いつかは見ようと思いながら、半世紀近く経ってしまった映画がいくつかありますが、これはその代表的な作品です。
それもそのはず、なんとこの映画の上映時間は9時間36分。
よほどの覚悟がないとみられる映画ではありません。
学生時代に、都内の邦画専門の名画座で、何度かオールナイト連続上映興業があったのは記憶にありますが、やはりその長さに恐れをなしてスルーしてしまいました。
見に行った大学の友人に話を聞くと、見終わって映画館を出たときには、もう街は通常稼働しており、講義を受けにいく気力は消え失せていたとのこと。
あまりに重い内容が尾を引いて、結局その日は何もできなかったとぼやいていたのを思い出します。
本作は、全6部構成で、そのうちの2部ずつが、1959年から1961年をまたいで、3年がかりで公開されました。
トリロジー作品というと、「スター・ウォーズ」や「ロード・オブ・ザ・リング」が有名ですが、その先駆けとなったのはこの作品だっかもしれません。
全上映時間合計の9時間36分というのは、この映画の公開が終了した1961年から、1987年までは、最長上映時間映画として、ギネスブックに正式に登録され続けました。
ちょっと気になって、AI にリサーチしてもらったら、現在この「人間の条件」の上映時間を超える作品の中に、僕の知っている作品は一本もなし。
上映時間だけで、1ヵ月をこえるような作品もありましたが、そのいずれもが、ただ上映時間にフォーカスしているだけの実験的ドキュメント映画がほとんどです。
しっかりとした物語構造を持つ、ナラティブ映画は一本もありませんでした。
その意味では、本作「人間の条件」は、興行に耐えうる娯楽映画としては、現在でもなお世界最長の映画であることは間違いなさそうです。
物語は以下の通り。
第一部/第二部:純愛篇・激怒篇
1943年、南満州鉄鋼会社に勤務する梶は、新妻・美千子とともに満洲の老虎嶺鉱山に赴任します。
梶は労務管理者として、過酷な労働環境に苦しむ中国人労働者の待遇改善に尽力しますが、日本軍や現地管理者の非人道的な扱いに直面します。
やがて、北支から送り込まれた捕虜600名が過酷な環境下で牛馬のように扱われていることを知り、梶は人道的な改革を試みるものの、体制の圧力と理不尽な現実に押しつぶされていきます。
第三部/第四部:望郷篇・戦雲篇
労務管理の職を解かれた梶は、召集されて関東軍に配属されます。
厳しい訓練と上官のいじめ、同僚新城とともに「思想犯」のレッテルを貼られ、日々迫害を受けます。
新城は耐えきれず脱走、梶もまた軍隊の理不尽さと暴力に苦しみながら、やがてソ連軍の参戦を迎えます。
前線での戦闘が激化し、梶の部隊は極限状態に追い込まれていきます。
第五部/第六部:死の脱出・曠野の彷徨
ソ連軍の攻撃で部隊は壊滅、生き延びた梶は負傷者や避難民と合流し、飢餓と疲労の中を逃避行します。
次々と仲間が倒れ、民兵やソ連軍の追撃にさらされながら、やがて梶はソ連軍の捕虜となります。
捕虜収容所では日本人同士の暴力や裏切りに直面し、梶は絶望の中で人間性を守ろうと最後まで抗います。脱走を試みた梶は、雪原で力尽きて倒れ、その体は雪に覆われていきます。
9時間半の上映時間を通じて、本作はいろいろな「顔」を観客に見せていきます。
「純愛編・激怒変」で、過酷な強制労働を強いられる中国人労働者にも理解を示し、待遇改善に挑む梶の姿には、「ショーシャンクの空に」でのティム・ロビンスの顔が被ります。
「暴力脱獄」のポール・ニューマンの顔もチラリ。
学園スポーツもの、刑務所モノ、捕虜収容所ものには、すさんだ現場が、主人公の登場により一致団結し、圧政者に立ち向かって再生していくカタルシスを描く傑作映画が数多くありますが、本作第一部/第二部の見所はこれ。
但し、通常の尺の映画であれば、このクライマックスで主人公がヒーローとなりハッピーエンドになるところですが、本作においてはこれが導入部。
