読了後、まず一番最初に気になったことをAIで調べてみました。
それは、本作で使用されていた毒物について。
本作では、ガソリンから抽出出来るテトラエチル鉛が、殺害方法に使用されていましたが、これは当時普通に売っているガソリンから誰にでも抽出できるという説明でした。
1920年代当時のガソリンは有鉛ガソリン。成分に含まれるアルキル鉛(主にテトラエチル鉛)は、ノッキング防止のために添加されていたのですが、これが後に中枢神経系への深刻な健康被害を引き起こすことが判明したのだそうです。
特に子どもにおいては深刻で、知能障害や発育障害になるケースが報告されるようになりました。
さらに、有鉛ガソリンは排気ガスによる大気汚染や触媒装置の劣化も引き起こすため、環境面でも問題視。
これらの理由から、1970年代以降、多くの国で規制が進み、日本では1975年にレギュラーガソリン、1987年にハイオクガソリンが完全無鉛化されたというのが、「無鉛ガソリン」が一般化した経緯です。
というわけで、現在では、市販のガソリンから、猛毒を抽出することは不可能であることをまず確認した次第。
それから、もう一点
本作の名探偵エラリーの父親であるリチャード・クイーンが、たびたび吸引していた嗅ぎ煙草。
噛み煙草や、煙管などはかろうじて知っていたのですが、嗅ぎ煙草がどんなものかわからなかったので、これも調べてみました。
これは、刻んだ煙草に香料をつけた粉末を小瓶に入れて携帯し、一服したくなったら鼻から吸い込むということらしいのですが、どうもその姿は想像するだけでもかなり怪しげ。犯罪ドラマで、ヤバい連中がイケないクスリをやる姿がどうしてもダブります。
嗅ぎ煙草は、当時スナッフと呼ばれていたそうです。
ルーツをたどれば、17世紀の王侯貴族の間で発生した嗜好品で、その全盛は18世紀とのこと。
本作の舞台である1920年代のアメリカでは、もなうかなり下火になっていたそうです。
おそらく現代では絶滅危惧種かもしれません。
少なくとも個人的には、嗜んでいる人を見たことも、聞いたこともありもせん。
但し、ミステリー・ファンならジョン・ディクスン・カーの「皇帝のかぎ煙草入れ」なら覚えているはず。
白状してしまいますが、これずっと「鍵」のついた煙草入れだとばかり思っていました。
お恥ずかしい!
そんなわけで、古典ミステリーは、なるべく当時の読者の感覚で読めるように、文化風俗に関する描写はマメにリサーチしながら読むと楽しめます。
さて、『ローマ帽子の謎』(The Roman Hat Mystery)は、1929年にエラリー・クイーン(フレデリック・ダネイとマンフレッド・B・リーの共作ペンネーム)によって書かれた推理小説で、記念すべきエラリー・クイーン・シリーズの第1作です。(つまり、このシリーズは、著書と名探偵の名前が一緒という事)
作者の作品としては、すでに名作の誉れ高い「Xの悲劇」「Yの悲劇」は読んでおりましたが、この2作は、発表当時バーナビー・ロス名義で出版され、活躍する探偵も違っていましたので、エラリー・クイーン名義のミステリーは、本作で、初めて読んだような気になっています。
本作中に、「バーナビー・ロス殺人事件」なんていうのも出てきて、これには思わずニヤリ。
本作は、もともとアメリカで開催された出版社のコンテストに応募するために執筆されました。
エラリー・クイーンを名乗る二人の青年は、推理小説の黄金時代の作品群に触発され、論理的な謎解きを重視した作品を目指して作家活動を開始。
二人の作品には、特にS.S.ヴァン・ダインの影響が強く、彼らの作品にもその影響が色濃く反映れていると言われています。
二人は従兄弟同士であり、共同でプロットを練り上げました。
彼らは物語を論理的に構築することに徹底的にこだわり、それが高じて、解決パートの前には「読者への挑戦状」をたたきつけるという前代未聞のスタイルを導入。
フェアプレイで、読者にも推理を楽しませることを意図した一種のお遊びですが、この章を設けることで、ミステリーのエンタメ化に貢献。
真面目なミステリーファンの中には、これに目を釣り上げた人もいたようですが、これを気に入って取り入れるようになった洒落っ気のあるミステリー作家もチラホラいますね。
本作はコンテストでも注目され、無事出版されることになり、記念すべきエラリー・クイーンのデビュー作となります。
そして、本作以降の「国名シリーズ」が人気を博し、エラリー・クイーンはアメリカ本格ミステリ界で、エドガー・アラン・ポーと並び称される重要人物として不動の地位を築いていくことになります。
