コージー・ミステリー(Cozy Mystery)というジャンルがあります。
推理小説のサブジャンルの一つで、暴力や性的描写、過激な言葉を極力避けた「穏やか」な作風が特徴です。
このジャンルは、読者に心地よい読書体験を提供しつつ、ミステリーの要素を楽しめるように設計されているわけです。
最近のミステリーは、「さりげなくグロい」というのが主流かなというのが個人的見解。
ですから油断をしていると、そのグロ描写にやられてしまいます(年寄りにはグロゲームによる耐性がないので)が、この分野ではその心配をする必要はまずありません。
主人公は通常、警察官や探偵といったプロではなく、一般人である場合がほとんど。
日常生活に根ざした職業についている設定が多いでわけです。
物語内で起こる犯罪(通常は殺人)も直接的に描写されず、被害者が発見される場面も血生臭さを避けて描かれるのがポイント。エロい場面もたいていは暗喩のみ。
物語の舞台は、小さな町や村、あるいは閉鎖的な環境(例えば屋敷や学校)であることが一般的です。
このため、登場人物同士が互いによく知っているという設定がごく自然に描かれます。
コージー・ミステリは全体的に軽快でユーモラスなトーンで進行します。
登場人物も個性的で親しみやすいキャラクターが多いということになります。
多くの場合、主人公の職業や特技が物語のテーマとして取り入れられます。
このジャンル名が登場したのは、20世紀後半。
当時主流だったハードボイルド小説の暗く暴力的なトーンへの対抗として、「穏やか」で「心地よい」推理小説への需要もそれなりに高まっていたというわけです。
しかし、この分野はミステリーの黄金時代と言われた。1920年から1940年のイギリスにもありました。
この呼び名こそなかったものの、アガサ・クリスティの「ミス・マープル」シリーズが、本作の原点であることはほぼ間違いないでしょう。
「ミス・マープル」の短編集『火曜クラブ』が、『木曜殺人クラブ』に最も直接的な影響を与えた作品であることは明らかです。
『火曜クラブ』では、ミス・マープルを含むグループが集まり、未解決事件について議論し推理を展開します。
この形式は、本作の基本的なプロットに反映されています。
また、アントニー・バークリーの『毒入りチョコレート事件』も本作に影響を与えていそうです。
この小説では、アマチュア探偵たちが集まり、毒殺事件についてそれぞれ異なる推理を披露していくという展開。
多重解決の元祖となった小説です。
この「素人探偵団が議論を通じて真相に迫る」というスタイルも、本作のスタイルにそのまま踏襲されています。
本作は、イギリスのテレビ司会者のリチャード・オスマンによる、2020年発表の小説。
多分野で活躍していた彼の小説家としてのデビュー作です。
この人、なかなか多彩な人のようです。
イギリスの架空のケント州フェアヘブン近郊にある高級リタイアメントビレッジ「Cooper's Chase」を舞台に、4人の高齢者が地元で発生する殺人事件を解決しようと奮闘するユーモアあふれるミステリーが本作。
コージー・ミステリーのお手本のような作品ですが、本作はユーモアだけではありません。
老人たちひとりひとりの物語もしっかり描きこまれた魅力的な人間ドラマにもなっています。
このクラブは元警察の女性幹部だったペニーと、エリザベス・ベスト(彼女だけ元職業が不明)により創設。
ペニーは病気のためクラブを抜けますが。そこに元労働組合指導者のロン・リッチー、元精神科医のイブラヒム・アリフ、そして元看護師で新メンバーのジョイス・メドウクロフトという4人が参加。
「Thursday Murder Club」として、毎週木曜日にあつまり、ペニーが警察から持ち出してきた未解決事件を調査することを老後の道楽としています。
彼らが住むCooper's Chaseでは、不動産開発業者イアン・ヴェンハムが新しい開発計画を進めようとし、その過程で教会墓地を掘り返すことが問題となります。
しかし、この計画が進行する中で建設業者のトニーが何者かに撲殺され、施設の経営者だったイアンも毒殺されてしまいます。
突然発生したナマの殺人事件に老人たちは狂喜乱舞。