これにより、招集免除を解除され、国境付近の最前線に飛ばされる主人公の梶に、ハッピー・エンドはありません。
ここから始まる、想像を絶する地獄とは・・・
ちなみに、いくら重厚極まる映画とは言え、そこは当時のエンターテイメントを担う映画です。
観客のためには、美人女優のキャスティングは嬉しいところ。
全編を通じて、戦時ならではの純愛を貫く梶の妻・美千子役には新珠 三千代。
彼女は、過酷な運命に翻弄される梶の瞼の裏にしっかりと焼き付けられ、常に彼を支え鼓舞します。
そして、戦時下の満州に作られた慰安婦たちの娼館には、飛び切りの美女が二人。
一人は淡島千景。もう一人は有馬稲子。
こんな美人が、大陸の場末の娼館にいるわけがないだろうとは思いますが、そこは映画です。
「愛してしまえば命がけ」という彼女たちの生き様を、しっかりと体現していました。
望郷篇・戦雲篇になると、舞台はガラリと変わります。
招集された梶は、関東軍に配属。
ここでは、訓練と教育いう名を借りて、上官や古参兵士からの理不尽なしごきやいじめが横行。
このターゲットになってしまうのが、これが映画デビュー2作目となる田中邦衛演じる小原二等兵。
彼は、そのいじめに耐え切れずに銃口を喉に当てて自殺してしまいます。
すぐに頭に浮かんだのは、スタンリー・キューブリック監督の「フルメタル・ジャケット」です。
小原が自決を刊行するのが、トイレというのも同じ
キューブリック監督の念頭に本作があったかどうかは定かではありませんが、あの映画の原点がここにあったのは明白。
また、本作以前に、軍隊の内部告発を扱った映画には、フレッド・ジンネマン監督の「地上より永遠に」という傑作がありましたが、映画という芸術は、その映画的エキスが、時代に応じて形を変え、連綿と引き継がれていくものなのでしょう。
参謀や長官を演じさせたら右に出るものはない藤田進が、戦争末期ゆえに招集された40代の初年兵を演じていたのも印象的でした。
三千子が前線の基地に、梶を尋ねていくシーンがありましたが、すぐに思い浮かんだのはアラン・パーカー監督の「ミッドナイト・エクスプレス」。
この作品では、トルコの刑務所に収監されたブラッド・デイビスに、恋人が面会に行くシーンがありました。
彼は恋人に、「裸を見せてくれ」と懇願するするのですが、これはこの映画に先立つこと18年前の本作にも登場します。
上官に許されて、一晩だけ武器倉庫で夜を共にする二人。
明け方、これが最後になるかもしれないと予感した梶は妻に、君の姿をこの目に焼き付けておきたいから、裸になって窓の前に立ってくれと懇願します。
なかなか切ないシーンでした。
そして、梶は、彼が自ら教育に当たった部下たちと、国境付近の最前線でロシア軍と相対します。
ここからは、陸上自衛隊の協力を得て、当時の自衛隊提供の銃剣や戦車を使った戦闘スペクタクルです。
仲代達也氏は、インタビューで、撮影では実戦さながらに、掘ったタコツボに身をかがめた頭上をタンクのキャタピラが通り過ぎるようなシーンを、スタントなして撮影したと語っていましたから、ほとんど命がけだったようです。
ブローニングM1919重機関銃なども登場。ソ連軍との戦闘シーンでは、自衛隊の戦車であることがわからないように、草で擬装されて輪郭を隠したM4中戦車がソ連軍戦車として登場しています。
最近の戦争映画のような残酷ショッカー・シーンは抑えられていますが、すべてホンモノを使用しているという点で、当時の戦争映画としては、格段に迫力ある戦闘シーンが展開。
ちなみに、当時はまだ中国との国交が正常化されていなかったので、撮影はすべて北海道のサロベツ原野で、戦闘シーンは、自衛隊の演習地で行われたとのこと。
梶は、激戦の末、生き残った仲間と共に、荒野をさまようことになります。
ドイツ降伏を知り、終戦も近いことを信じながら、梶は仲間と共に満州の荒野を逃避行します。
途中で村を追われた避難民たちと合流。
