「桜が咲いております。
懐かしい葛飾の桜が、今年も咲いております。」
映画冒頭の車寅次郎のモノローグです。
「男はつらいよ」シリーズの記念すべき第1作目は、20年ぶりに、寅さんが故郷の葛飾柴又に帰ってくるところからスタート。
もちろん「記念すべき」は、今だから言えることで、山田洋次監督も、この映画がまさか、以降延々と50作も作られる国民的大ヒットシリーズになるなんてことは、夢にも思っていなかったようです。
「男はつらいよ」は、元々はフジテレビ系の人気テレビ・ドラマでした。
今でこそ、メディア・ミックス企画は当たり前ですが、当時はまだまだテレビ・ドラマは映画に比べて格下扱いでしたので、テレビ・ドラマの映画化は非常に珍しいパターン。
このドラマの、原案と脚本を、フジテレビから依頼されたのが、松竹の新人監督だった山田洋次。
当時すでに売れっ子だった喜劇俳優渥美清を主演にして、ドラマは全26話が作られましたが、視聴率は尻上がりに伸びて、日本国中に寅さんファンを獲得していきます。
このドラマの最終話で、車寅次郎は、奄美大島でハブに噛まれて死んでしまうという展開になるのですが、放送終了後に、なんと「なぜ寅さんを殺すのか!」という苦情の電話が殺到します。
主人公車寅次郎が、想像以上に視聴者の心を掴んだキャラクターになっていたことに想い至らなかったことを猛反省した山田監督は、松竹と掛け合って、自分がドラマの中で殺してしまった寅さんを、映画で復活させる企画を実現させます。
そうすれば、ドラマの寅さんを愛してくれた視聴者も納得してくれるだろうとという、せめてもの罪滅ぼしのつもりの映画化だったんですね。
松竹上層部はもテレビドラマの映画化に、最初は難色を示していたようですが、結局ゴーサイン。
しかし、いざ蓋を開けてみれば映画は大ヒットするわけです。
渥美清演じるフーテンの寅は、本作をきっかけに推しも推されぬ国民的キャラへとなっていくわけです。
さて、映画冒頭、山本直純のお馴染みのテーマ曲が流れると、矢切の渡しに乗った寅さんは、江戸川土手の、懐かしい故郷の空気を吸っています。
驚くのは、ファーストカットの寅さんが、なんとネクタイをして、エナメルの革靴を履いて登場するんですね。
帝釈天の庚申祭りで、山車の行列に飛び入りして、纏を元気よく振り回したりする寅さん。
映画が公開されたのは、1969年ですから、1928年生まれの渥美清もまだ41歳。
動きもキビキビして実に溌剌としています。
さて、映画冒頭の山場は、なんといっても、20年近く離れ離れになっていた妹さくらとの再会。
さくらを演じるのは、もちろん賠償千恵子。
ちなみに、ドラマ版で、さくら役を演じていたのは長山藍子でした。
最初は「この人誰❓」と訝しがっていたさくらも「お兄ちゃん❗️」となるわけです。
ちなみに、この時のさくらはまだOLで、職種はキーパンチャー。
演じる倍賞千恵子は、当時28歳ですから、渥美清とは13歳違いということになります。
映画の中では、この兄妹の年齢設差は語られませんが、さくらがしみじみと懐かしむ昔の家族写真に写っている子供の頃の2人を見る限り、それほどの年齢差はないように見えます。
まあその辺りを突っ込むのは野暮だぞということで割愛。
さて、とら屋の面々です。
おいちゃん(車竜三)を演じるのは森川信。
ドラマ版でも、同じ役を演じていました。
元々喜劇畑の人で、おいちゃんを、喜劇役者としてコミカルに演じられたのはこの人だけでしょう。
「バッカだねえ」
「おら、知らねえよ。」
「おい、まくら。さくらとってくれ。」
何度か出てくる、おいちゃん定番のギャグですが、わかっていても、これには思わずニンマリ。
とにかくうまいんですよ。なかなか芸達者な人です。当時は57歳。
実はこの人、今は亡き我が祖父に雰囲気がそっくりで、個人的には、親近感が湧きます。
おばちゃん(車つね)役は、シリーズ不動の三崎千恵子。
まだまだ、第一作の頃は、顔色もテカテカ輝いていますね。当時49歳。
ちなみに、ドラマ版では、杉山とく子が演じていました。
さくらが勤める会社の部長の段取りでお見合いとなるわけですが、付き添う予定のおいちゃんが二日酔いでダウン。
急遽実兄である寅さんが代役となります。
慣れないホテル(紀尾井町のニューオオタニでした)での食事となるわけですが、ここで酔いが回るにつれ寅さんが暴走。
