5月3日は、憲法記念日でした。
ドーンとこの方のイラストを描いてしまいましたが、「憲法」で画像検索をしていると、けっこう見かける方です。
ご存知、GHQのトップだったダグラス・マッカーサー元帥その人。
敗戦後の日本で、日本国憲法を作らせた人として有名です。
我が国の憲法は、その弱い立場につけ込まれて、戦勝国から強いられた、押し付け憲法か。
その話題になるとき、必ずあげられる人物ですね。
はじめに白状しておきますが、僕が「日本国憲法」をすべて読んだのは、つい最近です。
だから、護憲も改憲も、今までは蚊帳の外。
自衛隊をどう認知するかなんて、まともに考えたこともありませんでした。
戦争は嫌だけど、自衛隊は必要かなあ。
災害の時は、頼りになるしなあ。
ならばいっそのこと、「国際救助隊」にしちゃったらどうか。
おぼろげながら、思っていたのはその程度。
それが、それなりに真面目に考えるようになったのは、今の「安倍政権」に、かなりの危機感を覚えるようになってからです。
どうも、安倍政権はかなり危ない。
アベノミックス然り。
安保法案然り。
統計不正然り。
どうも、この政権の言っていることは、何事においても、ことごとく怪しく、疑わしい。
饒舌で、イメージ戦略は上手だが、かなり恣意的に国民をミスードしている。
政権を延命させる手腕は見事だが、中身が何もない。
国民が、政治に無関心なのと、野党がだらしないのをいいことに、あまりに好き放題していないか。
こう思い始めてしまうと、どうにも止まらなくなります。
本来であれば、是々非々で見ないといけないのでしょうが、もう安倍政権なのやろうとしているすべてのことが眉唾に思えてしまう。
彼のやることは、すべて嘘と見栄のパフォーマンス。
危ない。危ない。
ならばその安倍政権が、憲法について言っていることは何か。
国民の空気を読みながら、巧みな言い回しをしていますが、結局やりたいことの本丸はどう見ても、憲法9条の改定。
憲法には、なんとしても、我が国の自衛隊を、日本の正規の軍隊として明記したい。
それが、おじいちゃん(岸信介総理)の代からの安倍家の悲願。
親父(安倍晋太郎)もできなかったその夢は何としても、自分の手で成し遂げたい。
そして、自分の名前を、歴史に刻みたい。
しかし、けして国民の総意ではないこの「安倍家」の事情は、これからの日本の将来を大きく左右する由々しき問題に発展する。
そこでやっと重い腰が上がりました。
この人に文句を言うのなら、まずは、ちゃんと日本国憲法を知らなければだめだろう。
確かに、自分は政治に無関心で、今までは改憲派でも護憲派でもなかったけれど、この人にナメられるのは心外。
恥ずかしい話ですが、順番的には、そういうことでした。
そして、やっと始めて最初から最後までを一読してみた「日本国憲法」でしたが、これがなかなかどうして、素晴らしいものでした。
たしかに、75年も前に、戦勝国から押し付けられた憲法であると言う歴史は、重々承知の上でしたが、そんなことは関係ありませんでしたね。
この憲法の主権者の一人として、実に最後まで気持ちよく読ませていただきました。
大変に不謹慎な言い方ですが、僕個人としては、この憲法のファンになることができました。
前置きが大変長くなりましたが、ここまで来てやっと、はじめて自分の意見を申し上げられます。
細かい点でいうと、時代の流れで、ここは変えたほうがいいかという「表現」はなくもなかったのですが、概ね我が国の憲法は、今のままで問題なし。
今の人の事情で、手を加えると、憲法はいびつに歪んでくる。
僕個人としては、「日本国憲法は現状のままで守るべきもの」という結論です。
基本的人権の尊重、戦争放棄、国民主権。
すべてまる。
今なら、国民投票をしてもらって結構です。明確に護憲に一票です。
特に、日本国憲法9条。
この「戦争放棄」を謳った条文を持つ憲法は、いまでも世界で唯一我が日本だけ。
これが大変心地いいではありませんか。
「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」
よく考えてみてください。
実はこの憲法9条の条文は、日本が戦争に敗れたからこそ、手に入れることができた条文ということになりませんか。
戦勝国の指導のもとに作られた「押し付け」憲法だからこそ、明文することができた条文です。
それは、やむなしだったかもしれないし、あるいは「いやいや」だったかもしれない。
中には、忸怩たる思いだった人も、当時の政府の中にはいたかもしれない。
しかし、やっぱり国民にとってはこれで万々歳です。
