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レタスの収穫がピークです。
お裾分けしまくっても、まだまだ、これでもかと収穫待ちのレタス。
このまま放置して、畑の肥やしにする手もあるのですが、せっかく育ったものは、食い意地がはっているもので、やはりどうしても胃袋に収めたくなります。
そこで、ありったけのレタスを持ち帰って、本日は、クックパッドのレタス大量消費メニューを検索。
まあ、あるある。
これなら、いくら収穫してきても問題なさそう。
まずこれです。
レタスとツナと卵の味覇炒め。
冷蔵庫の奥に眠っていた味覇を、引っ張り出してきました。
卵をまず半熟くらいに炒めておきます。
それからフライパンに胡麻油。
まずツナを先に炒めて、味覇を入れ、少し炒めてからからレタスを入れます。
レタスは、火を通すと、たちまち縮んでいくので、大量消費にはもってこい。
いい感じに炒めたら、最後に先に炒めた卵を入れて、軽く炒めれば出来上がり。
5キロ袋いっぱいのリーフレタスが、タッパーで約八食分のおかずになりました。
これを冷凍庫にしまって、まず一品。
次はこれ。
少々ボケてしまいました。
レタスを一口サイズに切って水洗い。
そこに、これをポリ袋に入れて、中に醤油とみりん。
これをよく揉んでから、冷蔵庫で30分。
味がしみたところで、冷蔵庫から出し、最後にもみ海苔。
大量のレタスが、およそ4分の1くらいにリサイズ。
買ってきたレタスでは、なかなかこれはできませんが、これも大量消費ににピッタリ。
あれだけどっさりあったレタスが、タッパー6個分のおかずになりました。
とにかく、これだけ贅沢に食材があると、どうしても料理も大量。
たいていは、レシピの分量の倍から3倍になります。
これは、冷凍庫ではなくて冷蔵庫に保存。
さて、まだまだレタスはあります。
冷蔵庫には果物も少々。
リンゴとバナナです。
そこで、これにレタスを加えて、牛乳をいれてミキサーに入れます。
レタスのスムージーですね。
バナナの甘さがあるので、甘味料は入れません。
これは、果物の甘さで、レタスのクセが抜けて、なかなか美味しい。
さっそく、明日用のポットに入れて冷蔵庫。
この三品に、冷蔵庫の野菜室でスタンバイしている、リーフレタスサラダ。
プラス、シャキシャキレタスと、チーズ&ハムを挟んだサンドイッチを加え、明日のランチは、レタスづくしということになりました。
およそ一年ぶりです。
いよいよ、これから本格的な野菜の収穫シーズン。
ベジタリアン・ライフは、料理のレパートリーを増やしていきながら、今シーズンもいよいよ本格的になってきました。
素人百姓のこだわりは、収穫した野菜は、できる限り無駄にしないこと。
会社の同僚、地元の自治会のおばさまたち、幼馴染の同級生、スナックのママ、果ては、元カノにいたるまで、とにかく収穫した野菜は、配りまくります。
しかしそれでも、まだまだ冷蔵庫には、めいっぱいのレタス!
これが、体に悪いわけがない。
レタス三昧上等。
最近、ハンドルを握りながらよく聞いているのは、YouTube 。
特に、「WOWOW ぷらすと」がお気に入り。
全編トークなので、眠気覚ましのラジオがわりに聞いています。
映画、音楽、落語などなど、WOWOWでオンエアされる番組に合わせて、各界の評論家をゲストに招きディープな関連トークを展開する内容。
この番組の木曜担当が筆者。
「エンターテイメント深掘りトーク番組。WOWOWぷらすと!
司会は、木曜日の男、サンキュータツオです。
本日のテーマは?」
というわけで、本書のテーマは、お笑い芸人たちのネタの学術的掘り下げた文法および文体論。
本当は、珍論文収集家でもある彼の著書「ヘンな論文」をゲットしようと、ネットのブックストアを検索していて偶然見つけた本です。
「お笑い」に興味はあるけれど、どっぷりというのも気恥ずかしい。
アハハと単純に笑いたいけれど、どこかクールでいたいし、ちょっと引いていたい。
そんな面倒臭い親父には、実に心をくすぐるタイトルでした。
しかも、値段が360円と激安。
気がつけば、「ヘンな論文」よりも、先に手をつけてしまいましたね。
まず、その芸人の芸風を吟味した上で、作者による架空のネタを提示。
そして、そのネタをモチーフにして、その芸人の産み出す笑いのメカニズムを解説。
非常に真っ当な学術論文の体裁を取っていますね。
筆者が、非常に頭のいい方だということがよくわかります。
サンキュータツオ氏は「米粒写経」という漫才コンビを組みながら、実際に、一橋大学で非常勤講師も務めているという学者タレント。
いろんな人がいるものです。
実は本書で取り上げられている30組の芸人たちのほとんどは知っていました。
しかしその多くは、「アメトーーク!」などのバラエティ番組を通じて。
つまり、名前と顔とキャラは知っているが、実はネタは知らないという芸人が半分以上でした。
なるほどね、あの人たちは、こんな漫才をしていたわけか。
すると、今は便利なもので、使っているiPad の読書アプリから、Youtube にジャンプ。
彼らのネタを動画で確認。
著者の分析を「うん。なるほどなるほど」と確認しながらも、「でも、彼らのコントには、コント55号のアドリブ的な即興性を活かした面白さもあるな。」などと、独り言を言いながら再び読書に戻る。
そんなふうに楽しめました。
エンターテイメントを、アカデミックに分析するほど野暮なことはない。
もちろんそれは承知。
でも、アッハッハではないけれど、ニヤニヤするのも立派に「笑い」。
書き手が「文章」という技で、読み手の知的好奇心をくすぐっているという芸に他なりません。
これだって立派なエンターテイメントです。
なんだか、お笑いタレントたちが、みんな学者のように見えてきました。
時代を読むセンスと、それにお笑いを巧みに絡ませていくセンス。
売れてる芸人たちは、ああ見えて、やっぱりみんなそれなりに、頭がいいのでしょう。
見ている方も、ただ笑っているだけでなく、勉強もしていかないとついていけないかもしれません。
ところで、因数分解ってなんでしたっけ?
