さて今年もミステリー三昧の一年にしようと思っています。
2025年の年頭「ミステリーはじめ」として選んだのはアガサ・クリスティ女史の「ABC殺人事件」。
海外本格ミステリーにおいて、現代に通じるミステリーの系譜をたどっていくと、多くの分野がアガサ・クリスティ作品にたどりつくのは、多くのミステリー・ファンが承知しているところ。
「アクロイド殺人事件」で、禁断の叙述トリックに挑み、「そして誰もいなくなった」では、後のミステリーの定番ともなるクローズド・サークルの館モノの礎を築き、「オリエント急行殺人事件」では、二度と使えない前代未聞のトリックで読者を驚かせてきたアガサ・クリスティ女史。
後のミステリー作家で、彼女の作品に影響されていない作家は皆無といってもいいと思います。
本作も同様で、ミステリーの歴史の中では、重要なマイルストーンになっている作品です。
この作品を語る上で外せないのは、ミッシング・リンクというミステリーの手法を編み出した点です。
ミッシング・リンクとはなにか?
この言葉を普通に調べると、生物の進化過程を「連続した鎖」に例えた際に、その鎖の一部が欠けている状態を指すというような意味合いで使われます。
進化の過程をつなぐ「失われた連鎖」というわけです。
しかし、ミステリー小説におけるミッシング・リンクとは、一見無関係に見える事件や被害者たちの間に隠された共通点や繋がりを指すことになります。
この「見えない繋がり」を探し出し、解明することが物語の鍵となるタイプのミステリーというわけです。
つまり、このタイプのミステリーが扱うのは連続殺人ですね。
本作は、エルキュール・ポワロが扱った初めての連続殺人ということになります。
最初は殺された被害者同士が一見すると無関係に見えるわけです。
しかし、調査を進めるうちに被害者たちを結ぶ共通点(ミッシング・リンク)が浮かび上がり、それが犯行動機や犯人特定の手がかりとなります。
これが解明されていく過程が、このタイプの小説の醍醐味ということになります。
不謹慎を承知で言いますが、ミステリー小説においては、たくさん人が殺されるほど面白いとおもっているミステリー・ファンは僕だけではないでしょう。
但し、実在のシリアル・キラーによくあるようなサイコパスな精神異常者による快楽殺人というようなことになってくると、これはミステリーからは大きく逸脱したサイコホラーとなってしまいます。
殺した死体の皮を剝いでいた1950年代のエド・ゲインは「羊たちの沈黙」「サイコ」「悪魔のいけにえ」のモデルになりましたし、ボストン絞殺魔事件は、ヒッチコックが母国イギリスで「フレンジー」というサイコホラー映画にしています。
30人以上の子供を殺したジョン・ウエイン・ゲイシーの事件は、スティーヴン・キングがホラー小説にした後に「イット」という映画になっています。
こういうホラー映画も、もちろんジャンルとしては嫌いではないのですが、ミステリー小説を読む時には、正直それは求めません。
もちろん「ミステリーの女王」はその辺りは熟知されている模様。
彼女は同じシリアル・キラーを扱っても、けっしてグロテスクなサイコホラーにはしません。
あくまでも、謎解きをメインにした、知的でサスペンスフルなミステリーを構築して、読者に挑んでくれます。
考えてみれば、ロンドンは、20世紀の代表的なシリアルキラーである切り裂きジャックが出没した街でした。
この作品にも、それは確実に影を落としていますし、触れている箇所もありました。
しかし、イギリスの誇る稀代のミステリー作家は、本作を、灰色の頭脳を持つエルキュール・ポワロ探偵と犯人との知的な推理攻防戦をメインとする本格ミステリーとして描いていきます。
そのひとつになる演出が、真犯人から、ポワロに届けられる殺人予告の手紙です。
物語は、ポアロの友人ヘイスティングズがアルゼンチンから帰国し、ロンドンでポアロと再会する場面から始まります。
ポアロのもとには「ABC」と署名された挑戦状が届き、特定の日に特定の場所で殺人が起こると予告されます。
最初の事件は、アンドーヴァー(Andover)で起こり、タバコ屋の老女アリス・アッシャー(Alice Ascher)が殺害されます。
現場には『ABC鉄道案内』が残されていました。
その後も、「B」で始まるベクスヒル(Bexhill)では若いウェイトレスのベティ・バーナード(Betty Barnard)が、「C」で始まるチャーストン(Churston)では富豪カーマイケル・クラーク卿(Sir Carmichael Clarke)が殺害されます。
各事件には共通して『ABC鉄道案内』が置かれており、犯人はアルファベット順に地名と被害者を選んでいるように見えます。
行われる殺人がアルファベット順という奇抜な設定や、劇場型犯罪としての演出が今読んでみてもとても現代的で、まさにミステリーの女王の面目躍如。