ここからは、極限のサバイバルが始まります。犠牲者を出しながらの決死行は、パニック映画の嚆矢「ポセイドン・アドベンチャー」を髣髴とさせてくれました。
梶の人間性や強烈なリーダー・シップを信じて、彼についていく避難民や敗残兵たち。
しかし生死の境で、本能がむき出しになる極限状況の中では、梶のヒューマニズムは次第に追い詰められていきます。
そんな中で、人間のエゴイズムをも剝き出しにした悪徳伍長・桐原を演じたのが金子信雄。
金子信雄といえば、何といっても後年の「仁義なき戦い」シリーズの山守組の親分役が有名。
あの殺してやりたいくらい憎たらしいキャラが、彼の真骨頂ですが、そのキャラの原点は、本作にあったことを確信。
桐原が、避難民の少女(中村珠緒)を強姦したことで、梶の怒りが爆発。
梶は桐原を糾弾しますが、一緒には行動できないと判断した桐原は、さっさとロシア軍の捕虜になる道を選んでしまいます。
さて、梶たち一行は、苦難の末、女たちだけの避難民の部落にたどり着きます。
ここで登場するのが、僕の御贔屓女優・高峰秀子。
トリロジー3作目の、配役クレジットの「トメ」に彼女の名前がありましたので、いつ出るかいつ出るかと待ち構えていました。
女だけの部落で、長老を演じているのが、これも僕の御贔屓の笠智衆。
満州の原野の部落においても、彼の熊本弁は変わりませんでしたが、やはりこの人の存在感はたいしたもの。
そして、このシークエンスを締めるのは、やはり高峰秀子の圧倒的な演技でした。
女だけの部落に、もちろん「それ」を目的にやってくるロシア軍たち。
抵抗できない女たちは、それを受け入れるしかありません。
しかし、日本人を守りたいという正義感から、梶は仲間たちに戦闘態勢を指示。
ロシア軍に銃を向ける梶たちの前に飛び出た、高峰秀子が絶叫します。
「兵隊さんたちがロシア軍を殺したら、残された私たちがどうなると思うんですか!」
事情を察した梶は、仲間たちに銃を捨てさせ、投降を指示。
梶たちは、ロシア軍の捕虜になります。
梶はロシアの捕虜収容所で再び桐原と対面。この男は、ロシア側から重宝されて、日本軍捕虜の管理役に収まっています。
梶は、せめて自分の周辺にいる日本兵だけでも、桐原やロシア軍の理不尽な強制労働から守ろうと必死になりますが、彼の誠実な訴えは、ロシア語通訳をする日本兵の故意の「ねじまげ」により、悪化するばかり。
梶は、シベリアへ抑留されてしまいます。
しかし、自分を慕っていた寺田二等兵(川津祐介)が、梶憎しで凝り固まっていた桐原の執拗な強制労働を受けて死んだことを聞くと、梶の中でなにかが切れます。
梶は、桐原の兵舎を訪れ、言葉巧みに呼び出すと持っていたチェーンで、桐原をメッタ打ち。
桐原は、糞尿の中に沈んでいきます。
恥ずかしながら、このシーンにカタルシスを感じてしまうのは、自己分析をすると、ここまでの金子信雄の演技があまりに憎々しかった故でしょう。
復讐劇を正当化するつもりはありませんが、映画というエンターテイメントにおいて、これがある程度認められているのは、そのカタルシスが、人間本能の根源的なものだということを、作り手が分かっているから。
ですから、そこに至るまでのプロセスがきちんと描かれていないと、これは単なる残忍な暴力シーンになってしまうことを、作り手は重々承知して作っています。
後の「仁義なき戦い」では、憎らしい山守組長の決着は最後まで尽きませんでしたが、本作ではきっちりとオトシマエがつく展開。後から本作を見たものとしては、溜飲が下がる思いでした。
この復讐で居場所を失った梶は捕虜収容所を脱走。乞食同然になって、冬が近づくシベリアの荒野を彷徨します。
彼の脳裏を支配しているのは、今は三千子との暖かい記憶のみ。
しかし、やがて彼は力尽き、動かなくなった彼を雪が包み込んでいきます。
仲代達也氏のインタビューによれば、このラスト・シーンも決死の撮影だったとのこと。
体に雪が積もって山になるまで、仲代氏は動くことを許されなかったそうです。