さて、ゴジラはゴジラでも、これは海外版。
ゴジラは、もちろんアメリカでもドル箱人気キャラクター。
2014年公開で、監督はギャレス・エドワーズ。
ゴジラシリーズは、全巻DVDを買い揃えて研究したというゴジラマニアの監督。
海外版では、1954年の第1作「ゴジラ」に、レイモンド・バーの出演シーンを新たに加えて編集した海外版と、1998年公開のローランド・エメリッヒ監督による「GODZILLA」がありますが、これが16年ぶりの3作目。
レジェンダリー・ピクチャー製作で、この会社は、この後、「ジュラシック・ワールド」「キングコング:髑髏島の巨神」そして、ゴジラの最新作「ゴジラ キング・オブ・モンスターズ」などを特撮モノがお得意。
ストーリー的には、どの前作も踏襲しておらず、完全なリブート。
但し、特別研究機構の生物学者を演じた渡辺謙の役名が、芹澤猪四郎。
これは、一作目の「ゴジラ」を覚えているファンにはニヤリ。
オキシデン・デストロイヤーと共にゴジラを白骨にして、一緒に海に消えた芹澤博士と、我らがゴジラマエスター本多猪四郎監督の名前を頂いています。
最近の洋画は、ほとんど見ていないので、役者はみんな初めて見る俳優ばかりでしたが、一人だけ見覚えのある女優がいました。
レオス・カラックス監督の「ポンヌフの恋人」で熱演していたジュリエット・ビノシュ。
残念ながら、映画の冒頭、日本の原発の事故で死んでしまいます。
さて、問題のゴジラ。
やはり東宝特撮シリーズのゴジラとは、かなりテイストが違っていましたね。
決定的なのは、特撮シーンでは、着ぐるみとミニチュアは使用しないこと。
すべて、モーションキャプチャによるCG撮影です。
それでも、ローランド・エメリッヒ監督版の爬虫類感あふれるゴジラよりも、かなり日本版寄りの造形。
しかし、愛嬌は皆無で、凶暴で無慈悲に破壊しまくる完全なダークヒーロー。
このゴジラが、戦う相手が、空を飛ぶ怪獣ムトー。
この怪獣も、絶対に着ぐるみでは、表現できないフルCGの怪獣です。
エドワーズ監督は、「ゴジラによるパニックが実際に起きたらどうなるかを、現実的にリアルに描きたい」と語っています。
映画は、2014年の全米初日興行収入のベスト。
日本でも、平成ゴジラシリーズでは、最大のヒット。
映画の斜陽で、どんどんとちゃちくなっていった昭和後期のゴジラシリーズで、忸怩たる思いをしていたオールドファンとしては、なんともお金のかかった大作映画で、SF特撮として圧倒的なクォリティを見せつける本作には、何度もため息。
うらやましい限りでした。
庵野監督が撮った「シン・ゴジラ」は、この映画を習って、すでに完全フルCG。
やはり、ゴジラ映画のテイストは、時代と共に変わっていくのでしょう。
着ぐるみゴジラは、これから先作られる新作ゴジラには、もう見ることの出来ない特撮になるかもしれません。
この時期になると、畑に行くか行かないかは、いつも天気と相談です。
「晴れ間」がのぞけば、仕事終わりに畑にダッシュ。
限られた時間ですが、行けばやることはいろいろ。
残念ながら、全てはできません。
野菜たちの成長は、本当に一雨ごとです。
この太陽光のパネルがあるエリアは、実は青梅市のチェックが入ります。
この周辺の土地は、青梅市指定の生産緑地。
つまり、農作物を作るための指定地で、本来ならば、太陽光パネルは建てられません。
しかし、その下で農作物を作るという条件つきで、特別に許可をもらってます。
それで、会社からの依頼で、ぼくら素人農業愛好家で好きなように、野菜作りが出来るというわけです。
アーチを組んだこちらの畝は、ツルモノ野菜。
今シーズンは、手前がキュウリ。奥がスナップインゲン。
キュウリは、ぼちぼち実り始めてきました。
この畝は、手前がピーマン。奥は冬瓜ですね。
冬瓜は、先シーズンは、ブレイクしてくれましたので、今年は苗を増やしています。
こちらの畝は、師匠の大好物モロヘイヤ。
奥の方は、青シソです。
シソは、天ぷらでも美味しいですが、僕は毎シーズンこれで、夏の水分補給用のシソジュースを作ります。
これを大量に冷蔵庫保存。
炭酸飲料、缶コーヒーは一切飲みません。
飲料は、すべて自家製。
この畝は、サツマイモ。
収穫は秋です。
蔓が伸びてきたら、蔓返しが定番作業。
さて、こちらはトマトの畝。
今年は今のところ絶好調。
すでに、青い若い実が、鈴なり状態です。
赤く熟してくると、途端に鳥たちが突っつきにくるので、収穫はもたもたしていられません。
まだいくつもありませんが、赤や黄色に熟したミニトマトは、早速お持ち帰り。
こちらは、ナスの畝。
今シーズンは、例年に比べると、やや元気がありません。
ナスは成り始めると、けっこう長い期間、収穫が楽しめます。
ナスは、我が畑では、例年文句なしの優等生。
今年も頑張ってもらいたいもの。
料理のレパートリーも増えていますので、期待しています。
この畝の主役はネギ。
苗は、会社の同僚からのいただきもの。
最初は、畝の土手に立て掛けるように植えて、根が張るのに合わせて次第に土をかぶせ、葱坊主が出来てきたら、マメに取り除きます。
こちらは春キャベツの畝です。
キャベツは、春に苗を植えると、たちまち虫食いが始まって、悲惨なことになっていました。
生産農家なら、何度か消毒して、虫食いを防ぐのですが、我が畑では自然農法にこだわります。
農薬は使わず、虫除けネットで対抗。
いまのところ、虫に食われている様子はなく、今年は無事に結球できそうです。
こちらは、とうもろこし。
トウモロコシも、うちの畑では、あまり成功しない野菜です。
なぜか?
トウモロコシの場合は、この畑では虫ではなくて、圧倒的に獣被害です。
それから台風も大敵。
コーンの根は、図体の割には、意外と小規模。根が張りません。
そんなわけでも、とにかく、横からのアタックに弱く、なぎ倒されやすい。
ハクビシンにやられた時などは、ちょっとびっくりでした。
なぎ倒された上で、コーンの粒を、一粒残さず綺麗に食べられていましたからね。
とにかく、狙われたコーンには、食べ残しが一切なし。
見事なものでした。
今年もしっかりと、ネットを張っていますが、どうなるか。
こちらは、手前がレタスとルッコラ。
奥がサンチュ。
サンチュもすでに収穫していますが、癖がなく大変美味しくいただいています。
引っ越しする師匠の部屋から出た古い畳の藁を裂いて敷き詰めたエリアには、毎年恒例の西瓜。
去年のスイカは、いまいちでしたが、今年はどうなりますか。
大量にできましたら、またスイカジャムを作りたいところ。
スーパーで買ってきたスイカでは、流石にそれはできません。
生産農家ならではの贅沢です。
下の畝は、我が畑では定番のツルムラサキ。
これも、我が畑では優等生。
サラダから、おひたしから、炒め物料理まで。
オールマイティな野菜で、重宝します。
こちらのエリアには、みょうが。
一度苗を植えれば、多年草ですので、手入れだけきちんとしておけば、毎年何度でも繰り返し収穫出来ます。
そばの薬味にもいいですが、なんといっても天ぷらで食べるのが、我が家ではベスト。
今のところ順調で、楽しみです。
こちらは、収穫真っ盛りのリーフレタス。
このレタスは、サニーレタスのように結球するタイプではないので、収穫は、外側から順番にむしっていきます。
収穫が始まれば、たちまちこんな状態になって、次第に塔が立ち始めてきます
こんな状態のレタスは、なかなか見れないかもしれません。
とにかく新鮮なレタスは、シャキシャキして美味しい。
