ドロシー・L・セイヤーズといえば、英国推理小説黄金期の代表的作家として、アガサ・クリスティと並び称されるミステリーの女王といわれていますが、恥ずかしながら、つい最近までその名前を知りませんでした。
彼女の名前を知ったのは、「乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10」という集英社文庫のラインナップを知ってからです。
江戸川乱歩は、この時代の英国ミステリーの造詣が深いことで有名。
彼のBEST10を見てみると、選出全10冊のうち、すでに5冊は読破していたので、ついでに残りの5冊も読んでしまおうという気になったわけです。
すでに、本は仕入れてあるので、後はゆっくりと楽しむだけですが、その中の一冊に本書がありました。
タイトルの「ナイン・テイラーズ」というのは、9人の仕立て屋にあらず。イギリスの教会文化に、今も根強く残るチェンジ・リンギングで表現される「弔いの鐘」のこと。
読み終わって思うことは、乱歩は謎解きやトリックだけではなく、セイヤーの「鐘」や村社会の描写に象徴される壮麗さ・荘厳さと、長編小説の枠を超えた文学的な価値を見出しましたのだと思われます。
本作は、事件の暴露とともに人間ドラマ・心理描写・イギリス文化の重層的な描き込みがあり、その文学性・構成美への高い芸術性を日本読者に伝えようとしたのでしょう。
セイヤーズがイギリス本国ではアガサ・クリスティと並ぶ黄金期の著名作家であるにもかかわらず、日本での人気があまり高くないのはなぜか。
この人は学者として、ダンテの「神曲」を英訳するという仕事もこなしていたりして、基本的にすこぶる頭脳明晰な方なんですね。
つまり、作家としてもはなから文化的・言語的心構えが違うということ。
本作には、イギリス文化や教会、引用文・詩歌・歴史の逸話など難解な要素が頻繁に登場し、僕のようなその方面の知識に疎い読者は、かなり翻弄されてしまいます。
日本で読む際、注釈が大量につくため物語への没入やテンポがいまいちになるという難点はありました。
要するに、イギリスの片田舎で起こった一件の殺人事件とエメラルド盗難事件が、妙に格調高いんですね。
主人公ウィムジイ卿の「引用癖」や上流的な独特の言い回し、シャーロック・ホームズやエルキュール・ポワロといった、エッジの立った個性の強い名探偵と比べると、いかにもイギリス紳士然として人間臭いわけです。
こいったウィムジー卿の個性が、日本人読者にとっては受け入れがたかったのかもしれません。
また文庫にして500ページ近い(解説含む)大長編小説なのに、それを引っ張る事件の規模、トリックや展開にややインパクトや派手さがかけるという点は否めません。
ただその分、多数の登場人物たちを効果的に配置して、多角的に、重層的に事件の真相に迫っていくという構成は、ちょっと宮部みゆきの「理由」を彷彿とさせました。
どんどんと登場人物たちの輪が広がっていくので、途中からメモをとらないと、僕の頭では整理不能になりました。
物語の雰囲気や人間ドラマも、トリック同様に重視されていて、純粋な「謎解き」を所望する読者には、不満が残るかもしれません。
日本では探偵の個性やトリックの明快さが重視されやすく、セイヤー的な文学的な作風や哲学的な要素は理解されにくい傾向があると言えそうです。
専門的な知識・語学力を持つ者翻訳が限られていたことも、邦訳完了まで長い期間がかかってしまった原因だったかもしれません
このような事情から、セイヤーズ作品の日本語訳研究はクリスティなど他の作家よりも遅れ、本格的な受容やブームはかなり後になってからになったようです。
本作は、イングランド東部の雪深い小村フェンチャーチ・セント・ポールが舞台。
吹雪の夜、ピーター卿と従僕バンターは車の事故でこの村に滞在することになり、教区長のヴェナブルズ牧師の依頼によって、大晦日の夜から元日にかけて、伝統的な鳴鍾法による行事「ナイン・テイラーズ(九鐘告)」に参加します。
事後、村の名家・赤屋敷のレディ・ソープが死亡。
そして、彼女の死体を埋葬した墓から、顔を破壊され、両腕の先を切り落とされた男の死体が発見されます。
死体の正体や事件の背景には、過去に起こったエメラルドの首飾りの警戒事件、村の人間関係、鐘楼や教会にまつわる伝統、そして不可解な秘密や謎が絡み合い、ピーター卿が、再び村に呼ばれ、この事件の解決に奔走することになります。