結局、お見合いは相手から断られることになります。
ちなみに、そのお見合い相手は、広川太一郎。
この人、後にアニメの声優や、洋画の吹き替えでの、コミカルな節回しやアドリブで有名になった人。
ムーミンのガール・フレンドであるノンノンの兄スノークの声がこの人だったので、個人的にはよく覚えています。
さて、この大失態をやらかした寅は、とら屋で大喧嘩。
舎弟の登(津坂 匡章、後の秋野太作)を、とら屋に押し付けて、自分は一人旅に出てしまいます。
このシリーズ定番となるこの展開は、すでに第一作目から始まっていました。
そして、旅先の京都清水寺で、バッタリと御前様親娘と遭遇。
御前様は、柴又帝釈天のご住職で、このシリーズ不動のレギュラー。
演じるのは、もちろん笠智衆。
どうも、当時の俳優たちの年齢にはこだわってしまうのですが、永遠の好々爺笠智衆は、当時65才。
オッと思わずドッキリです。
なんと、現在の僕の年齢と2歳しか違わないではありませんか。
スクリーンで見る、この人の枯れた佇まいは、昔からの僕の憧れでしたから、改めて現実を見ると、愕然とします。
そして、その娘冬子を演じるのが、シリーズの記念すべき初代マドンナとなる光本幸子。
この方は、新派の女優で、さすがに着物の着こなしが見事。綺麗な方です。
彼女は当時26歳ですが、寅とは幼馴染という設定です。
山田洋次監督は、本作の寅さんをいったい何歳ぐらいの年齢に設定しているのかがちょっと気になるところ。
まあ、渥美清が、年齢不詳みたいなところがありますので、年齢差問題はあまり気にはなりません。
たちまち、この美女に一目惚れしてしまう寅さんは、御前様親娘と行動を共にします。
親娘の記念写真を寅が撮ろうというシーンがあるのですが、ここで山田監督は、笠智衆にギャグ演技を要求。
彼の出演映画は、小津安二郎作品を含め、相当数見ていますが、こんなにコテコテのギャグ演技を見たのは、後にも先にもこのシーンだけですね。
あの「バタ〜」です。
しかも、それがあまりに下手過ぎて、それが返っておかしいというあたりが、まさにこの人の真骨頂。
ギャグも、実に大真面目に演じてらっしゃるのが、いかにもこの人らしいわけです。
山田監督が、そこまで計算して撮っていたとすると、これはもうさすがというしかありません。
旅先で意気投合した「お嬢さん」と一緒に、寅さんは結局ケロリと柴又に帰ってきてしまいます。
しかし、帰ってくれば帰ってくるで、すぐに騒動を巻き起こすのが寅さん。
今度は、とら屋の隣の印刷工場で働く青年たちと大喧嘩です。
ちなみに、印刷工場の社長を演じるのが太宰久雄。
この役は、映画版のオリジナルですね。(ちなみに「御前様」も、映画版のオリジナルキャラ)
あれ❓
そういえば、まだこの第一作では、この社長は、寅さんから「タコ❗️」とは呼ばれていなかったような。
多分そうです。これから、この映画を見る方、ちょっと確かめてみてください。
さあ、そして、この青年たちの中に、実は秘かにさくらに想いを寄せている博(前田吟)がいるわけです。
大学出てない、テメら職工になんか、妹はやれないという寅に、ムキになってつっかかる博。
この二人が江戸川土手で対峙するシーンでのやりとり。
「あんただって、俺と同じ気持ちになるはずだ。」
「バカヤロウ。俺がお前と同じ気持ちになってたまるかい。
俺とお前は違う人間なんだぞ。
早い話がだ。俺が芋食って、テメエの尻から、プーっと屁が出るか❓どうだ❓
ざまみろい。人間はな、理屈なんかじゃ動かねえんだよ。」
これいいよなあ。気に入りました。
間違いなく、本作一番の名台詞だと思います。
山田洋次エライ。
まさに、名台詞は、理屈じゃないんだよなあ。
「じゃあ聞きますが、兄さんだって、一度くらいは女性を好きになったことあるでしょ❓」
さらに詰め寄ってくる博ですが、これを見てピンと来てしまう寅。
「あれえ。てめえ、さくらに惚れてやがるな。」
寅に図星をつかれて、素直に白状してしまう博。
喧嘩のはずが、一転して、寅が恋愛指南役になってしまうという展開です。
しかし、寅が2人のキューピッドになれるはずもなく、博は失望して、最後にさくらに向かって一世一代の告白をして、別れを告げ、荷物をまとめて、印刷所を出て行きます。
しかし、その言葉はしっかりとさくらの胸に届きます。