クラブのメンバーたちは警察と協力しながら犯人探しに乗り出すというのが本作の基本ストーリーです。
とにかく、主人公たちがみな80歳近い老人たちという設定が、本作のユーモアの源泉です。
ミステリー小説の主人公たちといえば、基本は妙齢の美男美女というのが相場。
最初のうちは、この先入観に邪魔されて、なかなか脳内シアターのキャスティング・イメージの定着に苦労しましたが、次第に彼らの、老人ならではの機知と、危なっかしい情熱にグイグイと引っ張られようになり、気がつけば4人それぞれのキャラに引き込まれていきましたね。
また、本作の大きな特徴の一つは、短い章立てです。
500ページ近い本文が、115の章で語られていきますから、平均すれば一章は5ページ以下。
基本は、日記を克明に書いているジョイス視点で語られるのですが、そこに、各登場人物たちの視点が縦横無尽に挿入されていきます。
まるで、映画のカット割りのような章立てで、モンタージュ効果もあり、脳内シアターの上映には抜群の効果がありました。
本当に映画を見ているかのようにスイスイと読み進められます。
『木曜殺人クラブ』のメンバーたちは、それぞれが独立した個性と背景を持ちながらも、互いに補完し合う関係性と信頼で結ばれています。これが実に物語を豊かにしています。
リチャード・オスマンは、実際に高齢者施設を訪れて、老人たちそれぞれの人生のストーリーに耳を傾けることで、本作のアイデアを練ったといいます。
老人問題というサブテーマを活かしつつ、そこに、ユーモアとドラマ要素を絶妙に組み合わせることで、4人の愛すべきキャラクター群像劇を開発したことは、本作の成功の大きな要因と言えるでしょう。
本作からは、古式ゆかしいイギリスのミステリー黄金時代の香りがプンプン漂うのですが、2020年の作品とあって出てくる小道具や固有名詞はかなり現代的です。
Google も出てくれば Amazonプライムも登場、Wi-Fiや、iPad、スマホ、Excelのスプレッドシートも出てきます。
ブルーのレクサスや、ダイハツといった日本車も登場すれば、ティンダーという実在するデートアプリも出てきます。
シナモン味の電子煙草などは、実際に咥えている僕の知り合いがいますね。
音楽でいえば、スティービー・ワンダーやダスティ・スプリングフィールドなど、僕好みのアーティスト名も出てきて嬉しくなってしまいますし、スカーレット・ヨハンセンや、ジョン・トラボルタといった俳優名も登場。
作者は、1970年生まれの54歳ですから、この辺りの単語を使う感覚は当たり前なのかもしれませんが、それを80歳近い登場人物たちに絡ませませるあたりが、この小説の隅におけないところ。
自分の周りにいる同じ年齢くらいの老人たちに、はたしてこの辺りの単語が理解できるかどうかはかなり怪しいところです。
僕も知らないようなNetflixの刑事ドラマ(AIで調べたら実在しました)も出てくるのですが、思わずニヤリとしてしまったのは「刑事スタスキー&ハッチ」やマーティン・スコセッシ監督の「グッドフェロー」といった、個人的にはツボの作品も登場。
これなら思い出せる人もいるかもはれません。
最近のミステリーを読む際には、物語の背景を理解する上で、こういった小道具や固有名詞はとても有効です。
100年以上も前のミステリー黄金時代の作品では、こういうものには大抵注釈がついているか、いちいちAIで調べなければわからないものが多いのですが、こうやって普段使っているものが出てくると、やはりその小説は身近に感じられてきます。
ただし、ここ最近の流行ものは、流行廃りのサイクルが早いので、小説に登場させるにはそれなりのセンスが求められそう。
読んでいて、なかなか痺れたセンテンスがありました。
「太陽が昇り、空は青く、空気には殺人が漂っている」
「公の場でどう言おうと、人は殺人が好きだ」
「戦いが起きていない場所に目を向けろ。なぜなら戦いの中心はそこだからだ」
著者は、本作がミステリー作家としてのデビューになるわけですが、この人のマルチな才能は伊達じゃなさそう。
ちょっとただものではない感じです。
いちオスマン!
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