ひまわり
1970年公開のイタリア映画の傑作が「ひまわり」です。
大人のメロドラマとしてあまりに有名な作品なので、とっくに見た気になっていましたが、実は未見でした。
本作を見た気になっていた最大の理由は、あまりにも有名なテーマ曲のせいでしょう。
音楽を担当したのは、ヘンリー・マンシーニ。
アメリカの人でしたが、このイタリア映画にも楽曲を提供して、アカデミー賞劇映画作曲賞を受賞しています。
実は子供の頃、我が家には、「映画音楽大全集」(仮題)みたいな、当時の有名な映画音楽を24曲収録した2枚組のLPレコードがありました。
中には、カラー・グラビアによる映画の解説書がついていて、これはあの当時何度も読み返していましたね。
僕が映画にのめり込んでいくきっかけになったのがこのレコードでした。
70年代初めの頃のレコードでしたから、選曲は主に60年代の名作映画が中心でしたが、本作の主題歌ももちろん収録されていました。
もちろんこの曲も、お気に入りの一曲でした。
見渡す限りのひまわり畑の中に佇むソフィア・ローレンのスチール写真も記憶に鮮明で、大体のストーリーも、その解説書で把握していましたので、その画像と繰り返し聞いた主題歌の刷り込み効果で、この映画を見た気になっていたのかもしれません。
本作の監督はイタリアの名匠ビットリオ・デ・シーカ。
出世作は、1948年に製作されたネオリアリズモ映画の傑作「自転車泥棒」でしょうか。
50年代には「終着駅」という恋愛メロドラマの秀作も作っています。
ソフィア・ローレンに、アメリカでアカデミー賞主演女優賞を取らせた「二人の女」は、なかなかハードな作品でした。
60年代に入ると、今度は一転してラブコメ路線に作風を変えていきますが、ここでタッグを組んだのが、マルチェロ・マストロヤンとソフィア・ローレン。
「昨日・今日・明日」や「あゝ結婚」は、テレビで見ましたが、いかにもイタリアらしい陽気でたくましい恋愛映画でした。
そして、このコンビを三度起用して製作したのが本作です。
ある意味では、本作は、デ・シーカ監督の集大成と言ってもいい映画で、映画の前半はマストロヤンニとローレンの息の合ったラブコメ展開。
そして、映画の後半は、シリアスなメロドラマという、監督のキャリアを一作に凝縮したような構成になっていました。
本作のウリは、なんと言っても、1970年当時ではまだ前例がなかった、西側国の映画撮影クルーが、当時のソ連にカメラを持ち込んだロケ撮影です。
ソフィア・ローレン演じるジョバンニが、生きていると信じる夫を捜しに、モスクワを歩き回りますが、赤の広場やレーニン廊も撮影されていましたし、サッカーのレーニン・スタジアムもバッチリ。
プロデューサーの、ジョセフ・E・レヴィンや、ローレンの夫でもあるカルロ・ポンティが、ソ連側と粘り強く交渉した成果です。
しかし、それよりも何よりも圧巻なのは、やはり画面いっぱいに広がるひまわりの群生映像。
これは、実際にソ連のロケで撮影されたものですが、デ・シーカ監督は、この風景に感銘を受けて、本作のタイトルを「ひまわり」にしたと言っています。
マストロヤンニは、イタリアの国民的俳優ですが、その自由で、スケベ丸出しのチャラ男ぶりで、ゆるゆるの「愛され」キャラ。
ハリウッドのトップ男優にはいないタイプで、日本でも人気がありました。
ソフィア・ローレンは、その巨大なバストから発散される「陽」のセックス・アピールで、世界中の男子を魅了した女優です。
そして、この二人のメリハリの効いた明暗演技があるゆえに、戦争が引き裂いた男女の哀切極まるラストが胸に染みてくるわけですが、個人的にポイントが高かったのは、ロシア女優のリュドミラ・サベリーエワ。
出番こそ少なかったものの、彼女のひたむきな可憐さには胸を鷲掴みにされました。
ソ連の国家的超大作「戦争と平和」で、ヒロイン・ナターシャを演じたのが彼女でしたから、やはりソ連では国民的大女優なのですが、個人的には本作の印象の方が勝ります。
全ての事情を飲み込んだ上で、帰ってくると信じて、夫をジョバンニの元へ行かせるその健気さは、個人的にはソフィア・ローレンの大粒の涙に勝りました。
ソ連の役人に連れられて、ひまわり畑の中にある戦没者の墓に案内されるジョバンナ。
役人はこう言います。
「この一面のひまわりが咲く大地の下には、今でも無数の外国人兵士の屍が眠っています。」
おそらくは、スターリンに粛清された多くのソ連の人々の遺体も一緒に埋められているのでしょう。
このひまわり畑が撮影されたロケ地は、NHKのドキュメンタリーで、当時ソ連のチェルニチー・ヤール村だと特定されています。
この村のあるポルタヴァ州は、現在のウクライナ。首都キーフの南に位置する中部の州です。
50年前と変わらずに、ひまわりが一面に広がる大地には、今回の戦争で、また新たな犠牲者たちの屍が埋もれていくのかもしれません。
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