小津作品は、カラーで撮影した晩年の6作品をまだ見ていませんでした。
どれも名作の誉れ高い作品ばかりなので、もちろんいずれは鑑賞するつもりで、すでに録画してある作品もあります。
しかし、どうせ見るなら、製作年度順に見たいという思いで、小津カラー作品の一本目である本作を鑑賞できる機会をうかがっていたのですが、やっとAmzon プライムのFODのラインアップで本作とご対面。
なんと、YouTubeでも、フルサイズの動画が上がっていました。
もうそういう時代なんですね。
残り5本も随時見れるようなので、ゆっくりと楽しませていただくことにいたします。
日本人の嗜みとして、鑑賞可能な小津作品は、死ぬまでにすべて見ておきたいと思っています。
さて、そういうわけで、本作は小津監督のカラー作品としては最初の一本となります。
小津安二郎が、本作で初めてカラー映画を手がけるまで、長らくモノクロ作品にこだわり続けた理由には、主に以下のような背景があります。
小津の成熟期に当たる1950年代、日本映画界ではカラー化やワイドスクリーン化が進んでいましたが、小津は新しい技術導入に対して非常に慎重でした。
ワイドスクリーンについては「四畳半に住む日本人の生活を描くには適さない」として導入せず、カラーについても「自分が望む色彩の再現がうまくいくかどうか不安に感じていた」と伝えられています。
小津は「カラー映画はいやな色を除いて、美しい色の楽しさを見せることだ。いろんな色を、ごちゃごちゃに入れても仕方がない」と語っており、日本映画のカラーの使い方に対する常識を破りたいという意識がありました。
彼は特に「赤」の発色に強いこだわりがあり、既存のカラーフィルムではその再現に満足できなかったため、やむなくモノクロを選び続けていたと考えられます。
戦後の小津作品のカメラマン・厚田雄春によれば、『東京物語』(1953年)の頃からカラー撮影の可能性を見据え、さまざまな研究を始めていたものの、実際に納得できる色彩表現ができるフィルムや技術が整うまで待っていたという経緯があります。
本作で大映から山本富士子を借用する際、「山本富士子を使うならカラーで」という要望があり、制作会社からもカラーで撮るよう命じられたことが、小津監督がカラー映画制作へと舵を切る決定的なきっかけとなりました。
その際、厚田雄春の助言を受けて、小津が好む赤の発色が良いドイツ製アグファカラーフィルムを採用し、以降は全作品をアグファカラーで撮影しています。
アグファカラーは、赤の再現度が非常に高い一方で、青色の発色は控えめという特性があります。
小津監督はこの特性を活かし、画面の中に「赤」の小道具(たとえば赤いやかんやテーブルクロス、ジュース瓶など)を効果的に配置し、画面にアクセントを与えています。
また、衣装や背景の色調は全体的に渋めで落ち着いたトーンが多く、そこに高彩度や高明度の小物を散りばめることで、構図の引き締めや独特の美しさを生み出しています。
常時着物で登場する山本富士子の帯の色は必ず赤。華やかな彼女のムードを、色、鮮やかな赤でしっかりとサポートしていました。
さらに、小津は小道具や美術品にも強いこだわりを持ち、自宅の私物や本物の美術品を撮影に使用することで、色彩の質感やリアリティを高めています。
このような高度な色彩設計は、当時の日本映画では珍しく、本作以降の小津作品の大きな魅力となりました。
ホンモノ嗜好の小津の美術品に対する慧眼は、映画の文化的価値も大いに高めていたというわけです。
もちろん、僕ごときに理解できるはずもありませんが。
物語は、定年間近の大企業の取締役・平山渉(佐分利信)が、娘・節子(有馬稲子)が自分に相談せず結婚相手を決めたことに動揺し、親子の価値観のすれ違いと和解を描きます。
平山の友人たちもまた、娘の結婚や家族の問題にそれぞれが直面しており、親世代と子世代の意識のギャップが、盟友・野田高悟との巧みなシナリオ・ワークを得て、活写されていきます。
本作で「花嫁の父」を演じたのは佐分利信です。
小津安二郎監督が本作において、長年の小津作品の“父親像”であった笠智衆ではなく、佐分利信を起用した狙いはなにか。
まず、佐分利信が持つ「昭和的頑固親父」像が、今回の物語の主題、つまり娘の自立や親子の価値観の衝突をより鮮明に、リアルに描き出すために必要だったと考るのが妥当でしょう。
佐分利信は、当時の日本社会における典型的な企業人であり、威厳や頑固さ、家父長的な雰囲気を強くまとっていました。これは、笠智衆の父親像が持たない側面です。
これにより、娘の結婚をめぐる父親の葛藤や時代の変化への戸惑いが、観客により説得力をもって伝わることになります。
笠智衆の演ずる父親像は、概ね「優しい父親」「どこか寂しげで柔和な父親」でした。
しかし、「彼岸花」では、より強い父性や社会的な権威を持つ人物像を小津監督が求めた為、笠智衆はあえて脇役(友人役)に回っています。
また、本作では主人公の平山渉を中心に、同世代の男たちが集い、時代や家族について語り合う“男たちの定型”がほぼ確立されており、佐分利信、中村伸郎、北竜二、笠智衆がそれぞれ異なる個性を持つ同級生として配置されました。
このバランスの中では、本作の父親像に佐分利信の存在感が最もふさわしかったといえます。
小津監督は、本作では脇に回ってもらった笠智衆に、こんな見せ場を用意しました。
