或る「小倉日記」伝
1953年に、松本清張が、第28回芥川賞を受賞して、本格的なプロの作家になるきっかけとなった短編です。
北九州市に住んでいた松本清張が、森鴎外の生涯で、史料が空白になっている小倉に住んでいた3年間の足取りを地道に追った実在する人物に材を取って書き上げた作品。
もちろん、彼なりの事実の下調べはしたでしょうが、基本はフィクションです。
松本清張といえば、社会派推理小説という分野を開拓したパイオニアとして、日本文学史上に大きな足跡を残した作家であることはいうまでもありません。
彼の小説を原作にした映画は、数多くみていますし、もちろん何冊かは、その原作も読んでいます。
松本清張が、推理小説作家として始動し始めたのは、1958年発表の「点と線」からで、デビュー当時の彼は、歴史小説や現代小説の短編などを執筆していました。
ミステリー以外でも、昭和史に材を取った作品群や、古代史などを調査した作品もなどもありますから、実家の本屋の文庫棚に並んでいた本作のタイトルだけは知っていた僕は、そこからの推測のみで、森鴎外に関する彼なりの歴史的見解を扱った内容かなと系譜の作品かなと想像していました。
しかし、本作を読んでみると、想像していた趣きとはかなり違う小説でしたね。
それは、本作の主人公である田上耕作が、生まれつき神経系の疾患があって、片足が麻痺しており、言葉もうまく喋れない障害者であるということが大きいと思います。
しかし、彼は頭脳は明晰で、学校の成績は常に優秀でした。
結局その生涯において賃金を得る労働には就けなかった彼は、森鴎外が小倉で過ごした3年間の空白を、存命の所縁の人々を訪ねて、聞き取り調査をすることで埋めていくという地道な作業に、人生の生きる意義を見出していきます。
本作の主人公は、もちろん田上耕作ですが、それと同じくらいの熱量で、清張が描いた人物が、耕作の母親ふじでした。
若い頃から評判の美人で、夫を亡くした後も、障害者の息子がいることを承知の上で、縁談の話がひっきりなしだったというほどの女性です。
しかし、その嫁ぎ先で、耕作がどんな扱いを受けるかをわかっていたふじは、全ての縁談を断り、耕助に寄り添う人生を選択します。
障害を持つ耕作に、差別の眼差しを向けることなく接してくる看護婦に、淡い想いを抱く息子のために、彼女に結婚の意志があるかを気持ちを確かめたい気持ちにかられるふじ。
しかし、それを一笑にふされると、彼女は自分の人生を息子に捧げようと決心します。
戦時下の閉塞した状況の中で、耕作の調査活動は遅々として進まず、彼の病状は日増しに悪化し、やがて彼は、ふじに看取られて静かに息を引き取ります。
戦後になって、鴎外の遺族から、ずっと不明になっていた、鴎外の小倉時代の日記が発見されたことが伝えられます。
果たして、これが耕作にとって、「幸か不幸かはわからない」と結んで、この短編小説は終わります。
本作を読んで、ずっと思い返していたことがあります。
それは、中学一年の時の思い出ですね。
当時、僕のクラスには、軽度の知的障害のあるT君がいました。
彼の言動には、多少おかしなところがあるにはありましたが、それが知的障害によるものだと当時の僕は思っていませんでした。
実際に僕自身も相当クセのある中学生でしたから、それは、同様に彼独特の個性だと思っていましたね。
T君は、障害を持ってはいましたが、とにかく明るい性格で、物怖じせずに、誰とでもコミュニケーション出来る人懐っこいキャラが幸いして、気がつけばクラスの人気者になっていました。
彼が発する意味不明のフレーズを面白がった女子たちは、それを繋ぎ合わせて歌にし、振り付けまでして、林間学校のキャンプファイヤーで、彼を中心にクラス全員で踊ったのを覚えています。
彼が障害者であったことを考えると、今にして思えば、かなりヒヤヒヤものの危ないノリでしたが、そこに陰湿なものはなく、T君を中心にしてクラスはけっこうまとまっていました。
ずっと後になって、僕は、その当時の同じクラスだった女子の一人から、T君にまつわる当時の事情を聞く機会を得ます。
彼女曰く、T君の両親は共に教育関係の仕事をしている人で、T君を障害者用の特別学級に入れることを頑なに嫌ったそうです。両親は、学校側に直訴して、普通クラスへの編入を実現させたとのこと。
今風に言えば、息子のノーマライゼーション教育にこだわったというところでしょう。
そして、その要求を承諾した学校側は、実力派のベテラン教師を担任に付けたのだそうです。
その甲斐あってか、少なくとも僕の知る限り、そのクラスの中でT君を巡る「差別」や「いじめ」があったという記憶はありません。
その実績が買われたのかどうかはわかりませんが、同学年の担任教師たちが、そのままスライドして、二年の担任になっていた中で、我がクラスの担任教師だけは、翌年教務主任になっていたのはビックリしましたね。
僕は一度、何人かのクラスメイトと一緒に、学校帰りにT君の家に遊びにいったことがあります。
覚えているのは、その時のT君の母親が異様に喜んでくれたことと、彼女がすこぶる美人であったこと。
そして、恐縮する僕らを家に招き入れて、T君のお母さんが出してくれた手作りだというスウィートポテトのなんと美味しかっことよ。
そんな手の込んだお菓子など食べたことのなかった僕は、この時のスウィートポテトをネタに、T君をずっとからかっていた記憶です。
中学校卒業以降の、T君がどんな人生を送ったのかは知る由もありませんが、当然彼も今では還暦越えのはず。
この短編小説を読み終えてみると、僕が俄然気になってしまったのが、T君よりもむしろ、あの美しくも気品あふれる母親のその後の人生ですね。
もちろん彼女に関してはなんの情報も持っていませんが、あの時のキャンプファイヤーの踊りを、もしも彼女がみていたとしたら、一体どんなことを思うのか。
今時のモンスターペアレントが、そんな事実を知ったとしたら、血相を変えて、学校や教育委員会に怒鳴りこむところかもしれません。
彼女が「幸か不幸かはわからない」というところで、本ブログを結ぶことにいたします。
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