京成電鉄柴又駅から電車に乗ろうとする博を追いかけてゆくさくら。
戻ってきたさくらは、寅に向かってこう言います。
「あたし、博さんと結婚する。もう決めちゃったの。いいでしょ❓お兄ちゃん。」
さあ、この妹の決断を聞いた寅のリアクションは見事でしたよ。
妹の決断を素直に喜こぼうとする兄の気持ち。
偉そうに指南役を買って出ても、結局ぶち壊してしまった負い目。
それを謝りたくても出来ない兄としてのプライド。
こんな自分に妹が怒っていない安心感。
そして、自分の不甲斐なさを恥じる気持ち。
そんなこんながギュッと凝縮されたあの表情は、渥美清にしかできない演技だったかもしれません。
ある意味では、本作における渥美清最大の見せ場かも。
さて、柴又の料亭「川甚」で、博とさくらの結婚式ということになりますが、このシーンをさらっていったのは、博の父親を演じた志村喬でした。
さすがでした。
セリフは、式の最後の新郎の父の挨拶しかないのですが、もうこれだけで、こちらの心を鷲掴み。
その間といい、重さといい、表情といい、申し分なし。
このシーンで、本作の人情喜劇としてのホロリの部分を、しっかりと締めてくれています。
志村喬の演技は、寅さんの軽妙さとのバランサーとして、しっかりと本作に貢献していますね。
この日本映画界の重鎮は、この時64歳です。
え❓ということは今の僕と・・。まあ、比べるのもおこがましい話ですが。
さて、一方寅の恋愛はどうなったか。
寅の気持ちを知ってか知らずか、冬子は、寅とのデートを繰り返します。
もちろん、寅も有頂天。
居酒屋で、女将さんを相手にバカをやる寅の演技などは、おそらく完全に渥美清のアドリブ。
それに笑い転げる冬子も、あれは完全に演技からは離れていますね。笑うというよりも、完全に笑わされています。おそらく素でしょう。
このあたりが、渥美清という役者の真骨頂。
そして山田監督もまた、こういうシーンを撮る時、ロケ先にいる一般人にそのまま演じさせて、映画にリアリティを生み出す名人です。
例えばこのシーンなどは、僕には、寅とマドンナのラブシーンに見えます。
帝釈天の冬子の元へ足繁く通う寅は、いつか柴又では噂になってしまいます。
しかしある日、寅は庭先で、男性と一緒にいる冬子と鉢合わせ。
御前様にそれとなく聞く寅。
「ご親戚の方ですか❓」
御前様は、寅に静かにこう言います。
「うん。これから親戚になる男だよ。」
かくして、シリーズの定番ともなる、寅の最初の失恋が、ここに悲しくも成立します。
そして、舎弟登にも別れを告げて、また旅に出る車寅次郎。
一緒に連れてってくれという登を諭す駅の食堂シーンで、さりげなく寅の帽子に挟んである切符が、なんだかカッコいいんですよ。
一年後、生まれた長男・満男を御前様に抱いてもらうさくらとおばちゃん。
そして、寅は旅の空の下で、結局ついて来た登と一緒に、あの立板に水の啖呵売でバイに精を出すというわけです。
山田監督の心の声が聞こえてきそうでした。
「寅は、ちゃんと生きていきますよ。ご心配なく。」
「七つ長野の善光寺、八つ谷中の奥寺で手鍋さげてもわたしゃいとやせぬ。
あなた百までわしゃ九十九まで、共にシラミのたかるまで。」
この粋な啖呵売は、数歌形式でいくつものバリエーションがあって、シリーズ全般を通じで、寅さんがバイをするシーンでは繰り返し使われるわけですが、渥美清の名調子を繰り返し聞いているうちに、なんだかんだで、いつの間にか刷り込まれていますね。
「四谷赤坂麹町、ちゃらちゃら流れる御茶ノ水、粋な姉ちゃん立ちしょんべん。
白く咲いたが”ゆり”の花、四角四面は豆腐屋の娘、色は白いが水臭い。」
ドラマ版の企画段階で、山田監督は渥美清と打ち合わせをしたそうです。
そのときに聞かされたのが、この啖呵売。
渥美が、子供頃に実際に聞いただけのこの口上を、スラスラと淀みなく再現するのを見て、監督は圧倒され、その記憶力の確かさに感嘆したそうです。
「これだけ頭脳明晰な人に、寅という愚かな男を演じさせたら面白いものが作れるかも。」
山田監督の予想は見事的中しましたね。
というわけで、久しぶりにシリーズ第1作目を鑑賞。
やはり、「男はつらいよ」は、面白い。
次回作は、「続・男はつらいよ」となります。
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