レタスの収穫が始まれば、サラダは毎食欠かしません。
ドレッシングを、取っ替え引っ替え食べても、なかなかなくならないので、おすそ分けしまくりです。
これは、今シーズンはじめてトライする野菜。
プンタレッダという種類です。
隣の畑のオバさんから、苗をいただきました。
イタリア製の青物野菜。クックパッドにもいくつか調理法が載っていましたので、収穫が楽しみです。
こちらも、この畑では初トライ野菜。
長芋です。
蔓が支柱の高さまで伸びてきましたので、ネットを張って横に這わせるように誘引。
とにかく好奇心旺盛で、新しいものにはめがないので、師匠にいろいろと教えてもらいながらやっております。
秋には、美味しいとろろが食べられますかどうか。
前回のブログで、ニラの収穫を報告しましたが、二週間ほどで、もうこんなに成長。
これはまた、来月早々には、ニラ玉が食べられそう。
楽しみ楽しみ。
公開は、1965年。
ですから、この作品を見たのも、「東宝チャンピオンまつり」の短縮リバイバル版。
1971年の春休み興行ですから、前作「三大怪獣 地球最大の決戦」よりも先に、こちらの作品を見ていたことになります。
今回は、地球を支配しようというX星人との攻防。
主役は、「ゴジラ」「モスラ対ゴジラ」に続きゴジラシリーズ三度目の抜擢・宝田明。
そして、ハリウッドから招いたニック・アダムス。
二人がコンビで宇宙飛行士を演じます。
ニック・アダムスは、ハリウッドでの芸歴がまるで思い当たらなかったので調べてみました。
するとなんと、ジェームス・ディーンの「理由なき反抗」、ウィリアム・ホールデンとキム・ノヴァックの「ピクニック」、ドリス・デイの「夜を楽しく」などに出演と判明。
これ実はみんな観ていますが、ちょっと印象にありません。
これは再見せねば。
日本未公開の「Twilight of Honor」では、アカデミー賞の助演男優賞にもノミネートされています。
そして、1968年に36歳の若さで、錠剤のオーバードーズにより死亡。
そうそう、東宝特撮では、「フランケンシュタイン対地底怪獣」にも出演していましたね。
両映画とも、相手役は水野久美。
彼女は、撮影中、かなりマジにプロポーズされていた模様。
ちなみに当時のニックは妻帯者です。
さて、X星人のボスには、ゴジラ映画の顔とも言える土屋嘉男。
アダムスキー型の円盤に乗って、地球にやってきて、ゴジラとラドンをさらっていきますが、まだUFOのという言葉は一般的でなく、「空飛ぶ円盤」の時代。
当時よくSF漫画を描いていた僕の漫画に登場する円盤は、すべてこの映画に登場する円盤をパクっていました。
今改めて見ると、X星人と地球人の会見シーンは、後のスピルバーグ監督「未知との遭遇」での、第三種接近遭遇シーンに、多少なりとも影響を与えていますよね。
さて、この映画で語っておかなくてはいけないのは、なんといっても、ゴジラの「シェーッ!」です。
「しぇーっ!」は、赤塚不二夫の漫画「おそ松くん」に登場するイヤミの決めのポーズ。
これは、完全に、映画を見にきている子供達へのサービスでしたね。
アメリカ公開の際は、さすがに「おそ松くん」はわからなかったので、このはシーンのゴジラは、「Dancing Godzilla」と呼ばれていました。
ゴジラの着ぐるみも、いつのまにやら、凶暴性は消え、目玉ギョロリの子供ウケするものに進化。
あの頃は、この映画の頃のゴジラが一番親しみがあって、かっこいいと思っていましたが、今大人になって改めて見直すと、やはり凶暴な初代ゴジラの方がいいなと思ってしまいます。
1989年製作ということですから平成元年の作品。
公開当時は、僕はすでに30歳でしたから、怪獣映画からは一番遠ざかっていた頃。
今回初めて見ました。
監督は、畑違いの大森一樹。
昭和ゴジラに歓喜していた世代ですから、彼なりの思い入れもあったのでしょう。
冒頭で、破壊された新宿が出てきます。
これは、1984年に作られた「ゴジラ」のラストを踏まえていて、その続編という立ち位置。
ここで、採取されたゴジラの細胞と、バラの細胞が融合されて出来た、植物と動物の中間的な怪物がビオランテ。
バイオテクノロジーが大きく取り上げられたのは、大森監督が、医学部出身だからでしょう。
主人公は、三田村邦彦。
テレビの「必殺シリーズ」と「太陽にほえろ!」のジプシー刑事で名を挙げていました。
その恋人役のヒロインに元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子。
「普通の女の子」から復帰して、女優業邁進中の頃。
同じ年に、今村昌平監督の「黒い雨」に出演していて、女優開眼。
すでに、スーちゃんのイメージではなくなっておりました。
「ゴジラとビオランテ。勝ったほうが、我々の敵になるだけ。」
渋いセリフを吐く、自衛隊の若き将校に高嶋政伸。
この撮影当時、彼は23歳でしたから、ちと若すぎたかも。
昭和ゴジラの後期に、子供たちのアイドルと化したゴジラに、大森監督もやはり忸怩たる思いを抱えていたのでしょう。
映画の展開は、明らかに大人向けの一般映画志向。
正義のゴジラに違和感を持っていた、当時の大人たちに向けて作られてはいましたが、興行的には前作を下回る結果。
もはや、昔の怪獣少年たちは、怪獣映画には、ときめかなくなっていたということでしょう。
「ウルトラシリーズ」に胸ときめかしていた少年としては、ビオランテの造形には、グッとくるものがありました。
「ウルトラQ」の第4話「マンモスフラワー」で登場したジュラン。
「ウルトラマン」の第5話「ミロガンダの秘密」に登場した植物怪獣グリーンモンス。
そして、「ウルトラセブン」の第2話「緑の恐怖」で、ワイアール星人に操られていた生物X。
思い出す限りの、ウルトラシリーズに登場した植物系怪獣ですが、バラの細胞を持ったビオランテは流石に美しい。(変態した後は、凶暴になりますが)
冒頭で、当時の初代東宝シンデレラ・ガールだった沢口靖子が特別出演。
2代目のシンデレラ・ガールとなった小高恵美は、この後、平成ゴジラシリーズにフル出演の、常連になっていきます。
1989年製作ということですから平成元年の作品。
公開当時は、僕はすでに30歳でしたから、怪獣映画からは一番遠ざかっていた頃。
今回初めて見ました。
監督は、畑違いの大森一樹。
昭和ゴジラに歓喜していた世代ですから、彼なりの思い入れもあったのでしょう。
冒頭で、破壊された新宿が出てきます。
これは、1984年に作られた「ゴジラ」のラストを踏まえていて、その続編という立ち位置。
ここで、採取されたゴジラの細胞と、バラの細胞が融合されて出来た、植物と動物の中間的な怪物がビオランテ。
バイオテクノロジーが大きく取り上げられたのは、大森監督が、医学部出身だからでしょう。
主人公は、三田村邦彦。
テレビの「必殺シリーズ」と「太陽にほえろ!」のジプシー刑事で名を挙げていました。
その恋人役のヒロインに元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子。
「普通の女の子」から復帰して、女優業邁進中の頃。
同じ年に、今村昌平監督の「黒い雨」に出演していて、女優開眼。
すでに、スーちゃんのイメージではなくなっておりました。
「ゴジラとビオランテ。勝ったほうが、我々の敵になるだけ。」
渋いセリフを吐く、自衛隊の若き将校に高嶋政伸。
この撮影当時、彼は23歳でしたから、ちと若すぎたかも。