彼は、次第に意識も薄れかけ、明確に死を意識したとのこと。
ポリコレ全盛の昨今では、そんな撮影自体が許されないでしょうが、まだこの時代はそれが当たり前。
撮影が終わっ仲代氏に、小林正樹監督は、ねぎらいの言葉を一言もかけてくれなかったとのこと。
また、これに対して、自分は俳優だからそれで当然だと思ったという仲代氏にも頭が下がります。
この命がけの撮影の3年の間に、俳優・仲代達也は、黒澤明監督の「用心棒」「椿三十郎」という二本の映画も掛け持ちしていますが、撮影には厳しいという黒澤監督も、「人間の条件」の撮影現場を経験している仲代氏には、仏のように思えたかもしれません。
小林正樹監督は、1916年生まれ。
1941年に松竹大船撮影所に入社。しかし翌年、太平洋戦争に応召され、満州や宮古島での過酷な軍隊生活を経験しました。この戦争体験が、後の反戦的な映画作りの原点となります。
初期監督作品においては、松竹のお家芸であるリリカルな庶民映画も撮りましたが、「壁あつき部屋」や「黒い河」などで社会派監督として注目され、本作のトリロジーで世界的にも注目される監督となります。
僕が今まで鑑賞済みの小林作品は 「切腹」と「東京裁判」。
どちらも、小林作品しては、突出した傑作です。
本作の原作は、五味純平の大長編小説です。
「魂の底揺れする迫力」と評され、発表当時から大ベストセラーとなりました。
全6部で、400字3000枚という力作でありながら、圧倒的な筆力で読者を引き込みます。
中国文学者・竹内好は「どんなに重苦しくても、誰かが一度は書かなければならなかった」と評し、日本人の戦争体験を描いた文学の中でも最も重要な作品の一つとして位置づけられています1。
彼は、中国大連の近郊で生まれ、満州の昭和製鋼所に勤務後、1943年に召集されてソ満国境を転戦、終戦後は捕虜となり1948年に帰国。
本作さながらのその戦争体験が本作には色濃く反映されていることは言うまでもありません。
本作は、戦争という極限状況における人間の尊厳や良心、愛、そして生きることの意味を深く問いかける作品として、日本映画史に確かな足跡を刻んだ作品です。
日本映画の中でも屈指の重厚さと問題提起のメッセージ性を持ち、今なお多くの衝撃と感動を与え続けていることは、しっかりと確認できた次第。
小林監督や、五味純平氏のような、先の大戦を生き抜いた先達たちは、今や日本社会の中では一握りしかいません。
また彼らの残した渾身の小説や映画も、次第に時代の空気にそぐわなくなり、陽の目をみなくなってしまったものが多いことも事実です。
ポリコレの観点から言っても、本作には指摘されて当然の映画的表現は散見します。
しかし、それでも本作が、このような長時間の作品ではあるにも関わらず、興行的に大ヒットを記録し、当時の日本人の感覚を救い上げた作品であることも紛れもない事実です。
人間であることにこだわり続けた本作の主人公・梶は、戦争や軍隊という不条理な世界の中で、自分に正直であり続けたことで、とことん辛酸をなめつくし、究極の地獄を味わいました。
もちろん、そんな不条理な世界の中で、自分の信念を曲げずに、梶のように振舞える人がそうそういるとは思えません。
その意味では、本作はファンタジーと言ってもいいかもしれません。
僕のような世俗の垢にまみれたような人間には、融通がまるで利かない梶の聖人君主ぶりに、何度もイライラさせられたことだけは、正直に申し上げておきます。
9時間半の間、ニコリと出来るシーンはただのワンカットもないような重苦しい映画ではありますが、これに耐えられる人なら、是非一度通してご覧になってみてください。
臭いものに蓋をして、見て見ぬふりをしないことは、これからの日本人としての条件かもしれません。
あーしんどかった。
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