前作の大ヒットから、7年が経過して作られた「ターミネーター」の正式な続編が本作です。
監督は前作に引き続きジェームズ・キャメロン。
そして、主演はもちろんアーノルド・シュワルツェネッガー。
両者は、本作製作時には、押しも押されぬビッグ・ネームになっていました。
前作には製作費を出し渋っていた映画会社も、この2枚看板がそろうならヒットは間違いなしと、当時としては最高額となる予算を計上。
製作費1億200万ドルです。なんと前作の興行収入の1.5倍近い金額です。
舞台は1995年のロサンゼルス。人類の未来のリーダーであるジョン・コナーを10歳の少年時代に抹殺するため、悪意のある人工知能スカイネットが高度な殺人マシン「T-1000」を過去に送り込みます。
これに対抗するため、人類レジスタンスは、より旧式だがプログラムを書き換えられたターミネーター「T-800」を今度はジョンのボディガードとして送り返します。
全てがスケールアップされた本作の特殊効果は、後の映画製作に革命をもたらしました。
何といってもその白眉は、液体金属効果を駆使した殺人マシンT-1000の造形です。
実は、このアイデアは、前作の時点であったそうです。
しかし、当時の技術では、とても映画で使用できるレベルではなく、やむなく断念したとのこと。
その後、CGI技術の革新的な進歩により、T-1000の液体金属効果が実現可能に。
そして、これらの効果はカットを使わずに連続的に表示されることにより、観客に新しい視覚体験を提供しました。
T-1000は、触れられるものすべての形状に自分をコピーできるというアイデアが斬新でした。
そのシルバーメッキの液体金属の表面に、隣にいる人物の顔が写りこむあたりの芸の細かさには、度肝を抜かれました。
本作では、複数の特殊効果チームが協力し、CGI、アニマトロニクス、ミニチュア、実写を巧みに組み合わせています。
当時の最先端の視覚効果が惜しみなく駆使されました。
本作で、T-1000を演じたのは、ロバート・パトリック。
その爬虫類的な容貌で、この殺人マシンの印象を強烈なものにしました。
頭の動きは鷲から着想。
体の動きはサメの優雅さを参考にしました。
これらの要素が組み合わさり、T-1000の独特な洗練された動きと外観が生み出されました。
技術的の進歩と創造的なビジョンが融合し、映画史に残る革新的なキャラクターが誕生したわけです。
特殊効果の制作には、以下の4つの主要グループが関わりました。
- インダストリアル・ライト&マジック (ILM):CGI効果
- スタン・ウィンストン・スタジオ:義肢と動く人形
- ファンタジーII・フィルム・エフェクツ:ミニチュアと光学効果
- 4-ワード・プロダクションズ:核爆発効果
本作の興行的成功は、『ジュラシック・パーク』などの後続作品にCGI技術の可能性を示しました。
この映画は、視覚効果の歴史において重要な転換点となり、現代のブロックバスター映画の基礎を築いたといえます。
ジェームズ・キャメロン監督は、どれだけ膨大な製作費をかけようとも、必ずその元を取るヒットメーカーとして認知され、本作の成功は、後の「タイタニック」や「アビス」といった超大作映画の布石となります。
しかし、今回改めて、この大ヒット作を見直してみると、この映画はいろいろな意味で、大きくなり過ぎた気がしたんですね。
本作が前作と比べて作風の変化を遂げた背景には、製作規模の拡大とアーノルド・シュワルツェネッガーのスター性の変化が深く関わっていることは間違いありません。
前作は低予算B級映画として、SFとホラーの融合した緊迫感が特徴でした。
未来の殺人マシンという「絶対的な恐怖」を描くため、暗く閉鎖的な空間や限られたアクションが不気味さを増幅させていたわけです。
一方、本作は当時としては破格の製作費を投じ、ハリウッドの「ブロックバスター化」を体現する作品へと変化していました。
その目を見張る視覚効果の進化で、T-1000の液体金属や大規模な核爆発のシーンは技術的革新を誇示しましたが、同時に「人間vs機械」というテーマをスペクタクル化させ、前作の「人間的な恐怖」を希薄にしました。
そして、カーチェイスや工場の最終決戦など、娯楽性の高いアクション・シーンが増え、観客の「興奮」は「戦慄」を上回りました。
