さて、2019年度の野菜づくりです。
まずは、オフシーズン中放置したままの畑の片付けから。
畑に植えたものは、ほぼ枯れて土に戻っています。
厄介なのは、畑に敷いたマルチ。
黒いビニールですね。
これは、土に還ってくれません。
任務を終えたマルチは、綺麗に取り除くのが畑のルール。
そのままにしておくと、そのままの状態で、ずっと畑に残留し続けます。
自然のものは、すべて自然に戻ります
しかし、人間の都合で、畑に入れたものは、人間の手で再び撤去する。
これは、この畑に来て、一番最初に教わったことでしたね。
マルチを剥がす時は、周りから徐々に鍬を入れて、なるべく敷いたままの状態で剥がします。
めったやたらに鍬を入れて、粉々の破片にしてしまうと、そのあとの回収がひどく面倒になります。
しかし、どれだけ気をつけても、やはり、一片のかけらも残さず、黒ビニールだけを畑から撤去するのは、至難の技。
きちんと剥がしたつもりでも、土を掘り返せば、後から後から、マルチの破片が出てきて嫌になります。
結局、ある程度までやって、あとは「やむなし」と諦める。
これが毎年のパターンです。
マルチの役目は、保温保湿。そして、雑草が生えてくるのを抑える。
水やりや、除草の手間が大きく省けるというメリットがあります。
その恩恵を考えれば、片付けの際の面倒は目をつぶろう。
これが、玄人素人問わず、多くの野菜生産農家の暗黙の了解でしょう。
そんなわけで、素人野菜づくり5年めの今年もせっせと、マルチ剥がしをしていたら、ふと頭に浮かんだことがありました。
使用後のことを考えずに、目先の都合で、自然の摂理を無視して、人間の技術を導入する。
あれ?
これって、何かに似てないか。
そうですね。原発です。
畑の片付けをしていて、まさか原発問題に思いが及ぶなんて思っても見ませんでした。
でも、考えれば理屈はまるで一緒です。
あの東日本大震災による、福島の原発事故以来、僕自身は、日本中すべての原発は即時廃炉という意見に方に賛成です。
期限指定の生ぬるい脱原発発言は、僕に言わせれば、すべてその場しのぎの逃げ口上。
原発即ゼロ以外は、どんなに上手いことを言っても、原発推進政策です。
しかし、福島の原発事故の、喉元の熱さ過ぎてみれば、お国の方針は、言葉巧みに、原発再稼働に完全に舵を切っています。
人間の技術の結晶で、都会に、安く安定的に電力を供給する。
そのためには、使用後の核廃棄物の処理と、危険のリスクには目をつぶろう。
この了解ものと、日本全国17カ所に原発は作られました。
しかも、都会の電力需要のためなのに、なぜか作られるのは、地方ばかり。
そこから、わざわざ長い送電線をたてて、都会に電気を供給しています。
これつまり、原発には、人命を脅かす危険なリスクがあると、政府が認めているようなもの。
普通のコスト感覚なら、発電所は、その電気を消費する場所に近ければ近いほどいいというのは中学生にもわかる常識。
それが証拠に、火力発電所は、すべて都心近郊に作られています。
なぜ、原発に限り、地方に作られるのか。
考えれば考えるほどイライラしてきますが、百姓がああだこうだという問題でもないので、ここまで。
難しいことを考えると、頭が痛くなってきますので。
でもこの原発問題、根っこのところは、どうも、野菜づくりにおけるマルチ問題とつながってしまいました。
マルチ剥がしをしながら、ちょっと考えてみました。
「今年の野菜づくりは、試しに、マルチなしでやってみるか。」
その後の手間がかからないという理由だけで、今まで、当たり前に使っていたマルチ。
それは、あくまで、畑ではなく、百姓側の都合です。
当然、これをやめれば、水やりや草むしりにかかる畑の労働は増えます。
その労働に比べたら、この時期のマルチ剥がしの労力の方が、はるかに少なくも思えます。
しかし、今勉強中の、野菜自然農法には、そもそもマルチを使うという手順はありません。
自然にあるものを、畑の中で循環していくの農法です。
肥料も、農薬も使いません。
人間の科学力で作られたものはも畑の中では一切使わない農法。
これが自然農法。
自然農法には、黒ビニールマルチは使わない代わりに、草マルチという方法があります。
草むしりした雑草は、今まではゴミ同様に捨てていましたが、畑に生える雑草なら、それもそのまま野菜づくりに利用する。
土の上に敷けば草マルチ。
土を掘り起こして、その中に埋めて使えば、自家製の腐葉土。
人間の都合で「雑草」などという呼び方をしてしまっていますが、雑草にもきちんと役割はあるというわけです。
もちろん、その手間はかかります。
でも、その手間を省こうという発想がそもそも、間違い。
そこで、土曜日は、苗植えの準備として、昨年の畝の跡に、溝を掘り、草むしりした畑の雑草を埋めることにしました。
雑草は捨てないで、そのまま畑の土作りに使おうというわけです。
ここに、昨年の大雨で、河川敷から回収した藁を敷いて、今年の野菜づくりの準備。
手間はかかりますが、結果は楽しみです。
定年を迎え、これからは、畑に向かう時間も増やせる予定。
老体には、多少はしんどいかもしれませんが、やはり、農業は体を使ってなんぼの仕事。
技術というものは、本来は体を使うことが基本。
幸い、脳みその出来はよくないので、これからの野菜づくりは、五体に頑張ってもらうことにします。
なるべく、「飛び道具」は使わずに、自分の体を最大限使ってできる範囲で、野菜づくりを楽しみたいところです。
あまり、頭でっかちになりさえしなければ、人間の体だって、立派に自然ですから。
コメント