を持ったリーダーではありましたが、敵将の頭蓋骨を盃にして酒を飲むだとか、比叡山の僧侶たちを寺ごと焼き殺すだとか、伝えられるエピソードは、やはり尋常ではありません。
ヒットラーに関しては、いうまでもありませんが、あのホロコーストは、世界史をたどってみても、人類の犯した犯罪としては、最悪のものでしょう。
サイコパスの特徴は、よくこう言われます。
良心が異常に欠如している。
他者に冷淡で共感しない。
平然と嘘をつく。
罪悪感が皆無。
自尊心が過大で自己中心的
饒舌で表面は魅力的。
歴史上の人物として、評価されるためには結果が全てです。
その人物が例えサイコパスであろうがなかろうが、そんなことは関係なく、その業績が歴史に刻まれれば、歴史を勉強する世界中の学生たちは、その名前を頭に機械的にインプットしてくれます。
歴史は綺麗事ではありません。
世界史に名を刻む人物は、皆様清濁併せ持ってなんぼ。
大偉業を達成する裏側では、悪魔との取引に応じてしまうような人物もたくさんいるのでしよう。
脳医学の見地から言うと、人間の100人に1人はサイコパスだと言います。
これが犯罪者という括りに絞って調べると、その割合は10人に1人。
ところが、これを会社のCEOや、医者、弁護士といった人たちだけに特定すると、その割合は4人に1人と、一気に跳ね上がるそうです。
つまりこのサイコパシーも、活かし方次第では、人生の勝ち組に導いてくれる資質に転化できるという話ではあります。
Apple の創始者スティーブ・ジョブスなどは、サイコパスであった可能性がかなり高そうです。
彼も、もはや現代史にその名を刻む偉人の1人かもしれませんが、もしも世界史に登場する権力者たちで、サイコパス率をはじき出せるとしたら、おそらく、その比率は、それ以上に跳ね上がるような気がします。
さて、そう思わせるような、サイコパスの権化のような政治家が一人脳裏に浮かびます。
20世紀前半に、ソ連の指導者として君臨したヨセフ・スターリンですね。
レーニン亡き後、ソビエト共産党のトップに立った彼は、徹底的な恐怖政治を断行して、自分に全ての権力を集中させることに成功します。
国家体制を強固なものにするためには、国民の犠牲など当たり前。
スターリンは、秘密警察を組織し、自分に批判的な言動をしたものを片っ端から逮捕していきます。
捉えられたものはろくな裁判も受けられず、即決で死刑にされてしまうか、あるいは強制収容所に送られ、死ぬまで過酷な労働に従事させられます。
ソ連の過酷な自然の中に建設されていくインフラのほとんどは、彼らの無償の労働力によって、人件費をかけずに作られていきました。
また農作地の全ては国が管理し、生産された作物は全て国が没収していきます。
農民たちには、わずかな農作物しか与えられません。
当然のように、農民たちの労働意欲は減少し、生産量は激減。しまいには豊潤な穀倉地帯であったはずのウクライナで、餓死者が出る始末でした。
マルクスの掲げた共産主義の理想は、スターリンによって、完全に権力維持のための国家社会主義に都合よく捻じ曲げられ、彼は独裁者として30年に渡って君臨し続けます。
スターリンの在位中に亡くなった国民の数は、5000万人ともいいますから凄まじいものです。
そして、このスターリンの政治に大いに感化された政治家がお隣の国にいました。
中華人民共和国という、社会主義の国を立ち上げ、そのトップに立った毛沢東ですね。
政敵であった蒋介石率いる国民軍に勝利するまでの手腕は、確かにしたたかで見事なものでしたが、いざ彼がトップに立ってみると、この人の国を運営するセンスは最悪でした。
市民生活を徹底的に犠牲にして、不満を言う国民には容赦ない弾圧を加えながら、彼が躍起になったのは、迅速な工業化を進めて国力を上げること。
しかし、彼の打ち出す政策はどれもトンチンカンなものばかり。
この大躍進政策の失敗で政権を追われても、彼は政権奪取を諦めず、血気盛んな学生たちを煽るだけ煽って、今度は文化大革命を敢行。
知識人や政治家を処刑しまくります。その数およそ3000万人。
毛沢東の思想や社会主義以外の全て思想は、激しく弾圧されていきます。
