ページ数にて155頁。
およそ3時間ほどで、ミステリーの醍醐味である「あっと驚く展開」を、都合3度も味わえるという意味では、本作はお薦めの一冊です。
本作は、2017年に新潮社から刊行された衝撃的な作品で、SNSを通じて再会したかつての恋人同士のやり取りを描いた中編小説です。
物語は、主人公・水谷一馬が、Facebookで偶然見つけた大学時代の元恋人・未帆子にメッセージを送るところからスタート。
実はこの二人、30年前に結婚を約束していたということがすぐに明らかになります。
ですが、未帆子が結婚式前日に失踪したことで、関係が途絶えていたという経緯が自然に明らかになってきます。
どこか、互いの本意を探り合うような、ぎこちないやり取りから始まった二人の交流は、次第に変化していき、やがて過去の真実や二人の関係が徐々に明らかになっていくという展開。
一見、元恋人同士のノスタルジー溢れる心の交流に見えるやりとりは、Facebook を通しての往復書簡形式で展開されていきます。
本作はなんと全編がこのやり取りで構成されており、事件を捜査する警察の介入もなければ、事件を推理する名探偵の登場もありません。
あるのは、メッセージのやり取りをする当事者同士のスリリングな感情の変化のみ。
タイトルにある「ルビンの壺」は、記憶の片隅で覚えている方も多いのではないでしょうか。
1915年頃にデンマークの心理学者エドガー・ルビン博士が考案した多義図形(反転図形)の一種です。
この図形は、白黒の二色で描かれた図形で、その白い部分を見ると中央に壺(盃)が浮かび上がり、黒い部分を見ると左右から向かい合う2人の横顔が見えるというお馴染みのあれです。
その壺が「割れた」というわけですから、読み始める前から、そこにはなにやら物語の核心に迫るようなテーマが隠されているだろうとこちらは睨みます。あるいは、そこから既にミスリードか?
最初は、中年男女の2人の文章でのやりとりがゆったりとしたペースで進みます。
すると案の定、物語は中盤以降、怒涛の展開。
こちらが想像していたゴールはことごとく裏切られていきます。
読み終わってから、思わず読み返してみると、登場人物や出来事には、視点を変えれば複数の解釈が可能という作りになっているあたりが、この作者の油断も隙もないところ。
何者だろうと思って調べてみると、なんと覆面作家とのこと。つまり作者の存在自体がルビンの壺に組み込まれているわけです。
小説としては、短いながらも、なかなか中身の濃い、多重構造になった作品です。
ちなみに、僕ももちろんFacebokの利用者です。
Facebookは、2004年2月4日にハーバード大学の学生マーク・ザッカーバーグと彼のルームメイトたちによって設立されました。
当初は、ハーバード大学内の学生同士をつなぐためのプラットフォームとしてスタート。
その後、他の大学や企業にも拡大し、2006年には13歳以上で有効なメールアドレスを持つ全ての人が利用可能になりました。
Facebookは急速に成長し、2007年には世界で最も人気のあるSNSプラットフォームとなりました。
その後も「ニュースフィード」や「いいね!」ボタンなどの革新的な機能を追加。
日本では2008年に導入されましたが、匿名性が好まれる日本の文化やプライバシーへの懸念から普及は他国ほど進みませんでした。
特に実名登録制が日本人ユーザーにとって障壁となり、初期の成長は緩やかでした。
しかし、2011年の東日本大震災を契機に利用者が増加し、その後もビジネス用途や趣味のグループ活動などで一定の支持を得ています。
現在、僕自身の名前も実名で登録されており、投稿にリアクションしてくれるのも、すべて知人たちのみ。
時々、友人承認のリクエストを送ってくる謎の「美人」たちは、おしなべて、どこか日本語が変なのでスルーしています。
時折、「知り合いかも」というコーナーに、知った顔が登場するのがなかなかのクセモノ。
これは、本人たちからのリクエストがあったからではなく、Facebook の中に仕込まれているアルゴリズムによる自動選出のようです。
最も一般的な要因は、共通の友達がいる場合。続いて、同じ学校、職場、現在の居住地など、プロフィール情報が一致している場合。共通の趣味・関心がある場合も影響するようです。
なので、悩ましいのは、関係が微妙だった知り合いまで、笑顔で微笑みかけてくるので、苦笑いということも多々あるわけです。
つまり、これはFacebookならではの、原則「実生活で使用している名前」をアカウントに登録することが求められているからこそ出来る「余計なおせっかい」ということ。
つまり、非匿名性をあえて担保することで、プラットフォームのモラル低下や「荒れる」展開を防いでいるわけで、これにより、プラットフォームの信頼性を高め、コミュニティの安全性を確保しているわけです。
故に、統計によれば、Facebook の利用者は、24歳以下の若年層よりも、30代の現役ビジネス・パーソンの利用者の方が多いとのこと。
僕の周りでも、高年齢のユーザーが、このプラットフォームを結構利用しています。
やはり、若者たちは、ある程度の刺激を求めて、匿名でいいたいことを言えたり、画像や動画を発信できるTiktok や Instagramを好んで選ぶようです。
本作では、中年男女二人によるメッセージのやり取りという物語構成になっていますが、話の中にメール・アドレスを交換しているという描写はなかったの(住所を教えてというのはありましたが)で、プラットフォーム内の個人連絡ツールであるMessenger を利用しているものと勝手に判断していますが、このツールで、あれだけの長文のやり取りをするというのはやや難があるところ。
普通に考えて、2~3行の簡単な文章に、絵文字くらいの簡単なコメントのやりとりを想定して作られているコミニュケーション・ツールです。
しかしながら、仮にもミステリー小説を構築しようとするのに、絵文字多用のしゃべり言葉中心の文章になってしまうのでは、文章を生業とする推理作家としては忸怩たる思いもあるでしょう。
その意味では、最先端(?)のSNSを利用しているにもかかわらず、二人のやりとりが、僕ら世代には、昔懐かしい手紙文体の言い回しになっているあたりはやや苦笑い。
でもそれは、本作を執筆するにあたり、作者自身がある程度の高齢者層をターゲットにした上で練った戦略だったかもしれません。
もしも、僕のFacebook の「知り合いかも」に、美しい容姿に盛った昔の彼女が出てきたらどうするか。
ちょっと、そんなことを想像してみます。
やはりドキリとはするでしょうが、すぐに自分の姿を鏡で見てニヤリでしょうね。
「おっと危ない。ルビンの壺が割れるところだった。」
今や、時代は進んでSNSプラットフォームの中心は、なんといってもLine です。
前期高齢者となった自分でも、個人的なやり取りはすべてこれで集中管理しています。
もしかしたら、今頃どこかで新しいセンスを持った若い覆面作家が、Line のやりとりをそのままミステリーに構成した作品を、スマホの音声入力で執筆しているかもしれません。
ついていけるかどうかやや心配ですが、まぁ、それはそれで「いいね!」とポチリ。
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