「コン・ゲーム」(con game)は、信用詐欺や取り込み詐欺を指す言葉です。
「コン」は「コンフィデンシャル(信用)」の略語。
つまり、巧妙な罠をしかけて、相手を信用させて、金品を巻き上げる行為をいいます。
要するに人をだますわけですから、もちろん犯罪です。
ところが、これが小説や映画になるとやたらと面白いわけです。
コン・ゲームは犯罪ではあるのですが、この「ゲーム」という表現がクセモノ。
殺人や暴力などの凶悪犯罪は登場せずに、知的な頭脳犯罪が展開されていきますので、かなり面白いエンターテイメントになるわけです。
考えてみれば、ミステリーの醍醐味は、作者の仕掛けたトリックに、如何に心地よく騙されるか。
心地よく騙されれば騙されるほどその快感も大きいと言うわけです。
その意味では、コン・ゲーム作品は、非常にミステリーと相性がいいということになります。
詐欺は自分に降りかかるのはノーサンキューですが、小説や映画として楽しむのはウェルカム。
人間とは案外残酷な生き物で、他人が詐欺に会うのは、どこかで面白がってしまうもの。
人の不幸は蜜の味とはよく言ったものです。
さて、ちょっと驚いてしまうのは、本作の場合は、これが作者の身に起きた現実の詐欺事件をもとにしているということ。
その作者の名前は、ジェフリー・アーチャーです。
この人、元々はイギリスの政治家です。
1970年に、イギリスの庶民院に、最年少議員として当選しています。
その彼が、1973年に北海油田をめぐる投資詐欺に会い全財産を失うことになります。
彼はそのため、次期の総選挙への出馬は断念。
若くして彼の人生は終わってしまったかと思いきや、この人が常人と違うところは、この詐欺事件の顛末を、痛快なエンターテイメント小説にして、世に公表してしまったことです。
元々の彼の知名度も手伝って、この処女作はベストセラーに。
彼はこの印税収入で、借金をすべて返済し、再び政界に復帰するということになります。
なんともドラマチック。
成功のミソは、彼がこの作品を、破産ドキュメントにはせず、やられた金額を、その分だけ取り返すというゲーム性を付加したエンターテイメント作品に仕上げたこと。
とにかく本書には、復讐劇にありがちな、悲壮感は皆無です。
百万ドルを騙し取られたわけですから、そこに恨みつらみもあって当然でしょうが、主人公たちはいたってサバサバとしています。
主人公たちは、作者が騙されたのと同じように、北海油田にまつわる信用詐欺に会い、財産を失います。総額は4人合わせて100万ドル。
敵は裏社会からのし上がってきた大富豪で、これくらいの詐欺は日常的に行っている肥満の守銭奴。
自分は一切表に出ることなく、法律にも触れずに、彼らから大金を巻き上げてどこかの豪邸で高笑いをしているわけです。
しかし、4人は泣き寝入りはしませんでした。
彼らの決断は、警察に泣きつくことではなく、自分たちの手で、巻き上げられた100万ドルをそっくり取り戻すこと。
しかも、この100万ドルに、計画にかかる必要経費をしっかりと上乗せし、そこから1ペニーも多くは取らず、また1ペニーも少なくしない奪取計画をたてて、それを相手に気づかれることなく実行すること。
こと復讐劇というと、とかく「やり返しすぎ」が多くなってしまうもの。
その方が人間の本能には準拠しているのでしょう。
あの半沢直樹も「倍返し」だからこそ、面白くなるわけです。
悲しい人間の性ですね。
昔々のハムラビ法典にある「目には目を。歯には歯を」は、もともと「やり返しすぎるな」を戒めた訓戒でした。
原題の"Not a Penny More, Not a Penny Less" はまさに、そんな彼らの心意気とプライドを表しているわけです。
チームを組んだ4人は、天才数学教授、医師、画商、貴族の御曹司で役者という面々。
いずれも、それぞれの分野で才能を発揮しているインテリですが、経済センスだけは、詐欺師の富豪の足元にも及ばなかったという設定です。
詐欺に会った後、数学教授が、独自にこの富豪を調べ上げたうえで、3人に連絡を取ります。
そして、その資料を配ったうえで、集まった面々に向かってこういうわけです。
「それぞれが二週間以内に、あの男から、我々がとられた金を取り戻す計画を立案してくること。」
