伊坂氏のミステリーとしては、本作が2冊目となります。
去年読んだ一冊は、「重力ピエロ」。
本ブログに読書レビューを乗せておりますので、是非そちらもご覧になってください。
伊坂幸太郎の小説は、ミステリーやサスペンスを基調としつつ、巧妙な伏線回収、ユーモア、独特の会話劇、そして群像劇的な構成が特徴。
本作においても、決して愉快とは言えないテーマを扱いつつ、全体を仄かなユーモアで包み込む独特の伊坂ワールドを展開。
謎解きの楽しみも織り交ぜつつ、二つの時間軸を巧みに交叉させる秀逸なストーリーテリングは見事でした。
本作は、2003年に刊行されたミステリ小説。第25回吉川英治文学新人賞を受賞した伊坂氏初期の代表作の一つです。
物語は、大学進学のために仙台で一人暮らしを始めた椎名勇太という気弱な大学生が、隣人の河崎和也から「本屋で広辞苑を盗まないか」という奇妙な誘いを受けるところからスタート。
椎名は、河崎が同じアパートに住むブータン人留学生ドルジ(本名:キンレイ・ドルジ)に広辞苑をプレゼントしたいと言う理由を聞き、訝しく思いながらもこの計画に参加。
物語は、この事件に巻き込まれる椎名の現在と、それから2年前の琴美という女性を中心とした出来事をカットバック形式で交互に描かれていきます。
どちらの時間軸にも登場する、本作のキーマンとなる人物は河崎和也。
2年前、琴美はドルジの恋人であり、河崎の元恋人でもありました。
琴美は、麗子という、どこかに人間離れした美人が経営するペットショップで働く中で、ひょんなことから、世間で多発していたペット惨殺事件の犯人たちと遭遇。
この事件に巻き込まれていきます。
琴美は何度か犯人たちに襲われますが、危機一髪のところをドルジや河崎に助けられ、今度は逆に犯人たちを捕まえようと奮闘します。
しかし、最終的に琴美は・・そして、河崎は・・・
ミステリーと人間ドラマが巧みに絡み合い、伏線が緻密に張り巡らされているので、本作は最後の1頁まで気が抜けません。
河崎は、椎名を広辞苑奪取事件に誘って、こう説明します。
「ボブ・ディランの『風に吹かれて』を2回歌ったら、裏口のドアを一回蹴って」
訳も分からぬまま、その通りに実行する椎名。
この伏線が最後でどう回収されるのか。
タイトルの「アヒルと鴨のコインロッカー」にも深い意味があり、物語の終盤でその真意が明らかになっていきます。
気になったので、ちょっとAI に聞いてみました。
解答は以下の通り。
「カモは野生の水鳥の総称で、自然環境で生活している鳥類です。アヒルは、野生のマガモを人間が長い間飼育して家畜化した鳥です。品種改良により、野生の鴨とは外見や性質が大きく変わっています。」
なるほど。ちょうど狼と犬のような関係でしょうか。
しかし、これもちゃんと本作のテーマに収束していて、タイトル自体が立派に伏線になっています。
この作品の冒頭から登場する摩訶不思議な「謎」。
なぜ、河崎は本屋から、広辞苑を盗まなければならないのか。
しかも、単なる万引きではなく、椎名にモデルガンを持たせて見張りに立たせるという強盗まがいの方法で。
そして、カットバックで描かれる二つの時間軸に仕掛けられた巧みなミスリード。
「現在」と「二年前」という二つの時間軸が交差するところには、どんなサプライズが用意されているのか。
本作では、派手に殺人事件が連続する展開はありませんが、犬や猫などの小動物はかなり惨い殺され方をします。
ペット愛好家の方はご用心ください。
本作が発表された2005年は、動物愛護管理法の改正(1999年施行)によって、動物虐待が明確に「罪」として認識されるようになり、警察や行政が積極的に介入するようになった時期です。
行政資料や報告書によれば、ペットの遺棄や不適切な飼育による虐待、暴力による殺傷事件が各地で発生していたことが確認できます。
近年、動物虐待事件の増加や社会的関心の高まりを受け、2020年6月から罰則が強化されています。以前は殺傷で2年以下の懲役または200万円以下の罰金、虐待・遺棄で100万円以下の罰金のみでしたが、現在は上記のように懲役刑も追加され、罰金額も大幅に引き上げられました。
牛、馬、豚、鶏も、もちろん愛護動物の対象です。ところで、それを日々食べている我々は?