最終的に、彼が国家を率いていた期間で、犠牲になった国民の数は、およそ8000万人ともいいますから、数だけで言えば、スータリン以上のサイコパス独裁者だったと言えます。
「社会主義とはそういうものだ。国家を維持するためには、それくらいの犠牲は仕方のないこと。」
この人にも、スターリン同様国民の痛みを感じるセンサーなどまるで作動しないということは明白でした。
さて、この2人の社会主義政治家に大いに刺激されて、「原始共産主義」という自分の理想に辿り着き、これを実践すべく、国家の権力奪取を虎視眈々と伺おうとしている不穏な政治家が、カンボジアにいました。
それが、ポル・ポトです。
この人は、学生時代にパリに留学しています。
そこで、彼は共産主義と出会います。
しかし、若き日のポル・ポトは、あの崇高で分厚いマルクスの「資本論」を読んでも、難しすぎてまるで理解できなかったといっています。
その彼が、手に取った一冊の本が、スターリンの著作でした。
これは、共産主義を称えながらも、これを利用した自らの政権運用術を誇示するような内容で、これに従わないものは排除してゆくことを堂々と宣言している過激なものでした。
ポル・ポトはこの本に、ハマりました。
「これなら、わかる!」というわけです。
マルクスの目指した理想は、あくまで共産主義でしたが、資本主義から共産主義に至る前段階として、国家が資本を管理する社会主義に移行する時期は必要だということは述べています。
しかし、権力志向のある政治家にとっては、この社会主義こそ蜜の味でした。
共産主義という看板はおろさずに、国家が国民を私物のように完全統治する社会主義という名の独裁政治の確立に邁進したのがスターリンでした。
若き日の2人は、共に素行不良のアウトローでしたので、何処か波長が合うようなところがあったのかもしれません。
ポル・ポトは、このスターリンの思想に、大いに刺激されます。
彼にとっての共産主義は、マルクスの難解な理論などではなく、わかりやすいスターリンの独裁政治の実践ノウハウの向こう側に見えている危うい共産主義でした。
試験に何度も落ちたため、奨学金をストップされた彼は、それでも共産主義革命に、意気揚々と若き血潮をたぎらせて、祖国カンボジアに戻ります。
そこで、ポル・ポトが目の当たりにした祖国は、フランスに植民地化され、蹂躙されていました。
カンボジアの人々は、祖国を取り戻すべく、必死に抵抗していましたが、激しい戦いのために、国土は荒れ果てていました。
黒王シハヌークは、武力による祖国奪回は無理と考え、国際社会にカンボジアの現状を訴え、国際世論を武器にして、カンボジアの独立を勝ち取ろうと、世界各国を飛び回っていました。
これに賛同した国民たちは、団結して、シハヌークを支持し、カンボジアは、彼を元首として、1953年に独立を果たします。
しかし、彼の樹立した政権は、国家社会主義と呼ばれるもので、あくまで共産主義を目指すポル・ポトは、政権を脅かす存在として、迫害の標的となりました。
ポル・ポトは、仲間たちを引き連れて、ジャングルの奥に逃げ込み、そこを活動の拠点にします。
彼は、ここで、自らも鍬を取り、農業を中心とするコミュニティを作りはじめました。
そして、その暮らしの中から、文明こそ諸悪の根源だという思いを抱くようになり、農業を最優先にした原始社会に戻ることこそ、理想の共産主義社会が実現した社会だという結論を得るようになりました。
この期間中に、ポル・ポトは、中国にも出かけて、毛沢東式の農村政策にも触れ、研鑽を受けています。
ポル・ポトが、そうしてジャングルの中で、原始共産主義に目覚めている頃、すぐその隣ではベトナム戦争が始まっていました。
国家社会主義のカンボジアは、共産主義国を目指す北ベトナムを支援するようになります。
これが、南ベトナムを応援しているアメリカを刺激します。
当時のアメリカでは、ドミノ理論という考え方が支配的で、これは、共産主義の国が一つ出来てしまうと、周辺の国がドミノのように共産主義化してしまうという危機感を表したものです。
この危機感から、アメリカはカンボジアの内政に干渉を始めます。
カンボジア政府の中で、親米反ベトナムの態度を明確に表明していた首相兼国防大臣のロンノルを神輿に担ぎ、軍事クーデターを起こさせます。
