つい先日読んだ「自由研究には向かない殺人」は、イギリスの17歳の女の子を主人公にした青春ミステリーでした。これが、年寄りでもなかなか楽しませてくれましたので、それでは日本の17歳を主人公にしたミステリーでも読んでみようかと検索をしたら本作がヒット。
17歳とは言っても、本作の場合は、昭和24年に新制高校の最終学年だった男女5人の物語です。
まだ戦争の傷跡も痛々しく残っている時代が舞台ですので、ある意味ではドキュメント現代史でもあります。
あらすじはざっとこんな感じ。
旧制中学から新制高校への移行期にあたる昭和24年、男女共学となった高校生活を送る風早勝利は、推理小説研究会に所属している。夏休みには映画研究会と合同で湯谷温泉へ旅行するが、その場で密室殺人事件が発生。さらに、夏休みの終わりには台風が襲う中、廃墟で首切り殺人事件が起こる。勝利たちはこれらの謎に挑みながら、事件は思わぬ結末を・・
本作は『深夜の博覧会 昭和12年の探偵小説』に続くシリーズ第2弾であり、「昭和ミステリ」として戦前・戦後日本を舞台にした作品群として位置づけられています。
本作の前にシリーズ第一弾があると知って(シリーズ物は第一作から読みたい派なので)、正直「あちゃ」と思いましたが、どうやら第一弾とは、探偵役が共通しているだけのようなので、本作を読むのが先になってしまっても、特に問題はないということだけは申し伝えておきます。
このように、『たかが殺人じゃないか』は、戦後日本の独特な時代背景と青春ドラマをガッチリと融合させた魅力的な昭和懐古推理小説です。
もちろん、その時代を知っている人も、知らない人も十分に楽しめるエンターテイメントになっています。
そこで気になったのが、まずは作者について。
作者である辻真先氏は、1932年生まれといいますから、今年で93歳。
本作執筆時は、なんと87歳というからちょっと驚きです。
本作は、数多い若手や円熟期の人気ミステリー作家を押しのけて、2020年度の「日本ミステリー文学大賞」「このミステリーがすごい! 国内編第1位」「〈週刊文春〉2020ミステリーベスト10国内部門第1位」など、多くのミステリーランキングで高評価を獲得。
さらに、作者の履歴をWiki してみると驚いてしまいました。
何とこの方の文筆活動は、テレビアニメ黎明期の昭和30年代にまで遡ります。
辻真先氏の手掛けたテレビアニメ脚本は以下の通り。
エイトマン(1963年 - 1964年)
鉄腕アトム(1964年 - 1965年)
宇宙少年ソラン
オバケのQ太郎
ジャングル大帝(1965年 - 1966年)
スーパージェッター(1965年)
遊星少年パピイ
まだまたくさんあるのですが、どれもこれも、僕が少年時代に親しんだアニメばかりで、悲鳴が出そうになりました。大変お世話になった方で、まずは敬礼。
僕は1970年代になるとテレビアニメからは卒業してしまうのですが、氏は1990年代までアニメ脚本を書き続けます。
そして、1972年に「仮題・中学殺人事件」でミステリーに初挑戦。テレビアニメと並行して、推理小説も執筆するようになります。
以降はSFや戦記シミュレーションも挑戦したりで、とにかくその異常なまでの執筆量は近年に至るまで衰えることを知りません。
普通は、80代を越えれば、作家としてはアイデアも枯れて当然なことを考えれば、老いて尚衰えることのない創作意欲には感服するのみです。
作者の履歴を辿る限り、クリエイティブなことに脳を使っていれば、どうやら頭の老化は最小限に抑えられると教えていただいているようなもの。
作者の活躍は、今後の余生の参考にしたいところです。
さて、昭和24年といえば、本作の主人公たち同様、辻真先氏の年齢もちょうど17歳。
当然のことながら、本作執筆にあたって、作者の17歳当時のリアルな記憶がベースにあるのは間違いのないところ。この生々しさが、本作の魅力を底支えしています。
舞台となっているのも、作者が少年時代を過ごした名古屋です。
個人的に歴史は嫌いではないので、昭和史の本などはよく読むのですが、やはり教科書的視点から書かれているものが多く、当事者視線で書かれているものはそうはありません。
その意味では、この時代を生きた人のリアルな視点から描かれた物語は、ミステリー以前に、もうそれだけでも興味津々です。
この時期に、東海地方を3年連続で襲った三河地震、南海地震、東南海地震、そして、キティ台風も、物語の中にしっかり取り組まれています。
実は、我が父親は1931年生まれですから、生きていれば、作者の一つ年上です。