多くの伏線やサイドストーリー、英国の寒村文化・鐘鳴りの伝統といった薀蓄も随所にちりばめられ、最終的には過去と現在が繋がり、事件の真相が解明されてくという展開。
荘厳な教会の鐘、村人の人生、そして絡み合う過去の出来事が重厚に紡がれ格調高く描かれていきます。
どの人物も、決定的な悪人には描かれていないというのも特筆すべき点。
本作の各楽章の序文に書かれた鳴鍾法に絡めた短文は、章ごとの主題や展開に密接に対応しています。
鐘の奏鳴や配列方法など技術的な説明だけでなく、鐘が象徴する運命や裁き、沈黙や恐怖を暗示するようになっています。この辺りの構成が、本作のなんとも格調高いところ。
この章ごとの序文が、ストーリーと構造的に対応しているわけです。
メロディの鳴鍾法説明が具体的な章内容の「流れや雰囲気」を先取りし、例えば、諍い・秩序の崩壊や人間関係の複雑化、不吉な運命が鐘の説明に重ね合わせて示唆されます。
鐘がどのように鳴らされるか、また鐘に関する逸話や伝統が章のドラマや出来事にリンクし、鐘の轟きが登場人物の心理や出来事の進行と共鳴する形で物語を描きます。
鳴鍾法短文は章ごとの主題(死、生、裁き、秘密、混沌など)と重なるように構成され、人間を超越した運命や共同体の伝統に巻き込まれる登場人物たちのドラマが強調されます。
序文の鐘の描写は、同じ楽章内で起こる出来事や人間関係の暗示や伏線となっており、物語世界の壮大な雰囲気や構造美を強めています。
このように、各楽章の先ほどの鳴鍾法短文は、その章の主題・内容と深く関心を持ち、鐘を物語の中心的な象徴として、作者は戦略的に活用しています。
但し、これはイギリス国教会独特の文化と密接に干渉しあっていて、キリスト教文化には馴染みのない日本人には、少々難解なところ。
AIの手を借りて、そこそこ深掘りしてみましたが、正直少々疲れました。
クライマックスで描かれる一大スペクタクルも、よくよく考えてみると、事件の本筋とは関係ないというのが面白いところ。
しかし、これが通り過ぎてみれば、ウィムジー卿はなんと事件の真相にたどり着いているというラスト。
セイヤーズが創出したこの貴族探偵は、果たして有能なのか。
はたまた、事件の狂言回しとして、機能していただけなのか。
そのあたりは、ピーター・ウィムジー卿シリーズの他の作品を読む機会に、検証してみようと思います。
ひとつ気になった点。
本作には、男女含めたくさんの登場人物が描かれているのですが、その中に一人も「美女」という表現がなかったこと。
もちろん、小説の場合、その中に表現されている描写から、人物造形はこちらの頭の中で行っていくので、妙齢の女性なら、特に指定がない限り、可能な限り美人にはしてしまうの。
しかし、どんなミステリーにも、主人公脇役関係なく、登場人物の中に最低一人くらいは「美しい」と表現されている女性が描かれているものです。
別にルッキズムを推奨するわけではありませんが、やはり物語の中に美女が登場するのは、ストーリーのアクセントにはなるもの。
それが、本作にはなかったんですね。それが意図的なものか。それとも無意識的なものか。
本作以外の彼女の作品がどうなのかは少々興味があるところです。
ちょっと気になって、作者の写真を検索してみました。
なかなか知性的で凛々しい写真も散見していました.
しかしながら、ミステリー・ファンごときが作者の美醜を語るのも気が引けるところですが、どうひいき目に見ても、容姿に恵まれた女性ではなかったことだけは確か。
もちろん作家なわけですから、容姿などには関係なく、文章力で認められればいいわけなのですが、本作に華がないという印象は、作者自身の自意識に因果関係があるのではないかという気もしてしまいます。
しかし、彼女の本国での人気は、冒頭にも申した通り、アガサ・クリスティと並び称されるもの。
確かに、イギリスの伝統文化をプンプンと匂わせ、哲学的な香りさえも放つ彼女の作品は、プライドの高いイギリス人の感性を大いに刺激してくれるなのものかもしれません。
同じ島国である日本のミステリー・ファンとしては、やはりこの辺りは汲み取りたいところ。
YouTubeに、チェンジ・リンギングの演奏動画がかなり上がっています。
本作を読まれる際には、是非この動画を何本が鑑賞されて、イギリスの伝統文化に浸ってから、本作のページをめくられることをお勧めいたします。
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