アメリカのパックアップを得たロンノルは、議会から国王を追放し、大統領に就任した後、一気にカンボジアの実権を掌握します。
しかし、こういった経緯で誕生したロンノル政権は、ほとんど国民の支持を得られませんでした。
アメリカからの莫大な資金援助は、政府の役人たちが横領しまくり。
しかも、国内に北ベトナム軍をかくまっているというアメリカ軍からの難癖を認め、国内への空爆を許可してしまう始末です。
これにより、カンボジアの農村は、アメリカ軍により壊滅的に破壊され、数十万人が命を落とし、200万人もの国内難民が発生してしまいます。
この状況の中で台頭してきたのが、ポル・ポト率いるクメール・ルージュです。
同じ共産主義を目指す北ベトナム軍の支援を受け、かつては敵対視されたシハヌークとも、協力関係を結んだクメール・ルージュは、国民の支持を得ながら、ロンノル政権を追い詰めます。
ロンノル政権の後ろ盾となっていたアメリカ軍が、ベトナム戦争の終結を受けて一斉撤退をするとロンノル政権は総崩れとなります。
クメールルージュは、この戦いに勝利し、政権の実権を握ると、協力をしていたシハヌーク国王を宮殿に幽閉。
万全の体制を整えたポル・ポトは、ここから、兼ねてから温めていた原始共産主義の理想を達成すべく、カンボジアの大改革を実行に移します。
これが以後4年にわたって繰り広げられる、カンボジアの悪夢の始まりでした。
まず、手始めに、ポル・ポトは、プノンペンに住む都市住民たちに、こう伝えます。
「ここはまだ空爆される恐れがあります。すべての住民は、一時的に農村へ避難してください。」
しかしこれが、大嘘でした。
原始共産主義に、都市機能は必要ありません。
全ての住民は、農村に強制移住させられ、農業に従事させられました。
これに、抵抗した者は皆、問答無用で虐殺されていきます。
ポル・ポトの掲げた理想は、原始時代に戻ることですから、トラクターやコンバインなどの農業機器は一切使わない、手作業だけの農業です。
都市から移住させられた住民たちは、劣悪な環境の中で、早朝から夜遅くまで、灌漑施設の建設や食糧生産のために、牛馬の如くボロボロになるまで働かされました。
反逆者は容赦なく虐殺されましたが、恐ろしいのは、その一家は、赤ん坊も含め全員が丸ごと虐殺されたことです。
家族を残しておけば、いずれは政府に反抗する不穏因子になるだろうというのがその理由です。
ポル・ポトの脳裏には、スターリンや毛沢東の声が聞こえていたのかも知れません。
彼は、自らの理想を次々と実践していきます。
財産を持つことが、人間の腐敗につながるという理由で、彼は国民から全ての財産を没収し、貨幣を国内から抹殺するために、銀行を全て閉鎖。
さらに、教育や医療も、原始社会には必要ないと、学校や病院も取り潰していきます。
そして、平等な原始社会を作るためには、知識や教養そのものが邪魔になるとみなし、医者、教師、エンジニア、学生といった知識や技術を持ったものを言葉巧みに集めては、次々に虐殺していきます。
こんなとんでもない政策を実行していれば、国力が下がり、貧しくなっていくのは自明の理です。
しかし、ポル・ポトは、これを国内に資本主義国のスパイが紛れ込んで、誘導しているからに違いないと決めつけ、いるはずのないスパイ探しのために、兵隊を組織します。
この兵隊に選ばれたのが、こともあろうに、全て10歳前後の子供たちです。
その理由は、子供たちなら、資本主義の垢にまみれていないということなのですが、もちろんコントロールが容易であるということが最大の理由であることは明白。
この子供兵士たちによって、文字が読める、ラジオを聴いている、外国語がわかる、しまいには、メガネをしているという理由だけで、多くの役人や知識人がスパイとみなされて虐殺されることになります。
そんなとんでもない国家運営が罷り通っているカンボジアからは、多くの国民が北ベトナムへ逃亡していきました。
そんな脱走者を抹殺するため、カンボジア軍が隣国に侵攻し、現地住民ごと虐殺するという、とんでもない事件が起きると、北ベトナムも、さすがに黙っていません。
亡命してきたカンボジア人を保護するという名目で、ベトナム軍はカンボジアに対して武力侵攻を始めます。
