「乱歩が選ぶ黄金時代ミステリーBEST10」というシリーズが、集英社文庫から刊行されていて、古典ミステリーファンとしては、これを選書の道標にしています。
全10作はすべて揃えてあり、本作を含め、そのうち5冊まではすでに読了。
あと五作品も楽しめると思うと、結構ニンマリです。
江戸川乱歩が、このランキングを発表したのは1951年のことで、まさにミステリー黄金時最終局の頃ですから、当時としてはまさに旬のランキングだったのでしょう。
本作は、そのランキングで堂々一位でした。江戸川乱歩肝いりの一冊ということになります。
作者はイーデン・フィルポッツ。
この人は、1891年に『The End of a Life』で作家デビューし、以降250編を超える著作を残しました。
特にデヴォンシャーのダートムーア地方を舞台にした田園小説で知られ、「ダートムーア小説」と呼ばれる一連の作品群で、人気を博しました。
本作の前半部分は、このダートムーア地方が舞台になっています。
代表作『Widecombe Fair』(1913)は、1916年に戯曲化され、アルフレッド・ヒッチコック監督によって『農夫の妻』(1928)として映画化。初期のヒッチコックは、サスペンス映画以外の作品も撮っていました。
フィルポッツも、ミステリー以外の作品も多く執筆していました。
ミステリー・ファンとして、フィルポッツの名前を記憶にとどめていたのは、若き日のアガサ・クリスティの隣人であったこと。クリスティの創作活動初期に、彼が彼女に助言を与えたことが、クリスティの自伝にも記されています。
『赤毛のレドメイン家』(The Red Redmaynes)は、1922年発表の長編推理小説。
1920年代の欧米で隆盛した「本格推理小説黄金時代」初期の代表的な傑作として高く評価されています。
ロンドン警視庁の刑事マーク・ブレンドンは、休暇で訪れたダートムーアで美しい赤毛の女性ジェニーに出会い、心を惹かれます。
その直後、ジェニーの夫マイケル・ペンディーンが失踪し、殺人事件が発生。ブレンドンは捜査に乗り出しますが、事件は一族の叔父たちを巻き込み、次々と不可解な殺人の連鎖が始まります。
物語はやがてイタリアのコモ湖畔へと舞台を移し、事件は一年以上にわたって展開。
その間、ジェニーの夫マイケルが殺され、彼女の三人の叔父が次々と殺されていきます。
しかし、誰かが殺された形跡はあるものの、被害者の死体は発見されず。
犯人も見つかりません。
いったい誰が殺されたのか。そして、殺したのは誰なのか。
これを謎にしたまま、事件は意外な方向へ。
本作の最大の魅力は、単なるパズルとしての謎解きにとどまらず、犯罪者の内面にも深く切り込んでいる点です。
そして、推理小説でありながら、登場人物たちの恋愛や人間関係が事件の展開と有機的に絡み合い、物語に厚みを与えてる点です。
特にブレンドン刑事のジェニーに対する恋愛感情が、捜査の過程に大きな影響を及ぼす展開は、単なる推理劇以上のドラマ性を付与しています。
事件の解決に当たる刑事が、事件の関係者に特別な感情を持ってしまったら、はたして、事件の真相を見極める目を曇らせることにならないのか。
ブランドン刑事は確かに優秀です。しかし、ジェニーに恋してしまった彼は、この美女に優しい言葉をかけられれば舞い上がり、イケメンに言い寄られれば嫉妬し、翻弄されまくります。
ミステリーのヒロインに美女の存在は必須ですが、僕の知る限り、シャーロック・ホームズも、エルキュール・ポワロも、明智小五郎も、美女に特別な感情を抱いて、真相を見失うという失態は演じていないはず。
もちろん、名探偵とて人の子、美女に対して、多少の恋心を抱くことはあるにせよ、それは職務は職務として全うしてからの話です。
果たして、この刑事に、この事件を解決することが出来るのか。
こちらがそう思い始め後半になって、満を持して登場するのが元ニューヨーク市警の名探偵ピーター・ガンス。
彼は、最後に残ったレドメイン兄弟の一人アルバートの旧知の友です。
彼はアルバートから、事件の状況を詳しく手紙で知らされた上で、友の元に馳せ参じます。
ガンスは、まずブランドン刑事の優秀さを認めたうえでピシャリ。
「事件の解決に私情を持ち込んでいる今の君には、事件の真相には、けっして近づけない。」
最初は否定するブランドンですが、その感情が決定的な失態を招くに至って、事件は解決に向かって、ピリリと締まりだします。
そして、彼が私情を捨て、自分の地位も顧みることなく、この老刑事のために取った捨て身の行動の先に待っていたものは。
主人公の探偵役が、ヒロインといい関係になるという展開は、ハードボイルド系のミステリーならよくある展開ですが、これが本格ミステリーというジャンルだと意外と新鮮でした。
本格ミステリーの醍醐味といえば、人間ドラマよりもむしろ謎解きというのが相場。
謎解きを担当する名探偵は、たいていの場合、容疑者たちへの個人的感情はシャットアウト。
先入観や第一印象も排除して、重ねられた事実と証拠だけから真実を導くというのが常道です。
