最近の海外ミステリーで、読むべき一冊を決める際には「このミステリーがすごい!」のランキングをよく参考にします。
本作は、その「このミス」で、2023年版海外版ランキングの第一位の作品でした。
2019年から、ずっとこのランキングで、一位を独占してきたアンソニー・ホロヴィッツの5連覇を阻んだのが本作。
イギリスの作家クリス・ウィタカーによる骨太のミステリーで、「このミス」以外にも、2023年本屋大賞翻訳小説部門第1位や英国推理作家協会賞最優秀長篇賞など、国内外で高い評価を受けた話題作です。
このところ、手にした海外ミステリーは、少女を主人公にした作品が多いことにハタと気がつきました。
「ザリガニの鳴くところ」のカイア、「自由研究に向かない殺人」のピップ。
どちらも、少女の描き込みに気合が入っていて、こちらとしてはおもわずヒロインの保護者になったような気分で読破。
気がつけばいつのまにか主人公に思い切り感情移入していました。
少女が主人公というと、我が国では青春ライト・ノベルになってしまいがちですが、ここ最近の海外ミステリーの少女ヒロインたちは、ハードな設定をものともせず、大人顔負けの大活躍。
爽やかなジュブナイル小説とは一線を画した本格的なミステリーのヒロインとして、濃密に描かれていました。
少女をミステリーの主人公にするメリットについて少々。
これには3つあると思います。
(こういうと頭が良さそうに聞こえる! )
まず、考えられるのは、読者の共感と感情移入効果。
純粋さと 脆弱性を併せ持つ少女の視点を通して、犯罪を描くことで、読者は事件の不条理さや主人公の葛藤に強く共感し、感情移入しやすくなります。
次に、意外性と視点の面白さを無理なく描けるということ。
大人には見過ごされがちな細部に気づいたり、固定観念にとらわれない自由な発想で事件の真相に迫ったりする可能性を増幅させる効果素があり、物語に意外性と新鮮な視点をもたらします。
そして、少女を主人公にすることで、成長と変化の物語を描けるメリットがあります。
事件を通して少女が成長し、変化していく過程を描くことで、ミステリーとしての謎解きに加えて、感動や希望といった普遍的なテーマを深めることができるわけです。
加えて、日本の場合は、少女趣味が広く男性の嗜好になっているという国民性もあるかもしれません。
変人の名探偵を主人公にするよりは、少女ヒロインは、ミステリーをよりドラマチックに構築するのに適しているのかもしれません。
あらすじです。
カリフォルニアの小さな町で、30年前に少女殺害事件が起こります。
ヴィンセント・キングはその罪を背負って、15歳で服役します。事件の証言をしたのは、彼の親友であり、現在は地元警察署長のウォーク。ウォークは、自らの信念に従い、友情よりも正義を優先しましたが、そのことに罪悪感を抱えたまま生きています。
物語は、ヴィンセントの出所とともに動き出します。町には事件の影が色濃く残り、ウォークは今度は友人として、ヴィンセントの再出発を助けようと奔走します。
一方13歳の少女ダッチェス・ラドリーは、自らを「ならず者」と称して憚らないタフな女の子。
薬物依存の母スターと幼い弟ロビンの面倒を見ながら、厳しい現実と戦っています。
30年前に殺された少女は、スターの妹でした。
このことから、ウォークは、ダッジェスとロビンを放っておくことが出来ません。
仕事の傍ら、なにかと親身に二人の面倒を見ています。
そんな中、スターが射殺されるという事件が起き、その現場にはヴィンセントが。
しかし、凶器の拳銃が発見されないことから、ウォークはヴィンセントの無実を確信し、元恋人のマーサと共に、それを立証することに奔走します。
そして、母親を殺されたダッジェスとロビンは、モンタナにいる祖父の元へ。
しかし、そこにも、魔の手が・・・
ウォークは過去の贖罪と友情のはざまで苦悩しながらも、ヴィンセントとダッチェスたちを守るために奔走します。
本作の原題は、"We Begin at the End"。
つまり、本作の主要登場人物たちそれぞれが、「終わり」から「新たな始まり」へと向かうために、痛みを乗り越えようとする姿が重層的に描かれていきます。
