さて、国道51号線から、国道245号線に入ってさらに北上。
高萩市に入りました。
海岸に下りていくと、晴天ながら波はやや高し。
あの日、自分が海岸沿いに住んでいて、あの 地震の遭遇したら、はたして自分はどういう行動をとっただろうか。
そんなことが、ふと頭の中をよぎりました。
ランチは、国道沿いのラーメンショップ。
顔馴染みらしい客と店主の会話。
「どう、被害はあったの?」
「あったあった。液状化で土間にひびが入った。それで、納戸のドアがしまらなくなったよ。
修理頼んだら、1ヶ月待ちだと。」
ここ茨城県高萩も甚大な震災の影響があったということは聞いてましたの、ランチ終了後、注意しながら国道を走っていると、ふと見えた墓地の墓石が、見事に倒れていましたね。
思わず緊張感が走りました。
「いよいよだな。」
「まんちゃん。こりゃ、仙台になにか支援しないとまずいかもね。」
そういったのは、演歌歌手・桜沢万作のマネージャー兼作詞家の安井俊平。
安井の手には、芸能新聞が握られている。
その新聞に踊っている見出し。
「杉良太郎。宮城県石巻市を訪れ、車両12台分の物資を届ける。」
「演歌歌手小林幸子が7日、福島県相馬市を初訪問し、11tトラックに米10トンを持って慰問。」
「みんな、派手にやってるなあ。」
「演歌歌手は、ここが売りどころというかんじになってる。」
桜沢は、演歌歌手としては、中堅どころ。
しかし、ここ十年は、ヒット曲にも恵まれていない。演歌歌手の場合は、一曲ヒットがあれば、あとは、その曲を歌いつないでいれば、なんとか、歌手としての体裁は保てる。
桜沢も、20年前の、彼唯一といっていいヒット曲だけを、飯のタネにして、なんとか歌手という職業を食いつないでいた。
そんな彼の唯一のヒット曲が、「松島慕情」
この曲は、日本三景のひとつ、松島を舞台にした不倫失恋抒情演歌。
瑞巌寺、五大堂などを歌詞に盛り込んだご当地演歌だ。
しかし、松島は、今回の東日本太平洋沖地震で、他の太平洋岸の町同様に、大打撃をうけ、いまだ復興のめどはたっていない。
桜沢唯一のヒット曲といっていいこの曲。
彼は、宮城出身ではないが、やはり、このヒット曲のおかげで、どの地方都市を回るよりも、仙台で行うリサイタルだけは、客の入りもいい。
やはり、これだけ、震災復興支援のムードが高まってくると、この曲を歌っている演歌歌手が、恩恵を受けた「ご当地」に、なにか恩返しをするのは当然という空気になってくる。
「で、どうなのシュンちゃん。うちの財布の状況は?」
実は、この曲を作詞したのは、まだ当時作詞家をしていたマネージャーの安井俊平。
しかし、現在の安井は、演歌歌手・桜沢万作の経理も預かる立場だ。
「きびしいねえ。赤十字の義援金程度なら問題ないけど、まさかそんなこと、芸能記者が記事にしてくれる訳はない。やはりパフォーマンスがないとねえ。」
「だよなあ。やっぱりいくか。仙台。」
「いくったって、なにするの?」
「リサイタル一回分の売り上げをチャリティで寄付するとか。」
「なにいってんのよ。そんなこと一回でもしたら、うちの事務所なんてすぐにポシャリだよ。」
「だよね。」
「現地にいって、炊き出しや、復興の手伝いするったって、あなたが、桜沢万作だってわかってもらわなきゃ意味ないし。」
「だよなあ。名前付きの、垂れ幕や、たすきをつけたら、逆に売名行為だとたたかれるだろうし。」
「あのさあ、わかってるだろうけど。一昨年、練馬に買った練習スタジオ兼自宅のマンションだって、ローンたっぷりあるからね。」
「わかってる。わかってる。最近、新曲出してないからなあ。」
桜沢の一番新しい曲は3年前。
売上としては、1万枚も届かず大惨敗。以来、レコード会社も、桜沢のCDを出すことには慎重になっている。
「避難所回って、歌ってくるか。看板もカラオケもなしで。それくらいしか、出来ないよなあ」
「宣伝や営業になっちゃ、まずいから、そのあたりが難しいなあ。」
「そうそう、美談にならないとなあ。」
「そっと、ビデオに撮って、Youtube にでもアップしてもらおうか。ファンに頼んで。」
「なに、そのなんとかチューブって。」
「一般人の動画を、インターネットで見ようというサイトだな。」
「へえ。そんなのあるんだあ。」
「演歌歌手・桜沢万作。自費で避難所をまわって歌って、事務所からの宣伝費は被災地に寄付します。まあそんなところかな。」
「まあ、スズメの涙の宣伝販促費は、この際、義援金だなあ。」
義を見てせざるは勇無きなり。
震災から1カ月、今や日本中が、このムード一色だ。
記事を見れば、暴力団までもが、支援活動を行っている。
芸能人としては、この流れに乗り遅れては、機を見てせざるは、敏なきなり。
演歌歌手・桜沢万作の白紙に近かったスケジュール表に、安井の手で「仙台・松島支援活動」の予定が書き込まれた。
「ところで、俊ちゃん。」
「どうした?」
「お願いがあるんだけど。」
「なに?」
「俊ちゃんは、もう作詞はしないの?」
「新曲かい?」
「そうそう。もう俺くらいの歌手には、事務所もさあ、大先生の曲はまわしてくれないし。」
「で、僕というわけね。うーん、で、どんな曲。」
「タイトルだけは、考えてあるんだよね。」
「ほお。どんなの。」
「ひたちなかエレジー」
「ひたちなか?茨城の?」
「そうそう。だめかね。」