考えてみると、僕の持っている昭和24年の知識は、学校の授業や読書から学んだ知識よりも、父親の思い出話として聞いた知識もかなりあります。
1ドル360円の固定為替レートが設定され、労働争議や社会不安が多発し、「下山事件」「三鷹事件」「松川事件」などが発生、湯川秀樹が日本人初のノーベル物理学賞を受賞、プロ野球がセ・パ2リーグに分裂し、スポーツやパチンコなどの娯楽も復興するなどなど。日本はアメリカの庇護のもと、着実に民主化していた年です。
さて、本書の中でも、登場人物の中の一人がいっていました。
「映画は娯楽の王様。」
父は、僕のような映画マニアではなかったと思いますが、なんといっても、昭和20年代といえば、国民の年間映画視聴回数が10回を超えていた映画黄金時代です。
当時の普通の若者なら、いつでも話題の中心に、封切りされた映画があったことは想像に難くありません。
父がよく口にしていたのが「オーケストラの少女」のディアナ・ダーヴィン、「哀愁」のヴィヴィアン・リー、「カサブランカ」のイングリッド・バーグマンなどなど。
これがすべて、本作にネタとして取り入れられたのでビックリしました。
特に「哀愁」での、ロバート・テイラーとヴィヴィアン・リーのダンス・シーンなどは、我が父親がよく語っていたシーンがそのまま、本作の中に紹介されていて、なんだか嬉しくなってしまいましたね。
父親の映画ミーハーは、少なくとも当時の日本標準だったことを、本作が証明してくれたようでニンマリです。
この父の影響で、僕も若い頃から、クラシック映画は見漁っていました。
ですからヒッチコックの「断崖」「レベッカ」や、シオドマク監督の「らせん階段」のような渋いところまで、本作に登場する1949年以前のクラシック映画は、ほとんど観たものばかり。
但し息子の僕は、映画は基本一人で見る派でしたので、本作の中の高校生のように、映画デートをした経験はないのですが、もしそんなデートをしていたら、帰りの喫茶店で、映画の蘊蓄を語りまくっていたのは必至で、間違いなく煙たがられていたと思います。当時はまだオタク受難の時代でした。
さて、本作は青春ミステリーという体裁をとってはいますが、完璧にミステリー黄金時代の本格派のスタイルを踏襲しています。
事件の解決に必要な情報をすべて読者に提示した上で、あの懐かしい「読者への挑戦状」が挟まれます。
そして、容疑者を一堂に集めて、最後は名探偵が、満を持して「犯人はお前だ!」と指さすアレですね。
ですから、二つの殺人事件が発生する章の描写は、是非とも神経を集中されたし。
動機以外の真相解明のための全ての伏線は、そこに仕込まれています。
そして、その動機の解明こそが本ミステリーの、ドラマ的クライマックスになっていきます。
これは、この時代に多感な時期を過ごした作者でなければ発想できない、昭和24年に特化したリアルな昭和史の現実に圧倒されるばかりでした。
「フーダニット」「ハウダニット」「ホワイダニット」
ミステリーの豪華三点セットはもれなく網羅しているサービス満点の展開です。
本作は本格的ミステリーであるばかりでなく、良質の青春ドラマでもあります。
それは、作者が巧みに描き分ける主人公グループの青春群像が、時代を超えてキラキラと輝いていること。これ故でしょう。
まずは、風早勝利(かざはや かつとし)
主人公で、推理小説研究会の部長。あだ名は「カツ丼」。老舗割烹のボンボンです。
当時の17歳らしくイガグリ頭。作家志望で、事件に対する好奇心が強く、積極的に謎解きに挑んでいきます。常に鉄筆を片手に、ガリ版で処女作となる推理小説を執筆しています。
薬師寺弥生(やくしじ やよい)
東名学園高校3年生で、あだ名は「姫」。
美しく気品がある存在感を持つ女性キャラクター。「姫」というあだ名が示すように、周囲から特別な存在として扱われる美しい女性です。その外見や雰囲気から、グループ内でも目立つ存在となっています。
神北礼子(かみきた れいこ)
同じく東名学園高校3年生で、あだ名は「級長」。
勝利たちグループの中ではリーダーシップを発揮する存在。冷静で知的な性格が特徴。眼鏡をかけています。勝利の姉からは、弟のガールフレンドと認識されています。高校生なのに「~ますわよ」みたいな喋り方をしていたのが気になるところ。当時の名古屋の女子高生は、本当に、こんな喋り方をしていたのでしょうか。やや疑問。
咲原鏡子(さきはら きょうこ)
東名学園高校の転校生で、あだ名はクーニャン。