昭和ゴジラの後期に、子供たちのアイドルと化したゴジラに、大森監督もやはり忸怩たる思いを抱えていたのでしょう。
映画の展開は、明らかに大人向けの一般映画志向。
正義のゴジラに違和感を持っていた、当時の大人たちに向けて作られてはいましたが、興行的には前作を下回る結果。
もはや、昔の怪獣少年たちは、怪獣映画には、ときめかなくなっていたということでしょう。
「ウルトラシリーズ」に胸ときめかしていた少年としては、ビオランテの造形には、グッとくるものがありました。
「ウルトラQ」の第4話「マンモスフラワー」で登場したジュラン。
「ウルトラマン」の第5話「ミロガンダの秘密」に登場した植物怪獣グリーンモンス。
そして、「ウルトラセブン」の第2話「緑の恐怖」で、ワイアール星人に操られていた生物X。
思い出す限りの、ウルトラシリーズに登場した植物系怪獣ですが、バラの細胞を持ったビオランテは流石に美しい。(変態した後は、凶暴になりますが)
冒頭で、当時の初代東宝シンデレラ・ガールだった沢口靖子が特別出演。
2代目のシンデレラ・ガールとなった小高恵美は、この後、平成ゴジラシリーズにフル出演の、常連になっていきます。
先週末に雨が続きましたが、野菜にとっては恵みの雨。
ナスもキュウリも色艶よし。
来週あたりからは、ぼちぼち収穫できそうです。
こちらもキュウリですが、これは地方モノで、加賀の太キュウリ。
ヘチマみたいな、お化けキュウリになるので楽しみです。
こちらは長芋。
これは、今シーズン初めて定植しました。
蔓がいい調子で伸びています。
これ以上高い支柱はないので、この先は、横に誘引していく予定。
こちらは、黄色と緑のズッキーニ。
緑の方は、食べ頃の大きさになっていましたので、とりあえず収穫。
持ち帰って、早速料理。
オリーブオイルで炒めてソテーにしました。
これはカボチャ。
通常、広い面積を確保して、蔓を横に這わせますが、ここに植えたカボチャは、横に伸ばすスペースを確保できなかったため、試しに支柱を立てて上に誘引してみました。
実が大きく重くなりますので、果たしてこれでもちますか。
ちょっと心配ですが、無事に収穫できますかどうか。
ニラのグーンベルト。
多年草ですので、この場所で、同じ苗から何回も収穫できる優れもの野菜。
冬越しのものを、本日収穫しました。
茎を残しておけば、それがまたそのまま成長してきます。
コストパフォーマンス抜群の野菜。
前回は、ニラレバにしましたが、今回はすでにベジタリアン宣言をしているので、ニラ玉。
味付けは、顆粒の鶏ガラと醤油。
早速明日のお弁当です。
イタリアンパセリも収穫できましたので、オムレツとペーストを作成。
日本のパセリより癖がなくて、サラダにもなりそう。
これから収穫が一息つくまでは、飲み物も畑のハーブから。
カモミールも収穫。
車の中も、持ち帰った部屋の中も、甘い香りが漂ってニンマリです。
順不同で「ゴジラシリーズ」を鑑賞しています。
ここで、そもそもの原点。
昭和29年に公開された、シリーズの記念すべき第1作目「ゴジラ」を見直してみることにしました。
僕がゴジラを映画で見たのは、そのほとんどが、子供の頃よくやっていた「東宝チャンピオン祭り」での短縮版リバイバル。
「モスラ対ゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「怪獣大戦争」「三大怪獣 地球最大の決戦」
この辺りはすべて、それで鑑賞。
「ゴジラ」と「ゴジラの逆襲」の初期二本は、モノクロ映画。チャンピオン祭りでは、上映されなかったので、見たのは、ちょっと後になってからでした。おそらくテレビでしたね。
記憶では東宝チャンピオンまつりは、当然のごとく、子供の観客が多く、大人は保護者としての付き添いがほとんど。
実は父親はけっこう映画好きでしたので、僕はけっこう連れて行ってもらえましたが、この「ゴジラ」は、公開当時は、大人が普通に一人で観に行ったと言っていました。
ゴジラは、もともと子供向けの映画ではなかった。
今はこちらも十分に大人なので、今回はその目線で見てみることにしました。
まずは、ゴジラの着想のきっかけとなったのが、当時社会問題になっていたビキニ環礁の核実験。
このときの水爆の放射能が原因で、ゴジラが誕生したという設定。
この核と放射能とゴジラという関係性は、その後のゴジラ映画にも引き継がれてはいますが、確かにその扱い方は、一作目のゴジラが最も濃厚です。
当時社会問題にもなっていた「第五福竜丸」事件は、その設定にもしっかりと描きこまれています。
そして、この第一作には、他のゴジラ作品には、ほとんど見られない、恋愛模様が描かれています。
しかも、主人公・宝田明とヒロイン河内桃子、そして、この映画で一世一代の演技を見せた科学者・芹澤を演じた平田昭彦なよる三角関係。
そして、この三角関係が、ラストの感動への大きな伏線になっていきますから、これは重要なポイント。
監督の本多猪四郎は、これはきちんと描きたかったはず。
というか、もともとこの監督は、そのあたりもきちんと描ける監督なんですね。
ちなみに、前回見た、「怪獣総進撃」も監督は同じ本多猪四郎です。
でも、あの映画には、本作のような人間ドラマは描かれていませんでした。
もちろん恋愛模様などは皆無。
東宝は、映画の観客が、次第に子供に移行してきた流れで、そのあたりを封印したのか。
あるいは、東宝からの指示で、子供向け娯楽映画に徹したのか。
本多監督は、十分に作家性を持つ力量のある監督でしたが、あくまで会社から出された条件の中で映画を作るという職人監督に徹した人でしたので、黒澤監督のように、自分のやりたいことを前面に押し出すということはしませんでした。
故に、昭和ゴジラ後期の、子供向け路線演出が、彼の本意であったかどうかはわかりません。
けれども、オリジナルゴジラ路線をその後も踏襲して行ったら、ゴジラ人気が続いたかということもわかりません。
怪獣映画の中に、果たして、大人向けの人間ドラマは必要かという問題は確かにあります。
特撮怪獣映画のファンは、破壊し対決する怪獣が見たい。
それ以外の要素は無用。つまらないドラマは、映画を白けさせるだけ。
そう言われればそうかもしれません。
でも、僕が「ウルトラマン」よりも、「ウルトラセブン」により感情移入できた理由は明白でした。
ウルトラマンにはなくて、ウルトラセブンにあったものは、まさに人間ドラマ。
もっと言ってしまえば、主人公モロボシ・ダンと、アンヌ隊員の恋愛模様でした。
最終回「史上最大の侵略」での、ダンとアンヌの別れのシーン。
あれは、完全に恋愛ドラマの演出でした。
怪獣目的で見ていた怪獣少年の僕には、ビックリドキドキ。
けっこう、ませたガキでしたから、強烈に印象に残っています。
閑話休題。
とにかく、ゴジラ第一作には、人間ドラマも、しっかりと描かれ、それが、ラストのカタルシスにまでつながっていたということです。
これは今回見直しても間違いないところ。
このあたりは、きちんと本多猪四郎の手腕と言えます。
怪獣映画のマエストロ本多猪四郎は、もともと大人の映画も撮れる監督だったということです。
そして、もう一人、この映画を大人の鑑賞に耐えうる作品にしている功労者は、やはりこの人。
古代生物学者・山根博士を演じた志村喬です。
東京を破壊するゴジラを撃退しようという対策本部に対して、貴重な研究材料を失いたくないと胸を炒める学者の苦悩を、さすがの演技力でリアルに表現。
彼がいうセリフ。