よくぞこれを憲法に明記してくれたという話です。
憲法に対して、安易な物言いでもうしわけありませんが、これは結果オーライといえます。
だって、普通に考えて、もしも日本が先の大戦で、戦勝国だったとしたら、その憲法に「戦争放棄」を謳うと思いますか。
現に、アメリカ合衆国憲法には、そんなこと一言も書いてありません。
それどころか、国民に武器を持つ権利も、政権を転覆させる権利も、憲法で認めている国です。
では、どちらの憲法の方が、憲法として優れているか。
そこだけをとっても、手前味噌でもなんでもなく、僕は日本国憲法に軍配をあげますね。
日本は、第二次世界大戦の敗戦で、確かに大きなお灸を据えられました。
でも日本国憲法は、あの戦争に敗れたからこそ、手に入れることができた、世界に誇れる「平和憲法」であるということ。
それは、紛れもなく、あの憲法9条の条文があるからこそです。
最近の日本は、いろいろな分野で、世界水準から大きく水をあげられてしまうことも多く、「かつての世界一流からアジアの二流」へ成り下がっているのが実情です。
車もダメ、ITもダメ、再生可能エネルギーもダメ、経済もダメ・・
安倍政権の怪しい舵取りは、もういい加減にやめさせないと、日本は落ちるところまで落ちる。
そんな、お恥ずかしい国に成り下がりつつある日本。
でもですよ。
でもこの憲法だけは、やはりいまでも堂々と世界に胸を張れるものだと、僕は思います。
これだけはまだ、アメリカにも、中国にも、ロシアにも負けていない。
もちろんそれは、日本国憲法が、当然今のままならばというのが大前提です。
75年前の条文が、一文一句そのままならばというお話です。
その理由はたったひとつ。
それは、この憲法9条があったからこそ、我が国が、戦争で外国人を殺していない国でい続けられたという歴然とした事実があるからです。
それは、自衛隊という、事実上「人を殺せる」戦力を持った組織を保持していてもなおだからです。
戦争は誰でも反対かもしれない。
しかし、軍隊を持っている国で、過去に戦争をしたことがない国は、歴史上ありません。
この意味は大きい。
自衛隊があってもなお、我が国が直接参加してこなかった明白な理由は何か。
それは、この憲法が、明らかに、戦争に対するABSになったからです。
もちろん、直接戦争に参加しない応援となれば、国際社会の中ではバツが悪いのは理解できます。
しかし、申し訳ないが国際社会での、政治家たちのメンツなんてクソ食らえ。
戦争に参加しないことで、世界からバッシングされるなら上等。
後方支援のみの腰抜けのオカマ野郎と言われても結構。
それで、日本人のただ一人も、戦争で命を奪われないのなら、喜んで、国際社会のご批判もお受けしましょうという話です。
「本当に申し訳ない。
みなさんにも戦争でご協力したいのは山々なんですが、なにせ、我が国には、アメリカ合衆国様より、厳重に申しつかった戦争放棄という憲法がありまして、これを破ると、憲法違反になってしまいます。
ですからこんな状況になっても、身動きが取れない。」
そういって、ペコペコと頭を下げながら、下げた頭の下でベロを出していればいいんです。
戦争という生臭い状況の中で、人道支援という綺麗事を貫くのは難しいかもしれない。
でも、矛盾は抱えながらも、堂々と胸を張っていればいい。
日本の外交は、それくらいしたたかなくらいでよろしい。
それで、戦争に参加しないという実績を積み上げれば、いつか世界が見習います。
だって、それがいいに決まってますもの。
小学生でもわかることです。
それが、「戦争放棄」の憲法を持ったな日本の生きる道というべきものでしょう。
それで、結果、戦争に参加しなくてもいいことになるのなら、世界から何を言われようと、国民にとっては立派に「勝ち」「よくやった」です。
繰り返します。政治家のメンツなんて、国民には関係ない。
国民をうまくケムに巻いて、改憲を果した「ドヤ顔」の、安倍総理の高笑いなど、どう間違っても見たくない。
そして結果、世界中の笑い者になる日本も、けっして見たくない。
もともとがそういう「勘違い」政権の横暴を、コントロールするために作られたのがそもそもの憲法です。
それが、憲法の役割なはずです。
政府は、檻の中に閉じ込められたライオンだと言った人がいます。
檻は憲法。ライオンは政府。
その勘違いしたライオンが、その檻の中から、そっと手を伸ばして、内側から鍵を外そうとしています。
こんな輩を檻の外に出して、自由にさせたらどういうことになるか。
ちょっとゾッとします。
クワバラクワバラ。
改めまして、憲法改定(けして改正とは言いません)反対。