僕がこの作品に強烈なシンパシーを感じたのには、明確な理由があります。
それは、2019年に僕自身がブータンに訪れていること。
定年退職後は農業志望だった僕にとっては、ブータンに行くのは、昔からの夢でした。
およそ一週間ほど、チベット仏教と、国民総幸福度を行政の指針にしている国を自分の肌で体験してまいりました。
ブータンでは、外国人旅行者には、滞在中必ずガイドと運転手が割り当てられます。
嘘のような話ですが、僕を担当してくれた二人は、共に名前がキンレイ・ドルジ。
本作に登場するブータン留学生と同じ名前だったので、ビックリしました。
二人は親戚かと尋ねたら、ブータンではよくある名前だと教えてくれました。
「ブータンは犬だって、猫だってみんなのんびりしてる。放し飼いだ。」
本作のドルジはそう言っていますが、これは本当にその通り。
道のあちこちで、平気で腹を出して寝ている犬たちがゴロゴロしていました。
商店街の宣伝用のぼりを見て、ドルジが、これ、ダルシンみたいだと呟きます。
これもピンときました。
ブータンではいろいろなところに、経文が書かれた細長い旗がひらめいていました。
これがダルシン。
僕のガイドだったドルジは、「これはブータンでは、お墓の代わり。だからブータンにはお墓はない」と説明してくれました。
人が死んだら通常は火葬が行われ、すぐに川に流されるか、その一部を粘土と混ぜて、ツァツァと呼ばれる掌サイズの塔を作って、山や寺院に供えると教えてくれたのは運転手のドルジ。
本作には、ブータンの風習であるという鳥葬が印象的に取り上げられていますが、これは山奥の一部の地域で、乳幼児がなくなった時に見られるのみで、現在ではほぼ火葬が中心とのこと。
それから一週間、彼らと行動を共にしてわかったことは、ブータン男性は、以外にセックスにおおらかであるということでしたね。
僕もそちらの方面においては、ブータン男性に負けず劣らずスケベは自負(モテるのとは違う)していますので、この部分ではおおいに意気投合いたしました。
Line は今でもつながっていますが、運転手のドルジは、「今ガールフレンドの部屋から」と聞いてもいないのに、嬉しそうなコメントが届きます。
「おいおい、あんた田舎には、奥さんと子供がいたんじゃないの」
そう返してやると、「いいの。スケベだから」と全然悪びれません。
本作に登場するドルジは、もう少し真面目なようですが、どこか彼らと言動が似通っていて、妙に納得させられてしまいました。
ブータンでは財産は女が次いでいくもの。土地や家は女性のもの。男は結婚してその家に来るだけ。
本作で、留学生のドルジがそういう場面があります。
これもガイドのドルジと、運転手のドルジが、口をそろえて同じことを言っていました。
僕がブータンでお邪魔した家も、お母さんが大家族の中心でしたね。
お父さんは、物静かで、暇さえあれば農具の手入れや、読経をしてました。
それから、本作の中で、留学生ドルジを通じて、作者がたびたび言及していること。
それは、ブータン人の言語習得能力について。
これは、僕も現地に行って痛感しました。
彼らの多くが、バイリンガル以上であることはすぐにわかりました。
まずは、彼らにとっての母国語であるゾンガ語と、隣の大国インドのヒンズー語が喋れるのは当たり前。
それまで、鎖国状態であったブータンが、国連に加盟したのは1971年のことです。
ここから国のエリートを中心に、学校教育を通じて、英語教育が浸透し、1990年代までには、若者たちの多くが、英語ペラペラ状態になっていたといっていました。
ブータンのホームステイでお世話になった家には、6歳の少年がいたのですが、驚くことには、その時点で彼は簡単な日常英会話なら出来たということ。
おもわず、「どうして?」と聞いてしまいましたが、少年が指さしたのはなんとテレビのモニター。
ブータンでは、英語圏のテレビ放送が、1990年代以降は字幕なしで日常的に放送されているのだそうです。
僕も中学から、英語はやっていたはずですが、会話のレベルは、遠くこの少年に及びませんでした。
その上、ガイドたちは、この基本三か国語の他に、世界中の観光客を迎えるために、最低一か国語を習得することになります。
ガイドのドルジも、日本語習得のために、日本に二ヵ月留学していたといっていました。
果たして、二ヵ月留学して、その国の言語を習得できるものなのか。
僕の感覚では途方に暮れてしまいそうですが、一週間付き合った限りのドルジ・コンビの日本語は大したものでした。申し訳なかったので、滞在期間いっぱいは、いろいろなゾンガ語をコーチしてもらった次第。
もちろん今ではすべて忘れています。
なにやら、本作とは関係ないブータン話になってしまいましたが、僕が現地で体験したブータン人の驚異の言語習得能力は、本作では巧みに、真相への伏線に置き換えられていました。
伊坂氏の取材は、ちゃんとかゆいところに手が届いており、感服いたしました。
本作は、固定観念に縛られた社会に対して、明確な「解決策」や「提案」を結論として押し付けるのではなく、むしろ読者自身が考え、行動を選び直すきっかけを提示しているように読めます。
さらに、物語を通じて「正義とは何か」「善と悪の境界線」「似て非なるものを見分けることの難しさ」といった問いが投げかけられ、読者自身が答えを探すプロセスが重視されています。
異文化との交流に寛容であることは、我が国では縄文時代からのお家芸でした。
世界中で、最も日本人に近いDNAと、顔立ちを持っているブータンの人たちは、もしかしたら、そのことの大切さを、日本人よりも深く理解しているような気がします。
「政治家が間違っているとき、正しいことはすべて誤っている。」
これは、本作中の河崎の言葉。
果たして、政治家はアヒルなのか。鴨なのか。
それがどちらかは判別できなかったにせよ、コインロッカーに押し込めるのだけはおやめください。
それは我が国では、最低でも3つの法律に違反する犯罪ですので。
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