家族、贖罪、赦し、再生が交錯する展開は、心揺さぶるパッションに満ちています。
クリス・ウィタカーは、ロンドン生まれのイギリス人作家。
ファイナンシャル・トレーダーとして働いた後、作家に転身します。現在はイングランドのハートフォードシャーに家族と暮らしています。
高校時代は将来への不安を抱え、大学進学のチャンスも失いました。不動産業者として働いていた19歳の時、暴漢に襲われ重傷を負い、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症。苦しい日々の中で執筆療法を知り、小説を書き始めたのが、彼の作家としての原点です。
最初は自身の苦しみを少女のキャラクター(ダッチェス)に投影して断片的な物語を書いていました。
やがてこの少女を主人公とした物語を本格的に構築し、約20年にわたり断続的に書き続けてきたものを、3年かけて完成させたのが本作です。
当初は「復讐」をテーマにしたシンプルな物語の予定でしたが、主人公ダッチェスを書き進めるうちに、成長や贖罪、家族愛を描く壮大な物語へと自然に発展していきました。
イギリス人であるクリス・ウィタカーは「犯罪小説の舞台としてアメリカは理想的」と語っています。
銃社会や小さな町の保安官制度、カリフォルニアからモンタナに至る広大な土地が、この物語に必要だったと述べています。
作者自身の人生の苦難と再生の経験を土台に、PTSD治療の一環として書き始めた物語を、クリス・ウィタカーは、長い年月をかけて磨き上げ、『われら闇より天を見る』という傑作に昇華させたわけです。
本作は、13歳の少女ダッチェスと警察署長ウォークという、年齢も立場も大きく異なる二人の視点が交互に展開されます。多くのミステリーでは、こうした複数視点が最終的な「邂逅」や交錯の瞬間を物語のクライマックスに据えるという構成であることが多いわけですが、本作は序盤で二人が何度も会話した後、むしろその後は道を分かち、読者に「邂逅の興奮」を期待させない構成となっています。この「ピークに使えるイベントをあえて捨てる」大胆さが、このミステリーの大きな特徴といえそうです。
物語はスピード感や派手な展開に頼らず、じっくりと登場人物の内面や関係性を描きながら進みます。
その中で、静かながらも強烈な内的緊張感や意外性が積み重なり、読者を引き込みます。
これは、スピードで盛り上げる従来のサスペンスやミステリーとは一線を画す手法です。
物語は「無法者」「大空」「清算」「愛情」の4章構成で、カリフォルニアの町からモンタナの農場、さらには里親や施設と、主人公たちの環境が大きく変化していきます。
各章ごとに主人公たちの人生が断絶し、再生を繰り返すような構成は、単線的な謎解き型ミステリーとは異なり、人生の変遷そのものをドラマチックに描いています。
単なる謎解きではなく、家族、贖罪、再生といった重厚な人間ドラマが物語の牽引します。
終盤にかけて、丁寧に張り巡らされた伏線が一気に回収され、ラストの衝撃と余韻が際立つ構成も特徴的。
本作は、複数視点の使い方、クライマックスの構築法、人生の断絶と再生を描く章立て、そして静かながらも緊張感ある進行といった点で、従来の翻訳ミステリーとは一線を画した独自のプロット構成を持っています。
幾度も絶望的な状況に追い込まれながらも、ダッチェスは「幸せな結末」を信じることはできなくなっても、弟のためにだけ、ひたすら前に進み続けます。
弟のための自己犠牲は、彼女の中ではもはや理屈ではありません。弟を守ることがダッジェスの人生そのものになっていきます。13歳の少女はまさに母性の塊です。
ダッチェス・ラドリーの、年齢を超えた責任感と、どんな困難にも屈しない強さ、そして家族への深い愛情を持つキャラクターは、最後の1頁まで、物語の中心で輝き続けます。
そして、鮮やかなラスト。
少女を主人公にしたミステリーを書くなら、ヒロインをどれだけ辛い目に合わせようとも、最後はこうならなければ、やはりファンは納得しないでしょう。
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