「200万年前ジュラ紀から白亜紀にかけて生息した海生爬虫類から、陸上獣類に進化する過程の中間生物であり、大戸島の伝承に倣ってこれをゴジラと呼称する」
出てきた途端に「ゴジラ」と叫ばれていた他のゴジラ作品とは違って、映画の中で、きちんとゴジラの呼称を説明するのは、僕が見た昭和のゴジラ映画の中では本作だけ。
(全作見ていないので、もしかしたら平成以降のゴジラにはあるかも)
些細ですが、こんな細かいところが、行き届いていたのが第一作でした。
主演は、まだまだ青二才の宝田明。
しかし、映画の美味しいところは、この志村喬と平田昭彦が持って行ってしまいましたね。
映画の最後のセリフも山根博士。
「人類が核実験を続ければ、きっと第ニ第三のゴジラが現れるだろう。」
しびれます。
志村喬は、「ゴジラ」と公開が同じ年の「七人の侍」にも出演していますから、この年の彼はたいしたものです。
改めて見直すと、このゴジラは、「大人の鑑賞に耐えうる」作品ではなくて、もともとは「大人が鑑賞するために」作られた映画 だったということ。
それから、もうひとつ。
それは、改めて見直してみると、ゴジラの登場シーンは、おもったより少なかったこと。
特撮シーンの割合は、その他の映画に比べて、それほど多くはない。
先日見た「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 怪獣総攻撃」は、出てくる怪獣も多いので、これでもかこれでもかというくらい特撮スペクタクルシーンのオンパレード。
観客が怪獣を見にくるのが「怪獣映画」なのですから、演出方向としては、それで間違いではないのでしょう。
ただし、本当に上手な作り手は、それはしないはず。
「ジョーズ」のスピルバーグ監督然り。
「エイリアン」のリドリー・スコット監督然り。
ゴジラのお手本になっている「原子怪獣現わる」然り。
(この映画は、ゴジラの前年製作)
「大アマゾンの半魚人」然り。
このあたりにも、ゴジラが、広く海外の大人の観客たちにも認められた秘密がありそうです。
ゴジラは、アメリカでは「King of Monster」
アメリカには、元祖特撮映画のヒーロー「キングコング」がいるにもかかわらず、この称号をいただけるのは、実に名誉なことです。
11大怪獣総登場。
怪獣オタク少年には、夢のような映画です。
なのですが、この映画を、僕は劇場に観に行っていません。
1968年公開の映画ですから、僕は小学三年生。9歳です。
当時は、ガメラに入れ込んでいたので、そのせいだったか。
しかし、この映画を見てきたクラスメートたちは、みんな口々に映画の興奮を語りあっています。
「いやあ、これは観ておくべきだったかな。」
そう思った頃には、もう映画館での公開は終了。
今のように、TSUTAYA や GEO に行けばDVDを借りられる時代ではありません。
結局、この映画を改めてみたのは、だいぶ大人になってから。
おそらく、ビデオを借りて、見たような気がします。
そのせいかどうか、子供の頃の「東宝チャンピオン祭り」で見た、その他のゴジラ映画のような興奮はありませんでした。
確かに、怪獣は勢ぞろいするのですが、どうも、怪獣が多く登場すればいいというものでもなさそうです。
1968年当時は、映画はすでに斜陽。
子供の僕らには、わざわざお小遣いを叩いて映画館に行かなくても、もうすでにテレビで、「ウルトラマン」や「ウルトラセブン」がタダで見られた時代。
おそらく東宝も、これくらいの企画をぶち上げないと、子供たちを映画館に呼べないという危機感があったのでしょう。
小笠原の島に、怪獣たちを集めて管理しているという設定。
スピルバーグの「ジュラシック・パーク」のアイデアは、案外この辺りからきてるかも。
Wiki を調べていたら、この映画は、企画段階では、「怪獣忠臣蔵」というタイトルだったそうです。
なので、地球を侵略しようとする宇宙人の名前が「キラアク星人」。
つまり、悪役・吉良上野介の名前から拝借したとのこと。
映画の主演は、東宝特撮シリーズの常連だった久保明。
でも本格的な主演は、「マタンゴ」とこの映画がくらいじゃないでしょうか。
特撮に予算をとられて、ギャラの高い役者は使えなかったのかも。
それでも、円谷プロのテレビシリーズは欠かさず見ていたので、脇役には知っている顔がゾロゾロ。
これはけっこう楽しめました。
ムーンライトSY-3号に登場する主人公の上官に佐原健二。
この人は「ウルトラQ」の主人公。セスナのパイロット万城目淳です。
怪獣のコントロールセンターの所員には黒部進。
こちらの方は、ご存知、「ウルトラマン」のハヤタ隊員。
それから、本作のヒロイン真鍋杏子を演じた小林夕岐子。
この人も、「ウルトラセブン」で見かけました。
第9話の「アンドロイド0指令」で、宇宙一の頭脳を持つというチブル星人に操られる殺し屋アンドロイド少女「ゼロワン」
普段はマネキン人形で、モロボシ・ダンを命を狙うという役。
これは、けっこう印象に残っていたので覚えていました。
今回、Amazon プライムで久しぶりに見直しましたが、やはり、子供の頃にはわからなかった色々な事情もわかって見直すと、それはそれでいろいろと楽しめましたね。
ただ、ちょっとキングギドラが弱すぎた。
多勢に無勢そのまんまで、登場してきてすぐにやられてしまって、ちょっと「いじめ」にも見えてしまいました。
最後に、「ファイヤードラゴン」という炎の塊みたいな怪物が登場してきましたが、あれはどうでしょうか?
あれなら、ファイヤへードラゴンの下りはなくして、もう少し、キングギドラに華を持たせてあげたかったところです。
サンチュが絶好調。
師匠のゴーも出ましたので、早速お持ち帰り。
サンチュといえば、焼肉ですが、ベジタリアンに復帰したばかり。
早速、クックパッドを検索して、肉は使わないサンチュ大量消費メニューを検索。
見つけたのが、「サンチュと春雨の和え物」
春雨もちゃんとストックがありましたので、これにトライしました。
サンチュはざっくり一口大。
春雨は、キッチンバサミで5cmくらいにチョキチョキして茹でます。
茹で上がったら、水切りして、サンチュと合わせます。
そして、調味料は、ナンプラー、穀物酢、ごま油、そしてコチジャン。
素材はレシピの分量よりかなり多めにありましたので、味付けの適量は目見当。
レシピでは、これに納豆を混ぜるのですが、納豆はワンパックしかなかったので、ボールを分けて、もう片方は、ツナ缶で和えてみました。
サンチュは、クセがなくて、たいへん料理映えのする青物野菜。
来週いっぱいぐらいの作り置きはできました。
畑の野菜が切れていた冬の間は、食い意地に逆らえずに、いろいろと肉料理にも手を出しておりました。
そうすると、その食生活はじわじわと体重に影響。
ここ最近は、去年の夏の平均体重を、軽く3〜4kg上回っておりました。
充実した老後は健康だけが頼り。
これからは、畑の野菜が順番に旬を迎えていきます。
しっかりと、野菜中心の食生活を立て直して、体重だけでなく、血圧や血糖値も抑えていきたいところ。
これからは、素材もふんだんに収穫を迎えてきますので、料理の腕前もしっかりと向上させてまいりましょう。
老子は、中国春秋時代の哲学者といいますから、紀元前の方。
当時の中国は、文化においても、経済においても、世界のトップリーダーでした。
老子は、道教の始祖として、神格化されている人物。
若い頃は、この方よりも、孔子の著した「論語」の方が馴染みはありましが、先日読んだ荘子と合わせた「老荘思想」に触れてみると、年老いた我が身には、俄然、こちらの方がしっくりきます。