つい昨日までアメリカ軍と実戦を交えていた経験豊富なベトナム軍に対して、カンボジア軍にはもう、組織的な戦闘を展開できるだけの余力はありません。ましてや、兵士は皆子供たちです。
ポル・ポトは、その4年にわたる統治で、カンボジアをほとんど回復不能な状態に崩壊させたまま、数人の仲間と共に、再びジャングルの中に逃げ込んでいきます。
彼が去った後のカンボジアの原野には、虐殺されたカンボジア国民200万人の白骨が、キリング・フィールドとなって続いていました。
「キリング・フィールド」は、ピューリッツァー賞を受賞した実在のジャーナリストであるシドニー・シャンバーグが取材したカンボジア内戦のルポを原作としています。
映画は、この内戦に、アメリカ軍が介入し、ベトナム戦争終結を受けて、現地から撤退する中、主人公シドニーが、共に命をかけて取材をした現地通訳兼記者のディス・プランをやむなく現地に残して帰国し、やがてポル・ポトの集団農場から決死の思いで脱出したプランとの再会までを描く骨太の実録映画です。
主演は、サム・ウォーターストン。
しかし、ディス・プランを演じた助演のカンボジア系中国人俳優のハイン・S・ニョールの存在感が、本作では圧倒的でした。
映画の後半は、カンボジアに残されたプランの、集団農場での過酷な日々が延々と続きます。
主演者よりも、圧倒的に出番の多い助演でした。
気になってWiki で調べたらビックリ。
なんとこの人は、ポル・ポト政権下のカンボジアで、実際に集団農場に拉致されて、4年間を過ごした経験を持っていました。
彼は、カンボジアで産婦人科医をしていたようたですが、当然、処刑されないように、その身分も、教育を受けたこともひた隠しにして、脱出の機会を伺い、やがてそれを実行してアメリカに亡命したという人物です。
演技者としては、全くの素人でしたが、この映画の制作にあたって、キャスティング・ディレクターに見出されることになります。
しかし演技のキャリアなどなくとも、あの地獄を実際に経験した当事者として、彼の演技には、圧倒的な説得力がありました。
思い出したのは、1946年に作られたウィリアム・ワイラー監督の代表作「我等の生涯最良の年」で、退役軍人の一人ホーマーを演じたハロルド・ラッセル。
彼は軍役中の事故で、両手を損傷しており、実際にその両手は義手でした。
彼は、監督に見出されて、この映画で俳優デビューをしていますが、この演技でアカデミー賞助演男優賞を受賞することになります。
ハイン・S・ニョールも、同様に本作において、同賞やゴールデングローブ賞の助演男優賞を受賞していますが、その選出においては、多少なりともハロルド・ラッセルの受賞の経緯が意識されていたかもしれません。
映画後半の、ディス・プランの脱出劇を見ていて、脳裏によぎったのが、アラン・パーカー監督の「ミッドナイト・エクスプレス」です。
この映画は、トルコ旅行中に、麻薬不法所持で捕まった主人公が、30年もの刑期を言い渡され、過酷な刑務所から自力で脱出するというもの。
主演のアラン・デイビスと、ハイン・S・ニョールの押し殺した表情が、映画のあちこちでダブりましたが、エンド・クレジットを眺めていてビックリ。
なんと、「ミッドナイト・エクスプレス」のプロデューサーでもあるデビッド・パットナムが本作のプロデューサーでもありました。
ちなみに、この人のプロデューサーとしてのデビュー作は、あの「小さな恋のメロディ」です。
今回見た映画は、WOWOWでかつてオンエアされたものを録画してあったDVDコレクションの中の一枚です。
この映画の公開当時は、まだ社会人一年生の頃でしたから、そろそろ学生の頃のようには、映画館に通えなくなった頃です。
この年以降公開の映画には、見たいと思って見られなかった映画も多く、その後の衛星放送で、録画だけはしてあって、整理棚に眠ったままという作品がかなりあります。
いよいよ今年から、年金もいただけるようになり、老い先短い身にもなりましたので、これからはセッセと蔵出しコレクションからDVDを引っ張り出して、映画鑑賞を楽しんでいこうと思います。
カンボジアのこの悲惨な歴史も、ポル・ポトの名も、この映画に関する情報を映画雑誌などで触れて、初めて知ったような記憶です。