この変化は、明らかに監督ジェームズ・キャメロンの「より大きな物語を語りたい」という野心と、スタジオの商業的期待が結びついた結果と言えます。
前作でシュワルツェネッガーが演じたT-800は「無感情な殺人マシン」という存在そのものが恐怖の対象でした。
しかし、彼が1980年代後半にアクションスターとしての地位を確立したことで、『ターミネーター2』ではキャラクターの再解釈が迫られます。つまり、シュワルツェネッガーの「ヒーロー化」です。
T-800がジョン・コナーを守る「保護者」となり、コミカルな台詞や人間的な仕草(笑うシーンなど)が追加されました。
これにより、キャラクターの好感度が優先され、前作の不気味さは確実に失われます。
シュワルツェネッガーの肉体美やカリスマ性が「ヒーロー像」を強化する一方、T-800の「機械らしさ」との整合性が曖昧になりました。
結果として、観客の共感を誘う物語へと重心が移り、ホラー的な「未知の脅威」から「人間と機械の共生」という哲学的テーマが前面に出ることになります。
本作では、「運命の変更」や「人間性の定義」といったテーマが掘り下げられます。
特に、以下の点が前作との対比を際立てます。
まず、サラ・コナーの変容です。
前作で被害者だった彼女は、マッチョな「戦士」へと成長し、人間の意志の力を代弁する存在になります。
また、T-800の自己犠牲も強調されます。
機械が「学習」を通じて人間性を獲得するプロセスは、もはやホラーではなく悲劇的ヒロイズムとしてドラマチックに描かれます。
そして、前作における恐怖性を代弁したのはT-1000の脅威です。
しかしT-1000の完璧なまでの非人間性は、逆に「共感できない敵」となり、前作のT-800が持っていた「身近な恐怖」(日常生活に潜む脅威)は完全に失なわれました。
ロバート・パトリックの持つ爬虫類的な冷徹さは、悪役としての共感を寄せ付けなかったわけです。
本作における、哲学的深化は芸術的な評価を獲得したことは事実です。
しかしそれは「人間が機械に淘汰される」という根源的な不安(前作のテーマ)を弱め、ホラーとしての切れ味を鈍らせたと言えます。
本作の進化は、そのままハリウッドの産業構造を反映しています。
スターの起用や高予算化は興行的成功(世界興収5億ドル超)をもたらしましたが、同時に「リスクを避けた娯楽性」を強要することになります。
キャメロンは「技術的に不可能なことに挑戦する」という信念でバランスを取ろうとしましたが、結果として「アクションSF」という新たなジャンルの確立に寄与し、前作のカルト的な魅力とは異なる普遍性を獲得しました。
巨大な製作費をつぎ込んで、カルト映画を作るというリスクを背負うほどには、ジェームズ・キャメロンはアグレッシブではなかったということでしょう。
大監督になってしまったことで、商業的成功と芸術的ジレンマの間で彼が葛藤したのかどうかは、小市民映画ファンとしては想像するのみ。
しかし、映画史的見地から見れば、前作のホラー的な要素を犠牲にした代わりに、SFアクションの金字塔としての地位を築いたことは異論のないところ。
シュワルツェネッガーのヒーロー化や哲学的テーマは、当時の観客の求める「希望」や「感動」に応える形で進化したのは間違いありません。
しかし、この変化は「テクノロジーへの恐怖」というシリーズの原点を曖昧にし、後のシリーズ作品にどのような影響を与えることになったか。
これは是非確認したいところ。
本作のサブタイトルにつけられたのは「ジャッジメント・デイ」(審判の日)。
これは、人工知能「スカイネット」が自我に目覚め、人類と機械の間で核戦争が勃発する日のことです。
映画内では、具体的に1997年8月29日に起こるとされる出来事を指します。
幸い人類とロボットたちの核戦争は勃発せず、無事2025年を迎えられているのは喜ばし限り。
しかし、今や世界はAI 革命の渦の中。
人間は、急激に進化したAI の賢さに目をシロクロさせられてばかりです。
AI たちは今のところ、人間たちの質問や要求に、礼儀正しく、嫌な顔一つせず対応してくれています。
しかし、いずれこの立場が逆転するシンギュラリティは訪れるといわれています。
それは、新たなジャッジメント・デイなのかもしれません。
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