それが、事件の導入部から揺らいでいると、読者の心象も不安定になりがち。
ミステリーに、美女のヒロインは不可欠と信じている身として、少々この辺りを深掘りしてみます。
美女との恋に落ちた刑事が、ミステリーにどんな効果を生むか。
この展開は、刑事の「真実を追う義務」と「愛する人を守りたい感情」が激しく衝突させます。
そして、この内面の葛藤は物語に強烈なドラマ性と緊張感をもたらします。
一方、読者は「彼女は本当に犯人なのか?」「探偵はどう行動するのか?」という二重のサスペンスに引き込まれることになります。
クールであるべき刑事が恋愛によって判断を誤り、非合理的な行動を取る可能性はいってみればサスペンス。
これにより探偵キャラクターがより人間的で親しみやすくなり、感情移入をする読者もいるでしょう。
読者は刑事の「盲点」を承知の上でストーリーを追え、その弱点がストーリーを動かす原動力となることもあり得るわけです。
探偵の恋愛感情を通じて、読者も無意識にその美女容疑者に対して好意的になることもあるとしたら、これは立派にミスリードの役割を果たしています。
つまり、刑事の恋愛感情が、結果的に、他の容疑者への疑いを強めたり、客観的な推理が妨げられる効果も狙えます。
そして、探偵が魅了されるほどの美女となれば、単なる「容疑者」の枠を超えた深みと魅力を持つ展開は必須。
彼女が「本当に悪女なのか」「無実なのか」「複雑な事情を抱えているのか」という謎は、それだけで読者の興味を強く引くことになるわけです。
逆にこんなことも考えられます。
名探偵としての鋭い観察力や論理的思考が、恋愛感情によって著しく損なわれるとどうなるか。
あまりに感情的で非合理的な行動が続くと、探偵キャラクターそのものの魅力が損なわれる可能性は大です。
このあたりのバランス感覚はとても重要。
刑事が特定の容疑者(美女)に強く肩入れすることで、推理の過程や結論が公平でない、または作為的に見えてしまうというリスクは避けねばなりません。
客観的な証拠よりも感情が優先された結論にならないよう、最終的な解決には論理的な裏付けを丁寧に構築する必要があり、これはミステリーとしては難易度が上がります。
つまり、ミステリーの核心である「謎解き」と「恋愛ドラマ」の比重バランスは非常に重要。
恋愛要素が強すぎると、本来の謎解きの面白さが薄れ、ラブストーリー寄りになってしまう危険性があります。
逆に恋愛が形骸化すると設定の意味自体が失われます。
この設定は、感情と理性の狭間で葛藤する人間ドラマをミステリーの核心に据え、読者に強い感情的没入を促す強力なツールではあります。
特にキャラクターの深みや心理描写を重視する「心理ミステリー」「ハードボイルド」「ロマンティック・サスペンス」といったサブジャンルでなら効果を発揮することは確実。
しかし、本作のような本格謎解きミステリーの中では、謎解きの面白さを凌駕してしまう様な、密度の濃い恋愛ドラマにしてしまっては失敗でしょう。
フィルポッツは、そのあたりの匙加減は心得ていたようです。
物語の本筋に恋愛感情をフューチャーしたミステリーの場合、本質を損なわないバランス、客観的な謎解きの論理性・説得力の維持、恋愛要素とミステリー要素の適切な融合という高度な技術が要求されます。
設定の魅力を最大限に活かすには、探偵の内面葛藤の描写と、美女のキャラクター造形に特に力を注ぐ必要があります。
成功すれば、単なる謎解きを超えた、心に残る深い物語を創り上げることができるでしょう。しかし、設定の持つ「制約」を意識せず、安易に用いると、作品の説得力や魅力を大きく損なう危険性も孕んでいるというわけです。
本格的謎解きがミステリーの醍醐味であったのが、1920年代から始まるミステリー黄金時代であったでしょう。
それから一世紀が経とうとしている近代ミステリーの時代。
謎解きのアイデアは、ほぼ出尽くして、それでもミステリー作家たちは頭を絞ります。
そして、現代の読者を納得させるためには、謎解きトリックそのものよりも、濃密な人間ドラマの比重を大きくしないと読者を獲得できないという必要性を肌で感じることになります。
確かに、近代ミステリーの傑作は、かなり重厚な人間ドラマがメインになっているものが主流です。
そんな小説に慣れ親しんでしまっている読者が、一世紀以上も前のミステリーに、もしも物足りなさを感じるとしたら、おそらくは恋愛ドラマと謎解きのバランス感覚の違いであるかもしれません。
フィルポッツは、確かに黄金期のミステリーを牽引した作家のひとりではあります。
しかし、彼のかつての名声は、欧米の読者の間では忘れられがちとのこと。
その一因があるとしたら、時代が要求したこのバランス感覚のせいかもしれません。
ミステリーに登場する美女は、はたして犯人であるべきか。
それとも無実であるべきか。
そして最後は、主人公と結ばれるべきか。
フィルポッツの選択を貴方が受け入れられるかどうかは、是非本作を読んでご確認を。
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