ロンドン警察はこの異常性に振り回されて、事件の解決に精神科医などの協力を仰ぐことになります。
これに対して、ポワロは最後まで、真犯人の動機にこだわります。
真犯人が単なるサイコパスであれば、病的に自己顕示欲の強い異常者か、快楽殺人者となるわけで、ある意味「なぜ」は関係ありません。
しかし、ポワロは徹底的に真犯人の動機にこだわり続けて、ついには犯人のミスリードも見破り、あっという真相に読者を導きます。
殺人予告レターの意味、そしてそれが警察や新聞ではなくポワロ個人に贈られたこと、連続殺人をABCの順番にこだわっていたこと、そして殺人現場には挑戦的にABCの時刻表が置かれていたこと。
真相が解明されてみれば、見事にそのすべてには、読者が納得できる明確な動機と筋の通ったな理由がありました。
これがまさに、サイコホラーを潔しとしない本格ミステリーの本場イギリス流ということでしょう。
読んでいて、本作がとても映画的であると感じたのは、全35章のうち8章分が「ヘイスティング大尉の記述ではない」という同じタイトルの章になっているという作品の構成にあります。
ご存じのように、ポワロの登場する事件を記録して世に発表しているのは、常に行動を共にする彼の盟友ヘイスティング大尉です。
彼はシャーロック・ホームズにおける、ワトソン医師の役に相当します。
そのヘイスティング大尉からの視線ではない「誰か」の視線で描かれているのがこの章です。
それは、最初事件とはまったくの無関係であるように描かれるのですが、次第にそれが本章と微妙に絡まりだし、読者にはそれが「真犯人らしい誰か」だとわかってくるという構成になっています。
これがドラマ・ツルギーとしてかなり優れもの。
映画でいうところのカットバックの手法になっているわけです。
このあたりもプロット構成を綿密に立てるアガサ・クリスティの技が光るところです。
このスキルを正当に受け継いで、さらに新しい段階に押し上げたのが綾辻行人の「十角館の殺人」でしょう。
大円団で、関係者一同を集めたうえで「犯人はあなただ!」とやる定番シーンはやはり痺れましたし、最後に真犯人に仕掛ける「ひっかけ」も爽快感たっぷり。
とかくグロテスクになりがちな連続殺人事件を扱って、物語全体にそこはかなユーモアが漂うのも、まさにアガサ・クリスティの品格の賜物。
本格ミステリーは、どんな事件を扱おうとも、ベースとしてあるのは、作者が読者にしかけた知的なゲームですよと、この稀代のミステリー作家は、2025年の読者にも教えてくれています。
日本でも、宮崎勤による「連続幼女殺人事件」、ペットショップ経営者による「埼玉愛犬家連続殺人事件」、SNSを駆使した「座間9人殺害事件」など、ニュースを賑わした連続殺人事件はありましたが、正直どれもあまり知的な匂いはしません。
ミステリーでは、去年読んだ我孫子武丸氏の「殺戮にいたる病」は、シリアルキラーものとしては白眉で、どんでん返しも見事でしたが、あまりに描写が凄まじくて、眉間に皴が寄りっぱなしでした。
殺人をリアルに描けば、そうならざるを得ないのでしょうが、ミステリー小説の中では、殺人は立派なエンターテイメントです。
現代の読者は、ミステリーにそんな過激なエンターテイメントを求めがちですが、僕の年齢になってくると、個人的にはアガサ・クリスティくらいのタッチがちょうどよろしい。
連続殺人の規模が30人だ、50人だになってくると、もはやアルファベットでは足りないわけですから、それはもうミステリーの範疇ではないなあ。
ABCあたり(実際にはDまでありましたが)までで本作を上手にまとめ上げたのが、本作が知的ミステリーとして後世に語られる傑作となる理由だったかもしれません。
後世の作家に多大な影響を与えたアガサ・クリスティですが、もちろん彼女自身も彼女以前のミステリーを読んで影響を受けているのは間違いのないところ。
これは、ネタバレすれすれになりますので、慎重に書きます。
G.K.チェスタトンの短編小説に「折れた剣」というのがあります。
彼の代表的な探偵キャラクターであるブラウン神父が登場する作品で、初期の短編集『ブラウン神父の童心』に収録されています。
恥ずかしながら、僕はこの短編を読んでいないのですが、とある推理クイズの本で、この小説の美味しいところだけを覚えていたんですね。
戦場である将軍が、部隊に無謀な突撃を指示します。これをブラウン神父がこう説明するんですね。
「木を隠すのなら森の中。では、死体を隠すなら?」
答えは小説を読んでもらいたいのですが、アガサ女史は、このネタを上手にロンドンという都会を舞台に置き換えて、真犯人の動機に絡めたなと勝手に思っている次第。
ミステリーのネタは、時代と場所を変えていけば、何度でも美味しく蘇るという見本です。
その意味では、ミステリーの古典を読むといろいろな発見があって、面白いものです。
こじつけだろう?
確かにちょっとクリスティ。