比べてみると、やはり孔子の起こした儒教は、いってみれば、都市の論理という気がします。
都市というのは、人間の理性で作り出した空間。
人の理屈で成り立っている場所です。
従って、如何にして、理性を律し、コントロールしていきながら、人間社会の秩序を守り、理想的なものにしていくかといういくのかというのが中心になる学問。
孔子様は、しっかり学問を修めて、頑張って、立身出世しなさいよとおっしゃるわけです。
そりゃあ、日本の武家社会には、受け入れられるわけです。
いってみれば、儒教は、これから社会に出て活躍していく若者たちの学問といっていい。
確かに、学校の教科書向きです。
それに対して、老子のいうことは、まったくその対局。
無為自然。
自然のあるがまま、運命のあるがままを素直に受け入れなさいとおっしゃる。
要するに、そんなに気張りなさんなという教え。
欲の皮を突っ張っても、決して幸福にはなれませんよという話です。
要するに、儒教とは対局の学問。
聖人というものは、足るを知る。
どれだけの財を成しても、お墓までは持っていけないわけです。
地位も名誉も、自然の営みの中では、取るに足らないもの。
そんなものに振り回されず、必要以上のものは、持たない暮らしをよしとせよという話です。
60歳を超え、これから老いと向き合う身としては、これはやはり共感させられます。
どう逆立ちしても、物質的に恵まれた老後は、送れるような贅沢な身ではありません。
ならば、物質的なものには振り回されず、せめてメンタルの面をしっかりと現実に揃えて、心くらいは豊かでいたいもの。
いつまでも、座りごごちのいい椅子にあぐらかくことなく、都会は、その椅子ごと若者たちに任せて、老人たちは、自然へ帰ろうと老子は言ってますね。
ここ数年間、野菜づくりをしながらひとつ学習したこと。
人間が、ああだこうだ、いじりまくった野菜は、そのまま放置すると最後は腐ります。
けれど、自然のままで手を加えなかった野菜たちは、腐らずに、自然の中で最後は枯れていきます。
希望としては、爺いは爺いらしく、上手に枯れていきたいもの。
でもまだ今はちょっと無理かな。
我が煩悩は残念ながら、健在だなあ。
怪獣オタクでしたので、ゴジラシリーズは、「ゴジラ対ヘドラ」までは、全て見ています。
しかし、「平成ゴジラ」シリーズは、こちらもいい大人になっていましたので、ちょっとついて行けませんでした。
昭和ゴジラも、後半はだんだんと「子供の味方」「正義ヒーロー」路線になってきて、まだ自分は子供であったわけですが、次第につまらなさを感じてきていましたね。
「怪獣大戦争」で、ゴジラが「シェーッ」をするところあたりまでは、喜んで見ていたのですが。
でも、ゴジラは、やはり、凶暴でなければ面白くない。
申し訳ないが、あまり子供人気にはすり寄って欲しくない。
昭和ゴジラ世代としては、ずっとそう思っていました。
この映画の監督、金子修介は、僕よりもちょっと上の世代。
おそらく、昭和ゴジラに胸躍らせた少年の一人だったと思われますが、おそらくその想いは共通していたようです。
本作のゴジラは、その想いにしっかり応えてくれました。
さて、平成ゴジラシリーズ終了後の、第三期はミレニアムシリーズ。
その3作目。
ゴジラ映画としては通算第25作目です。
2001年の作品。平成13年です。
もちろん、この映画は劇場でリアルタイムでは見ていません。
今回、Amazon Prime で、初見。
映画評論家の町山智浩氏が、「WOWOW映画塾」で絶賛していたので、これは見ねばなるまいという気になりました。
金子修介監督は、平成ガメラシリーズの3部作を撮った人。
この方はもともとゴジラが撮りたかったそうなのですが、ガメラ映画で実績とキャリアを積んでから、満を持してのゴジラ映画ということになりました。
町山氏に言わせれば、金子監督が「好きなように、思う存分」撮ったというゴジラ映画。
やはり、ポイントは、ゴジラを原点に戻して、徹底的に、悪の権化にデフォルメしたこと。
なんといっても、この映画のゴジラは、「白目」ですから。
見るからに凶悪そのもの。
愛嬌のかけらもありません。
そして、その設定もすごい。
太平洋戦争で、海に散っていった全ての戦死者の英霊の無念の思いがゴジラを蘇らせたというもの。
我々が命をかけて守った日本のこの堕落ぶりはなんだ。
若者たちの無軌道ぶりはなんだ。
この怨念が、ゴジラに乗り移ったというわけです。
そして、このゴジラに立ち向かう怪獣たち。
こちらは、すべて日本の守護神という設定。
あのキングギドラも、この映画では、ゴジラから大和の国を守る日本神話から蘇った怪獣。
たしかに、キングギドラの頭は、龍や麒麟といった古来の伝説の生物のそれですので、宇宙怪獣と言われるよりも、こちらの設定の方がそのフォルム的にはしっくりきます。
さて、ゴジラ打倒の刺客として、まず登場するのが地底怪獣バラゴン。
僕がこの怪獣を初めて見たのは、1965年の「フランケンシュタイン対地底怪獣バラゴン」
少年真っ盛りの頃に見ましたが、これは好きな作品でした。
最後は、フランケンシュタインに頭上高く差し上げられて、投げ飛ばされていました。
そのバラゴンが、この映画では、日本を守るため、新潟から地底を移動してゴジラに挑みます。
しかし、バラゴンは健闘むなしくあえなく憤死。
頑張ったのに、タイトルには名前も出してもらえず、可哀想でした。
次にゴジラに挑んだのは、南海のインファント島からではなく、鹿児島県の池田湖から出現したモスラ。
商店街から、このモスラを見上げる姉妹が前田愛と前田亜季。
もちろん、ザ・ピーナッツが演じた小人姉妹を意識したキャスティングでしょう。
しかし、実際に姉妹の二人ですが、そのシーンのみの出演で、残念ながら「モスラの唄」は、歌ってくれませんでした。
そして、富士の樹海の氷穴から目覚めたキングギドラ。
バラゴンも含めたこの三体の怪獣は、すべて「護国聖獣」という設定。
つまり、本作ではこちらが正義の味方です。
ここに、自衛隊ならぬ防衛軍も絡んで、四つ巴の大怪獣バトルが展開していきます。
映画のヒロインは、新山千春。
役名は立花由里。
これは、あの「ウルトラQ」で、桜井浩子が演じた女性カメラマン「ユリちゃん」から頂いたかなと思いあたりニヤリ。
冒頭で、宇崎竜童演じる立花准将が説明していますが、この映画は、昭和29年に制作された、第1作目の「ゴジラ」だけを事実として踏まえています。
ですから、その後に作られた、ゴジラ映画の世界は、なかったことになっているという設定。
つまり、ゴジラは凶暴なままです。
民宿のトイレで小便をしている温水洋一は、見上げた瞬間ゴジラに踏み潰され、「ゴジラを殺したら可哀想」なんていっている篠原ともえは、病院の病室にいながら、ゴジラの尻尾の一振り。
とにかく、その殺戮と破壊は容赦ない。
「ネタバレ」するなという方は、まず先に映画をご覧くださいませ。
金子監督なりのこだわりは、随所に散見します。
ゴジラに襲われる焼津の漁協には、あの「第五福竜丸」のポスター。
ゴジラの背ビレが光って、放たれるのは放射能噴射。
遠くの小学校からは、そこにキノコ雲が見えます。
かとうかずこ演じる小学校の先生はおもわず、呟きます。
「原爆?」
ゴジラが、水爆実験の影響で出現した放射能怪獣であることは、周知の事実ですが、これだけ直接的な描写はいままであるようでなかったですね。
ラストでは、帰還した立花准将が、かけよる娘の由里に対してこういいます。