事件はニューヨーク市のローマ劇場で上演中の舞台『ガンプレイ!』の最中に発生。
満席の観客席で、弁護士モンティ・フィールドが毒殺されているのが発見されます。
しかし、満席であったにもかかわらず、奇妙なことに、遺体のあった席の周囲が空席になっています。
そして、被害者が被っていたはずのシルクハットが、忽然と消えていました。
事件はリチャード・クイーン警視とその息子である推理小説作家エラリーによって捜査されます。
エラリーは演繹法をベースにした論理的推理を駆使し、この「消えた帽子」を手がかりに犯人に迫ります。
使用された毒物は、検死の結果、テトラエチル鉛と判明しますが、犯人はどうやって、それを観劇中の被害者に飲ませたのか。
フィールドは悪徳弁護士で、他人を脅迫することで収入を得ていたことが判明。多くの敵がいたことが次第に明らかになっていきます。
事件当夜、劇場にいたすべての観客、劇場スタッフ、出演者のすべてが容疑者となります。
真犯人はしたたかにも、その中に、フィールド殺害の動機がある者に、観劇のチケットを送って、劇場に足を運ばせ捜査を混乱させます。
作者は巧妙にいろいろな謎を散りばめて、読者を翻弄しますが、上手いなと思ったのは、最終的にその謎を「紛失したローマ帽子」に集約させた点です。
この謎を解くことで、真犯人が同時にわかるというロジックを構築することで、「フーダニット」のカタルシスを見事に演出。
事件当日の夜、誰にも怪しまれずに、ローマ帽子を外に持ち出せた人物はたった1人しかいませんでした。
そして、それだけでは本作は終りません。
クイーン警視は、論理的には真犯人を特定出来ても、物的証拠は皆無という「手詰まり」の状況に陥ります。
これでは、優秀な弁護士にかかれば、裁判は、たちまちひっくり返されてしまいます。
刑事裁判の大原則は、今も昔も推定無罪。犯人を逮捕しても、証拠がなければ裁判には勝てません。
リチャード警視は頭を抱えますが、そこに休暇旅行中の息子エラリーから届いた電報。
「証拠がなければ、作ってしまったら?」
詳しくは語らずとも、父親にはこれが以心伝心、我が意を得たりです。
もちろん、どこかの国の警察のように、証拠を捏造してしまおうなどという反則ではありません。
まあ、言ってしまえば、なかなか尻尾を出さない犯人に対して「刑事コロンボ」が仕掛ける起死回生のトラップのようなもの、まさにあれです。
あの切れ味鋭いミステリーの醍醐味を、コロンボ・ファンとしては、この100年近く前のミステリーで見つけたという次第。
解決編で、この事件の真相を解き明かすのはリチャード警視の役目ですが、この事件が解決できたのは息子のおかげだとしみじみ語る、ラストの親子愛にもほっこり。
本作に対するいろいろな評価をリサーチしてみました。
こんなのがありましたね。
「手がかりそのものが曖昧であり、それ自体では意味を持たない場合がある。
本作でも、一部の手がかりや状況証拠について説明されて初めて意味を持つものが多く、そのため推理過程がやや強引だと感じられる。」
「本作はミステリとしてユニークで画期的な作品ですが、フェアプレイ性や動機の説得力、手がかりの提示方法などにおいてまだ未熟さが見られる。」
「但し後年の作品ではこれらの問題点が改善され、より洗練された論理構造とフェアプレイ精神が確立されている。」
個人的にはそうとも思いませんでしたが、これはなかなか手厳しい。
なかには、息子のエラリー・クイーンが、もっと前面に出るべきなんていう指摘もありましたが、本作を読んだ感想としては、息子が父親をリスペクトして、自分自身は意識して脇に回っているという関係性の方が、ドラマツルギーとしては、案外しっかりしているような気がします。
最後の解決パートに、息子エラリーをあえて登場させずに、父親を立てたことで、この二人の親子関係は明らかにドラマチックに表現されたと思った次第。
しかし、名探偵至上主義の当時のミステリー界では、それでは物足りなかったのかもしれません。
ということは、推理小説家名探偵エラリー・クイーンが、以降の作品で次第にクローズアップされてくる展開なのは想像に難くないところ。
我がiPadには、すでに「エジプト十字架の謎」は仕込んでありますので、それはそれで楽しみです。
いずれにしても、デビュー作には、どの推理作家も力が入ることは必至。
個人的には、デビュー作がその推理作家の最高傑作になる確率は非常に高いと思っていますので、どこからエラリー・クイーンを読もうと迷っていらっしゃる方には、とりあえず本作はオススメの一冊です。
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