「ダメかねって。売れないだろ。そりゃ。」
「いや、売れなくてもいいんだよ。CD一枚出てれば。」
「なにそれ?」
「うちの実家があるんだよね。ひたちなか。」
「実家?」
「そう。実家。実は、浸水で今避難所暮らしなんだよ。うちの両親。」
「・・・」
「いやあ、ひたちなかの歌を、一曲でも出してれば、そっちにも大手をふるっていけるじゃないかと思ってさあ。昨日も、電話でオフクロに泣かれちゃってさ・・・」
大きな声では言えませんが、正直に白状します。
今回のあの大地震が来たとき実は、僕は思わず、笑っていましたね。
そして、最近頻繁に鳴るようになった、携帯電話の地震速報の
着信音を聞いても、僕は気がつけばニヤニヤしています。
なんで、地震が来ると口元がほころぶのか。
自問自答してみました。
直接、震災の被害に合われている方には口が裂けてもいえませんが、
僕は、その瞬間間違いなく、こんなふうに思っているんですよね。
「おっ、おもしろそう。」
「来るなら来いよ。これで終わりか?」
「いいよ。みんなぶっ壊して、仕切りなおし。リセットするのも楽しいかも。」
50歳を超えたいいオヤジが、なにを考えているんだという話ですが、
おそらく世の中のすべてをチャラにして、全員いちからスタート願望が、
潜在的に意識の中に充満していた節があります。
そんな屈折したストレスが、今回の地震のときのニヤケ顔をつくっています。
そっちの方が、むしろ面白そうじゃないかなんてね。
そして、僕のような不謹慎な輩が、日本には少なからずいて、そんな思いが
ふくらんで、重なって、地球の逆鱗に触れて、ついにはこの地震を呼んだのかも。
ちょっと、そんなことを考えてしまっております。
子供のころ、自分のちょっとしたイタズラが、オオゴトになって、それは僕ですと、
言えなくなってしまったという思い出があります。
なんか、その時の気持ちと、いまの気持ちがどこか似ているんですね。
というわけで、いまのうちに謝罪しておくことにします。
この地震を呼んでしまったのは、もしかしたら僕かもしれません。
地震の被害にあわれた皆さん、申し訳ありません。
「あのさあ。なんとか、満タンにしてくれないかなあ。」
柳川信二は、震災一週間後の、埼玉県内のガソリンスタンドの給油渋滞に5時間も並び、やっと給油ができた。
一人一回20ℓまでという、スタンドの店員に食い下がっていた。
「ちょっと、これ見てよ。マスクやトイレットペーパーや紙ナプキン。
これ、なんとか今日中に、茨城の被災地に届けなきゃいけないんだよ。
向こうじゃ待ってんだよ。わかるでしょ
20ℓじゃ、行ったって帰ってこれないでしょ。
あっちいったって、ガソリンスタンドなんかやってないんだからさあ。
こっちで満タンにしていくしかないでしょ。
なんとか入れてよ。満タン。」
年配のスタンド店員は、柳川のけんまくに困惑した顔を隠せないが、その後ろに並んでいる行列の運転手の顔をチラリとみて、首を横に振る。
「申し訳ありませんが。」
その横の列では、別の若い定員が、四葉マーク(高齢者運転標識)をつけた軽自動車に給油している。
「すいません。4リットルしかはいりませんね。」
顔を出して、店員にカードを渡す老婦人。
「あらそう。じゃあ、それでいいわ。」
呆れ顔で、レシートを取りに来た店員が、年配の店員にぼやいた。
「あの、おばあちゃん、昨日も今日も、それから一昨日もこの行列に並んでるんですよ。
燃料なんか全然減ってないのに。
よく、これっぽっち給油するために、この行列に並びますよね。
よほど、ヒマなんですかね。
それに、あれ見てくださいよ。あれも毎日ですよ。
あれは、どこへいくんですかね。」
若い店員の指差した先の、老婦人の軽自動車の後部座席には、カップラーメンやトイレットペーパーが、ぎゅうぎゅうに押し込まれていた。
もうかれこれ、20年近く前に書いた短編小説が出てきました。
そうそう、ワープロ「書院」の練習がてら、書いた記憶がありますね。
当時の感熱紙でプリントアウトしたものですから、もういい加減、あかっちゃけて、かなり傷んでますが、まあ、これはこれで風情があります。
なんとか最後まで読めましたね。
これを書いた当時は、まだインターネットもプログもツイッターもなかった時代。
どこかに応募するほどのシロモノでもありませんでしたから、当然、そのまま書きっ放しで、ずっとほったらかしにしてありました。
今読み返すと、さすがに賞味期限が切れている感じはありますが、まあそれもよし。
今は僕のような素人でも、こういうプログを通じて、「さあ、いかが」といえるようになりましたので、執筆後20年を経て、本邦初公開とすることにします。
スケベオヤジ若借りし頃の、青春恋愛「官能」短編小説でございます。
もう一ヶ月以上たってしまいましたね。
2010年10月17日。
スパリゾート・ハワイアンズで一泊した次の日曜日に、一緒に行った面々と足を延ばしました。
小名浜港に隣接。
正式名称は「ふくしま海洋科学館」というのだそうです。
水族館というと、あたりまえにありそうなイルカのショーなどはなく、かなりアカデミックな
コンセプトになっている感じでした。
子供向けの体験型施設「アクアマリンえっぐ」では、併設されている釣り堀で釣った魚をその場で
調理して食べる事ができ、これも大人も十分に楽しめそう。