「来るな。残留放射能をまだ計測していない。」
このあたりのリアルさは、昭和ゴジラシリーズにはありませんでした。
「モスラ対ゴジラ」では、ガイガーカウンターが登場していましたが、みんな普段着でした。
ゴジラに破壊された防衛軍の戦闘爆撃機。
爆発する戦闘機という描写は、これまでのゴジラ映画にもありましたが、その残骸が地上に落ちて民家を破壊するなんていうシーンもありました。
これも、いままであるようでなかった描写。
わざわざ、セットを立てて、このシーンのために破壊していましたから、このあたりは、金子監督のこだわりでしょう。
とにかく、今も昔も日本の特撮は、なんといっても着ぐるみが基本。
ミレニアム・シリーズともなれば、昭和時代にはなかったいろいろな特殊技術の進歩はそれなりに感じましたが、やはり一番シビれたのは、精巧に作られたジオラマを、重量感たっぷりにのしのしと歩く怪獣たちの絵面。
これは、僕にとっては、今も昔も変わらない怪獣映画最大の魅力です。
子供の頃から一貫して、夢に出てくる怪獣シーンは、すべてこれでしたね。
僕のような、旧ゴジラ・オタクのみならず、新世代の大人たちの鑑賞にも十分耐えうる作品になるように意識して作られた本作。
なのに、なのにですよ。
惜しむらくは、公開当時の併映作品が「とっとこハム太郎 ハムハムランド大冒険」
うーん。
これはなんとかならなかったか。
ね
1964年公開の、ゴジラシリーズ第5作。
公開当時は、僕はまだ5歳。
リアルタイムでは見ていませんが、これは確かに映画館で見ています。
調べてみると、「東宝チャンピオンまつり」であることが判明。
この映画は、「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 地球最大の決戦」というタイトルで短縮再編集されたバージョンが、「いなかっぺ大将」「みなしごハッチ」「マッチ売りの少女」と併映で、1971年の冬休みに公開されています。
ここまで調べて、はっきりと思い出しました。
見にいったのは、さいたま市になる以前の大宮。
我が家は、京浜東北線の与野駅前にありました。
大宮の駅前銀座をちょっと入った「大宮東宝会館」の中にあった「東宝白鳥座」。
僕は、小学校6年生になっており、この「東宝チャンピオンまつり」は、友人たちと一緒に見ていってますね。
あれは、短縮版だということなので、今回このAmazon Prime で、初めて完全版を見たことになるのかもしれません。
この作品で、東宝特撮にはじめてキングギドラが登場。
主演は、後に日本テレビの「これが青春だ」で熱血教師を演じだ夏木陽介。
ヒロインは、星由里子。
彼女のモデルは、本多猪四郎監督の奥様だと、町山智浩が言ってました。
セルジナ公国のサルノ王女役には若林映子。
彼女は、この作品が、007のプロデューサーの目に止まって、「007は二度死ぬ」のボンドガールに抜擢されたとのこと。
彼女は、金星人として、日本の危機をあちこちで訴えますが、その度に言われてしまうのが、当時はまだ差別用語ではなかった「キチガイ」というセリフ。
NHKのBS2でオンエアされた時には、このセリフは消されていたそうですが、今回見たAmazon Prime バージョンではそのままオンエア。
昔の映画ですからね。今の厳しい規制は、少々おおめにみましょう。
モスラも登場しますので、お約束の双子小美人も登場。
もちろん、ザ・ピーナッツのお二人。
よしあのお馴染みの「モスラのテーマ」が聞けるぞと思ったら、この映画では、宮川泰作曲による日本語の歌謡曲が歌われていました。
「幸せを呼ぼう」ですって。
やっぱりここは、「モスラーヤ、モスラ〜」と歌って欲しかった。
これにはがっくり。
ラストの怪獣バトルになる前に、どつきあっているゴジラとラドンに、モスラが仲介に入って、「キングギドラをいっしょにやっつけよう」と説得するシーン。
これを、小美人が翻訳して中継する演出なのですが、これは子供心にも「いかがなものか」と思った記憶があります。
こちらも、来年からは中学生となる身。
そろそろ「怪獣映画」も卒業かなと、秘かに思っていた頃に見た一本でした。
1989年製作ということですから平成元年の作品。
公開当時は、僕はすでに30歳でしたから、怪獣映画からは一番遠ざかっていた頃。
今回初めて見ました。
監督は、畑違いの大森一樹。
昭和ゴジラに歓喜していた世代ですから、彼なりの思い入れもあったのでしょう。
冒頭で、破壊された新宿が出てきます。
これは、1984年に作られた「ゴジラ」のラストを踏まえていて、その続編という立ち位置。
ここで、採取されたゴジラの細胞と、バラの細胞が融合されて出来た、植物と動物の中間的な怪物がビオランテ。
バイオテクノロジーが大きく取り上げられたのは、大森監督が、医学部出身だからでしょう。
主人公は、三田村邦彦。
テレビの「必殺シリーズ」と「太陽にほえろ!」のジプシー刑事で名を挙げていました。
その恋人役のヒロインに元キャンディーズのスーちゃんこと田中好子。
「普通の女の子」から復帰して、女優業邁進中の頃。
同じ年に、今村昌平監督の「黒い雨」に出演していて、女優開眼。
すでに、スーちゃんのイメージではなくなっておりました。
「ゴジラとビオランテ。勝ったほうが、我々の敵になるだけ。」
渋いセリフを吐く、自衛隊の若き将校に高嶋政伸。
この撮影当時、彼は23歳でしたから、ちと若すぎたかも。
昭和ゴジラの後期に、子供たちのアイドルと化したゴジラに、大森監督もやはり忸怩たる思いを抱えていたのでしょう。
映画の展開は、明らかに大人向けの一般映画志向。
正義のゴジラに違和感を持っていた、当時の大人たちに向けて作られてはいましたが、興行的には前作を下回る結果。
もはや、昔の怪獣少年たちは、怪獣映画には、ときめかなくなっていたということでしょう。
「ウルトラシリーズ」に胸ときめかしていた少年としては、ビオランテの造形には、グッとくるものがありました。
「ウルトラQ」の第4話「マンモスフラワー」で登場したジュラン。
「ウルトラマン」の第5話「ミロガンダの秘密」に登場した植物怪獣グリーンモンス。
そして、「ウルトラセブン」の第2話「緑の恐怖」で、ワイアール星人に操られていた生物X。
思い出す限りの、ウルトラシリーズに登場した植物系怪獣ですが、バラの細胞を持ったビオランテは流石に美しい。(変態した後は、凶暴になりますが)
冒頭で、当時の初代東宝シンデレラ・ガールだった沢口靖子が特別出演。
2代目のシンデレラ・ガールとなった小高恵美は、この後、平成ゴジラシリーズにフル出演の、常連になっていきます。
先週末に雨が続きましたが、野菜にとっては恵みの雨。
ナスもキュウリも色艶よし。
来週あたりからは、ぼちぼち収穫できそうです。
こちらもキュウリですが、これは地方モノで、加賀の太キュウリ。
ヘチマみたいな、お化けキュウリになるので楽しみです。
こちらは長芋。
これは、今シーズン初めて定植しました。
蔓がいい調子で伸びています。
これ以上高い支柱はないので、この先は、横に誘引していく予定。
こちらは、黄色と緑のズッキーニ。
緑の方は、食べ頃の大きさになっていましたので、とりあえず収穫。
持ち帰って、早速料理。
オリーブオイルで炒めてソテーにしました。
これはカボチャ。
通常、広い面積を確保して、蔓を横に這わせますが、ここに植えたカボチャは、横に伸ばすスペースを確保できなかったため、試しに支柱を立てて上に誘引してみました。