それは、中学時代の仲間が集まる同窓会の場で、みんなに囃し立てられながら詩吟を唸るシーン。
カラオケなどない時代ですから、当時としては当たり前の宴会芸なのかもしれませんが、この詩吟を聞く仲間たちが一斉にしんみりと聞き入るわけです。
そして、それが終わった後は、なにやら全員で大合唱を始めます。
これをフル尺でやるからには、この詩吟と歌には、なにか本作のテーマに絡めた意味があるのだろうと察し、AI で調べてみました。
笠智衆が唸った詩吟は、「楠木正行、如意輪堂の壁板に辞世を書するの図に題す」
南北朝時代の武将・楠木正行(くすのきまさつら)が、最後の戦いである四条畷の戦いに赴く直前、奈良県吉野の如意輪堂(にょいりんどう)において、一族や同志143名とともに自らの名を壁板に記し、さらに辞世の和歌を矢じりで刻みつけた場面を描いた詩です。
この場面は、忠義・覚悟・無私の精神を象徴する歴史画題として、江戸時代以降さまざまな絵画や浮世絵に描かれてきたようです。
つまりこの図は、単なる歴史的事件の記録にとどまらず、武士道の精神、そして日本人の死生観や名誉観を象徴する場面として、後世に大きな影響を与えました。
辞世の和歌とともに、名を壁板に刻むこの行為は、後世にまで語り継がれる日本人の精神文化の一つの象徴となっています。
翻って、この武士道精神を、年頃の娘を持った親が、天塩にかけて育てた娘といつかは別れることになる心情や、日本的無常観と重ね合わせたということなのでしょう。
詩吟の直後には、同じく楠木正成・正行父子の「桜井の別れ」を題材にした唱歌「青葉茂れる桜井の」を全員で歌う場面が続きます。
この同窓会が我々の世代の集いだったとしたら、さしずめ海援隊の「贈る言葉」か、長渕剛の「乾杯」あたりになるのでしょうが、ちょっと小津調からは外れますな。
さて、本作で佐分利信の長女を演じたのは有馬稲子。
小津安二郎監督が「彼岸花」で有馬稲子に求めたキャラクターは、自分の幸せを自分で選び取ろうとする、意志の強い現代的な娘像です。
有馬稲子が演じた平山節子は、父親に相談せず自ら結婚相手を決め、親世代の価値観や期待に抗いながらも、自分の人生を主体的に歩もうとする女性です。
物語の中で節子は、父(佐分利信)との対立や葛藤を経て、「自分の幸せは自分で探したい」とはっきりと主張します。この姿は、戦後の女性の自立や世代間の価値観の変化を象徴しています。
また、節子は感情を抑えきれずに泣く場面が三度あり、その涙は父への愛情や葛藤、そして自立への決意を静かに表現しています。
小津監督は、有馬稲子に対し「自然体で、無駄な動きや余計な感情表現を抑える」ことを求め、節子の揺れる心情や繊細さを、あくまで静かな演技で体現させることにこだわりました。
このように、小津監督が有馬稲子に求めたのは、時代の変化に直面しながらも自分の道を選ぶ芯の強さと、家族への複雑な愛情を内に秘めた、静かながらも力強い現代女性のキャラクターでした。
とにもかくにも、山本富士子と有馬稲子の美しさは、なんともカラー画面に映えることよ。
山本富士子は、元ミス日本出身という折り紙付きの美人で、興行収入アップを目論んで、大映から借り受けたわけですが、有馬稲子は、小津のモノクロ作品「東京暮色」で、自殺をしてしまう暗い役を演じていたのを、つい最近見たばかりだったので、本作のカラー画面で見た彼女の美しさには、目がくらんでしまいました。
本作にはもう一人、久我美子という美人女優も出演してるのですが、黒いドレスでスナックのホステスを演じていた彼女は、この作品では少々割を食わされてしまいました。
親たちからのお見合い猛攻に対抗するために、二人で共同戦線を張りましょうと幸子と節子が、指切りをする場面は、本作を象徴するようなシーンになっていたと思います。
旬の美人女優たちだけでなく、脇を固めるベテラン女優達も、小津映画は豪華です。
節子の母親役は、田中絹代。
この人は日本映画の黎明期から松竹を支えてきた看板女優。本作撮影時49歳。
貫禄も出て当たり前ですが、さすがは名女優。
夫を影で支えながら、娘たちにも変わらぬ愛情を注ぐ市井の母親役を巧みに演じていました。
しかし、個人的に目が行ってしまったのが、幸子の母親を演じた浪花千栄子。
僕らの世代では、「オロナイン軟膏」のテレビコマーシャルでしっかりと刷り込まれている女優です。
とにかく関西弁の達者なセリフ回しが彼女のトレードマーク。
誰を相手にしても、元気にしゃべり倒すのが本作での彼女の役回り。
その彼女が、手土産をもって佐分利信の自宅に訪問するシーン。
田中絹代を相手に、世間話が盛り上がるわけですが、途中で彼女がお手洗いにたちます。
ローアングルのカメラは、二人が話していた居間から、廊下に切り替わります。
サッサッサと歩いていく彼女は、お手洗いに入ろうとして、突如方向をクルリと変えます。
何をするのかと思ったら、廊下に逆さまに下がっている掃き箒をクルリと直してから再びお手洗いへ。
世話好きオバサンなら如何にもやりそうなこの所作が完全にツボでした。
果たしてあれは、演出なのかアドリブなのか。
「麦秋」で杉村春子にこれをやられたときも唸ってしまいましたが、本作での浪花千栄子にも、杉村春子が乗り移っていたかのようでした。
あんなシーンに出会えるだけでも、小津映画を見る価値はあります。
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