これがこの小説が俄然面白くなるポイントだと思っています。
4人で一気に100万ドルを奪い返す大作戦を決行するのではないところがこの小説のミソ。
4人が各自の得意分野の知見を活かした作戦を立案し、各メンバーに役割分担を振って、富豪から金を奪い返すこと。
しかも、巻き上げられていることは、本人には悟られないこと。
その金額が積み重なって、最後にピッタリ100万ドルに到達するという物語展開が、ドラマツルギーとしてなかはかよく出来ていました。
1960年代に「スパイ大作戦」という、アメリカの人気テレビドラマがありましたが、本作を読みながら、この懐かしいドラマを思い出してしまいました。
冒頭で、ミッションを言い渡されたリーダーが、作戦に必要なプロを選択し、立案した作戦をメンバーに説明して作戦がスタート。
そして、作戦通りにはいかない、いろいろなアクシデントにハラハラさせられながら、最後にはミッションを完遂。
めっぽう面白いドラマで、あのキャッチイなテーマ曲と一緒に「君もしくは、君のメンバーが捕らえられ、あるいは・・・」のお決まりのフレーズは、今でもしっかりと覚えていますね。
本作は、冒頭で詐欺に会った後は、4人のメンバーによる、4つの計画が、4人の手で実行されていくわけですが、この計画の一つ一つに、「スパイ大作戦」一話分に相当する面白さがあるわけです。
そして、それに加えて、冒頭の投資詐欺の顛末の緊迫感があり、ラストには「あっ」と驚くどんでん返しも用意されているときますから、まさにエンターテイメントとしてはてんこ盛りです。
コン・ゲーム映画というと、つい先日見た「テキサスの五人の仲間」という秀作がありました。
「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」「オーシャンズ11」「ソードフィッシュ」などが浮かびますが、映画でこの分野の白眉といえばやはり「スティング」にとどめを刺すでしょう。
本作が執筆されたのは1976年。
この年は、僕は高校生ですが、立派に映画マニアでした。
メンバーが、コンゲームの代表的映画である「スティング」をこき下ろしていたり、当時の代表的なポルノ映画「ディープ・スロート」の主演女優リンダ・ラヴレイスを実名で登場させていたり、僕の大好きなフランソワーズ・トリフォー監督の「アメリカの夜」の主演女優ジャクリーン・ビセットに触れていたりと、けっこうニンマリとさせてくれます。
冒頭では作者が、「本作に登場するすべての固有名詞はフィクションで、作者の創造の産物」という断り書きがありましたが、実在の場所、事件、人物の名は相当数あったと思われます。
小説に出てくる固有名詞は可能な限り、検索してみるのですが、本作ではちょっと追い切れませんでした。
本作には特に決まった主人公がいません。
リーダーシップをとるのは、それぞれの作戦ごとに変わっていきます。
ラグビーの精神をうたった謳い文句に「オール・フォー・ワン、ワン・フォー・オール」がありますが、まさにこの精神が、本作には宿っています。
そして、このあたりが、チームワークを重きを置く、日本人の精神にはマッチしているかもしれません。
とにかく、悲惨な詐欺事件に会いながらも、メンバーたちは一致団結して、奪還計画を実行していくうちに、次第にそれ自体を楽しんでいくようになり、目的が達成した後の別れを惜しむようにまでなっていくわけです。
コン・ゲームを扱った作品というと、比較的に多くなるのは、騙された側から描かれる視点ですね。
しかし本作の特徴は、騙す側の舞台裏と、騙される側の視点が程よくミックスされていること。
これが、ゲーム性を強調する上で効果的でした。
説明される計画で想像を膨らませ、それが実際に現場ではその通りに行かないスリルを楽しみ、最後は結果オーライのカタルシスを楽しむ。
ジェフリー・アーチャーは、本作がデビュー作ながら、読者の楽しませ方を心憎いほど心得ていて感心します。
詐欺で騙されるのは勘弁ですが、小説でなら是非とも気持ちよく騙されたいところです。
どなたかがいってましたね。
ミステリー作家は、読者を騙すトリックを日夜考えている商売だから、ある意味詐欺師のようなもの。
一流の詐欺師が、一流の物書きにはなれないかもしれませんが、一流のミステリー作家なら、案外一流の詐欺師になれるのかもしれません。