実が大きく重くなりますので、果たしてこれでもちますか。
ちょっと心配ですが、無事に収穫できますかどうか。
ニラのグーンベルト。
多年草ですので、この場所で、同じ苗から何回も収穫できる優れもの野菜。
冬越しのものを、本日収穫しました。
茎を残しておけば、それがまたそのまま成長してきます。
コストパフォーマンス抜群の野菜。
前回は、ニラレバにしましたが、今回はすでにベジタリアン宣言をしているので、ニラ玉。
味付けは、顆粒の鶏ガラと醤油。
早速明日のお弁当です。
イタリアンパセリも収穫できましたので、オムレツとペーストを作成。
日本のパセリより癖がなくて、サラダにもなりそう。
これから収穫が一息つくまでは、飲み物も畑のハーブから。
カモミールも収穫。
車の中も、持ち帰った部屋の中も、甘い香りが漂ってニンマリです。
順不同で「ゴジラシリーズ」を鑑賞しています。
ここで、そもそもの原点。
昭和29年に公開された、シリーズの記念すべき第1作目「ゴジラ」を見直してみることにしました。
僕がゴジラを映画で見たのは、そのほとんどが、子供の頃よくやっていた「東宝チャンピオン祭り」での短縮版リバイバル。
「モスラ対ゴジラ」「キングコング対ゴジラ」「怪獣大戦争」「三大怪獣 地球最大の決戦」
この辺りはすべて、それで鑑賞。
「ゴジラ」と「ゴジラの逆襲」の初期二本は、モノクロ映画。チャンピオン祭りでは、上映されなかったので、見たのは、ちょっと後になってからでした。おそらくテレビでしたね。
記憶では東宝チャンピオンまつりは、当然のごとく、子供の観客が多く、大人は保護者としての付き添いがほとんど。
実は父親はけっこう映画好きでしたので、僕はけっこう連れて行ってもらえましたが、この「ゴジラ」は、公開当時は、大人が普通に一人で観に行ったと言っていました。
ゴジラは、もともと子供向けの映画ではなかった。
今はこちらも十分に大人なので、今回はその目線で見てみることにしました。
まずは、ゴジラの着想のきっかけとなったのが、当時社会問題になっていたビキニ環礁の核実験。
このときの水爆の放射能が原因で、ゴジラが誕生したという設定。
この核と放射能とゴジラという関係性は、その後のゴジラ映画にも引き継がれてはいますが、確かにその扱い方は、一作目のゴジラが最も濃厚です。
当時社会問題にもなっていた「第五福竜丸」事件は、その設定にもしっかりと描きこまれています。
そして、この第一作には、他のゴジラ作品には、ほとんど見られない、恋愛模様が描かれています。
しかも、主人公・宝田明とヒロイン河内桃子、そして、この映画で一世一代の演技を見せた科学者・芹澤を演じた平田昭彦なよる三角関係。
そして、この三角関係が、ラストの感動への大きな伏線になっていきますから、これは重要なポイント。
監督の本多猪四郎は、これはきちんと描きたかったはず。
というか、もともとこの監督は、そのあたりもきちんと描ける監督なんですね。
ちなみに、前回見た、「怪獣総進撃」も監督は同じ本多猪四郎です。
でも、あの映画には、本作のような人間ドラマは描かれていませんでした。
もちろん恋愛模様などは皆無。
東宝は、映画の観客が、次第に子供に移行してきた流れで、そのあたりを封印したのか。
あるいは、東宝からの指示で、子供向け娯楽映画に徹したのか。
本多監督は、十分に作家性を持つ力量のある監督でしたが、あくまで会社から出された条件の中で映画を作るという職人監督に徹した人でしたので、黒澤監督のように、自分のやりたいことを前面に押し出すということはしませんでした。
故に、昭和ゴジラ後期の、子供向け路線演出が、彼の本意であったかどうかはわかりません。
けれども、オリジナルゴジラ路線をその後も踏襲して行ったら、ゴジラ人気が続いたかということもわかりません。
怪獣映画の中に、果たして、大人向けの人間ドラマは必要かという問題は確かにあります。
特撮怪獣映画のファンは、破壊し対決する怪獣が見たい。
それ以外の要素は無用。つまらないドラマは、映画を白けさせるだけ。
そう言われればそうかもしれません。
でも、僕が「ウルトラマン」よりも、「ウルトラセブン」により感情移入できた理由は明白でした。
ウルトラマンにはなくて、ウルトラセブンにあったものは、まさに人間ドラマ。
もっと言ってしまえば、主人公モロボシ・ダンと、アンヌ隊員の恋愛模様でした。
最終回「史上最大の侵略」での、ダンとアンヌの別れのシーン。
あれは、完全に恋愛ドラマの演出でした。
怪獣目的で見ていた怪獣少年の僕には、ビックリドキドキ。
けっこう、ませたガキでしたから、強烈に印象に残っています。
閑話休題。
とにかく、ゴジラ第一作には、人間ドラマも、しっかりと描かれ、それが、ラストのカタルシスにまでつながっていたということです。
これは今回見直しても間違いないところ。
このあたりは、きちんと本多猪四郎の手腕と言えます。
怪獣映画のマエストロ本多猪四郎は、もともと大人の映画も撮れる監督だったということです。
そして、もう一人、この映画を大人の鑑賞に耐えうる作品にしている功労者は、やはりこの人。
古代生物学者・山根博士を演じた志村喬です。
東京を破壊するゴジラを撃退しようという対策本部に対して、貴重な研究材料を失いたくないと胸を炒める学者の苦悩を、さすがの演技力でリアルに表現。
彼がいうセリフ。
「200万年前ジュラ紀から白亜紀にかけて生息した海生爬虫類から、陸上獣類に進化する過程の中間生物であり、大戸島の伝承に倣ってこれをゴジラと呼称する」
出てきた途端に「ゴジラ」と叫ばれていた他のゴジラ作品とは違って、映画の中で、きちんとゴジラの呼称を説明するのは、僕が見た昭和のゴジラ映画の中では本作だけ。
(全作見ていないので、もしかしたら平成以降のゴジラにはあるかも)
些細ですが、こんな細かいところが、行き届いていたのが第一作でした。
主演は、まだまだ青二才の宝田明。
しかし、映画の美味しいところは、この志村喬と平田昭彦が持って行ってしまいましたね。
映画の最後のセリフも山根博士。
「人類が核実験を続ければ、きっと第ニ第三のゴジラが現れるだろう。」
しびれます。
志村喬は、「ゴジラ」と公開が同じ年の「七人の侍」にも出演していますから、この年の彼はたいしたものです。
改めて見直すと、このゴジラは、「大人の鑑賞に耐えうる」作品ではなくて、もともとは「大人が鑑賞するために」作られた映画 だったということ。
それから、もうひとつ。
それは、改めて見直してみると、ゴジラの登場シーンは、おもったより少なかったこと。
特撮シーンの割合は、その他の映画に比べて、それほど多くはない。
先日見た「ゴジラ・モスラ・キングギドラ 怪獣総攻撃」は、出てくる怪獣も多いので、これでもかこれでもかというくらい特撮スペクタクルシーンのオンパレード。
観客が怪獣を見にくるのが「怪獣映画」なのですから、演出方向としては、それで間違いではないのでしょう。
ただし、本当に上手な作り手は、それはしないはず。
「ジョーズ」のスピルバーグ監督然り。
「エイリアン」のリドリー・スコット監督然り。
ゴジラのお手本になっている「原子怪獣現わる」然り。
(この映画は、ゴジラの前年製作)
「大アマゾンの半魚人」然り。
このあたりにも、ゴジラが、広く海外の大人の観客たちにも認められた秘密がありそうです。
ゴジラは、アメリカでは「King of Monster」
アメリカには、元祖特撮映画のヒーロー「キングコング」がいるにもかかわらず、この称号をいただけるのは、実に名誉なことです。