今は便利な時代で、こんな老人百姓でも、YouTube動画やGoogle で検索しただけで、この映画の時代背景が克明にリサーチできます。
本作は、カンボジアの内戦を描いていますが、ポル・ポト自身は役としては登場していません。当時のカンボジアの憂慮すべき状況を正確に描いておらず、ジャーナリスト二人の友情物語にウェイトを置き過ぎているという批判はあったようです。
確かに、2人の再会のシーンに、BGMとして流されるジョン・レノンの「イマジン」は、この映画の背景にある重々しすぎる史実を考えれば、如何にも安直すぎる演出ではないかという気もします。
本作を観賞後、この事件の背景にある様々な世界史的事実を色々と検索してみましたが、歴史における代表的サイコパス的独裁者が、いずれも社会主義国家の中から現れたというのは、とても興味深いところです。
もちろん、それを社会主義や共産主義のせいにするつもりはありません。
それを言っては、崇高な理想をもとに「資本論」における共産主義世界の実現を説いたマルクスに対して申し訳ない気がします。
リサーチする限り、スターリン、毛沢東、ポル・ポトと、どの人物をとっても、マルクスの渾身の著書に、まじめに向きあったという形跡がありません。
いずれも、自分の権力掌握と理想追求のために、「資本論」の美味しいとこ取りをして、利用したに過ぎないように思えます。
歴史に名を残すこの三名の独裁者が、もっと真摯に「資本論」に向き合ってくれていたら、ソ連、中国、カンボジアの国民の運命は、違ったものになっていた気もします。
この三名に明らかに共通していることは、インテリたちを、徹底的に迫害したという事実です。
もしかしたら、彼らの中にある知識や教養に対するコンプレックスが、この容赦ない弾圧を実行させたトリガーになったようにも思えます。
2020年に「人新生の資本論」を発表した斉藤幸平氏が、とあるインタビューでこんなことを言っていました。
「共産主義の国家の本場である中国に講演に行って、多くの共産党当局の人と話して分かったことは、彼らは誰一人まともにマルクスの『資本論』を読んでいないということ。その代わり、習近平書記長の著作なら何度も熟読している。」
今回のウクライナ問題においても、今やアメリカと共に、戦争終結のキャスティング・ボードを握っているのは明らかに中国です。
同じ社会主義国家としては、今やロシアを追い抜いて、アメリカと共に世界の覇権を握ろうかという中国。
老百姓ごときには、現代の社会主義国家の雄であるこの二大国家の指導者が、果たしてサイコパスであるかどうかの判断はつきませんが、もし仮にそうであったとしても、大国のリーダーとしては、時には必要でもあるかも知れないその資質が、最終的に国民を不幸にすることに使われることのなきよう祈るのみです。
権力など持ったもことのないものには、その魔力も魅力も、想像するしかありませんが、それを手中にした独裁者たちの中で、ポル・ポトにだけは明らかな相違点があるような気がしています。
それは、少なくとも彼だけには、私利私欲がなかったということ。
彼は農民たちと一緒に質素な暮らしをしていましたし、農作業にも積極的に参加していました。
ただ、自分の理想とした世界を実現することだけに、その生涯をかけて邁進していただけと見ることも出来ます。
しかし、彼に国民の痛みを理解することは最後まで出来なかったことは事実。その後タイ国境近くのジャングルに逃げ込んでから死ぬまで、自分のしたことへの悔恨と罪悪感を語ることは皆無でした。
いずれにしても、カンボジアの当時の人口の25%にあたる国民を、一人の独裁者が虐殺したという重い事実だけは、永遠に世界史に刻まれます。
ロシアのプーチン大統領や、中国の習近平国家主席が、あるいはアメリカのバイデン大統領が、果たして最終的にどういう形で、世界史に名を残すことになるのか。
今現実に戦火の中にあるウクライナで行われている戦争の行方が、それを大きく左右することになるような気がします。
彼らがサイコパスであろうがなかろうが、歴史においては、その結果だけが、彼らを評価することになります。
豊穣なウクライナの大地が、悍ましい「キリング・フィールド」となり果てる光景が、カンボジアの荒涼とした大地に、夥しい遺体が朽ち果てて白骨になって並んでいる光景と重なります。