まさに「この時代ならでは」の背景を持つ人物として描かれている彼女には、個人的には、痛く胸を締め付けらてしまいました。
グループの中では常に控えめなのですが、彼女のプライベートは波乱万丈。
その彼女の見せ場が、本作の中では、どれもなかなか出色で、感動的です。
そして、勝利が秘かに恋心を抱いていたのがクーニャンでした。
実質的には彼女が本作のヒロインだと思って間違いないでしょう。
映画化されるとしたら、絶対に一番ギャラの高い旬の女優が演じる役柄ですね。
そして、彼らの担当教師が別宮操。
推理小説研究会と映画研究会の顧問です。生徒たちを見守る大人として登場する彼女のキャラ設定も独特です。
女性でありながら、武道を嗜み、当時としては珍しい運転免許を持ち、教師になる前は尼僧だったという経歴の持ち主。美人でありながら男言葉を喋るというかなりエキセントリックなキャラです。
那珂一兵(なか いっぺい)。
前作『深夜の博覧会』では主人公だった人物で、本作では、主役は少年少女たちに譲り、本作では、別宮先生に乞われて探偵として登場します。
本作では、別映画館の看板絵描きをしながら事件解決に協力するという設定。経験豊富で落ち着いた性格だが、さて彼が満座の中で、犯人として指さした人物とは・・
これらの登場人物を、脳内シアターで映像化するために参考にした映画は、「青い山脈」(昭和24年)、「酔いどれ天使」(昭和23年)の二本。
特に主人公たちが高校生ということで、「青い作脈」は、所蔵のDVDを早送りで見直しました。
この作品は都合5回映画化されていますが、やはりリアルタイムな昭和24年が描かれているということで、同年公開の第一回目映像化作品にこだわることにしました。
今見ると池辺良の高校生にはズッコケますが、先生役の原節子を、もっと男っぽくしたら案外、別宮先生に近いかもと思った次第。
若宮セツコと杉葉子の演じた女子高生は、本作の姫と級長のイメージにドンピシャリで、お二人には最後までこの役を演じてもらいました。
ただひとつ気に入らなかったのが、登場する女子たちがみんな美人に描かれていること。
男っぽい別宮先生でさえ、男の目を引く美人と表現していました。
映画やテレビドラマならやむなしとして、いくらなんでもそれは出来すぎ。
物語の設定上、咲原鏡子だけは美人でないと成立しないかもしれませんが、後の二人は「愛嬌はある」くらいでよかったはず。ここは、作者の趣味が出たかもしれません。
タイトルに象徴される「たかが殺人じゃないか」という言葉は、間違いなく、戦争を経験した人々の倫理観や命に対する価値観の変化を強く示唆しています。
戦争による大量死を目の当たりにした人たちがまだ多く生きていた社会では、個々の命の重みが軽視される状況が生まれていたことも事実。
本作のテーマは、戦後日本特有の精神的な傷や混乱が背景になっているのは間違いのないところ。
まだ戦争の影響の色濃かった昭和時代に一世を風靡した社会派推理小説では、その暗い部分にスポットライトがあてられていたことは事実です。
しかし、本作はその歪んだ価値観を正視しながらも、新しい時代の価値観を肌で直感している少年少女たちの青春群像を爽やかに描くことで、説教臭くない、極上の昭和史ミステリーに昇華させたのは、まさにこの時代をリアルタイムで生きてきた作者の年齢によるところが大きいでしょう。
作者は、この時代をミステリーという形で書き残すことは、この時代を生きてきた自分の作家としての使命くらいに思われていたのかもしれません。
「たかが殺人じゃないか」
このタイトルには、「殺人狂時代」という映画の中で、チャップリンが言ったセリフが色濃く反映されていると直感しました。
「一人を殺せば犯罪者だが、百万人を殺せば英雄になる。数が殺人を神聖化する。」
(原文:"One murder makes a villain; millions a hero. Numbers sanctify.")。
このセリフは、戦争や大量殺戮を皮肉り、個人の犯罪と国家規模の暴力の矛盾を鋭く批判したものですが、簡単に訳せば、要するに「たかが殺人じゃないか」。
さて、このセリフを、いったい誰が本作の中で吐くのか。
本作を、これから読まれる方は、是非その辺りにご注目されることをお勧めします。
もしも、この読書感想文を読んで、本作を読んで見たら、まったく面白くなかったといわれるあなたに一言。
「たかがブログじゃないか」
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