1959年製作といいますから、僕の生まれた年に作られた大映作品ですね。
「氾濫」を、観ました。
原作は、翻訳家であり、評論家であり、小説家でもある伊藤 整の同名小説。
伊藤整といえば、なんといっても、わいせつ文書として警視庁の摘発を受けた、D・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳を手がけたことで有名な方。
その際には、出版社の新潮社のみならず、翻訳者の伊藤整も起訴されております。
裁判では芸術性の高い文学作品を猥褻文書とすることの是非、翻訳者を罪に問うことの是非などが争われましたが、1957年、最高裁は伊藤、出版社共に有罪としました。
そんな、彼の小説としての代表作がこれ。
実業家・真田佐平、俗物教授・久我象吉とその家族たちを中心に、現代人のさまざまな生活や偽装、金銭、名誉、地位、セックスへの欲望といったものを大胆に描いてゆきます。
実は僕も、この原作は、背伸び盛りの高校生の頃に、一度手にとっています。
しかし、この分厚かった文庫本を、読み終えたという記憶がありません。
おそらく、途中で挫折したのでしょうね。ストーリーもまるで思い出せません。
そんな原作を、98分にまとめたのがこの映画。
監督は、モダンな演出で知られる異才・増村保造。
出演は、若尾文子, 佐分利信, 沢村貞子, 川崎敬三, 叶順子 。
明確な主演者をあげろというと、ちと難しい人間群像劇です。
娘は恋愛を、青年は野望を、人妻は虚栄を、夫は情事を!
かくて現代の慾望は氾濫する!
映画の内容は、おおよそこんなところでしょうな。
出演者全員が、それぞれの「欲」にとりつかれた「俗物」として描かれており、人間の描き方は、極めてネガティブで、ペシミスティック。
物語のベースになる家族の父親役が佐分利信。
彼は、僕としては、「重厚」で、感情をあまり表に出さない「人格者」というイメージが強いのですが、その彼に、愛人の左幸子との密会のシーンで「君だけは、変わらないでいてくれ」なんていう、生々しいセリフを言わせたりしています。
また、彼の妻役の沢村貞子。下町のきっぷのいいオカミサン役のイメージが強い彼女に、なんとも違和感のある、不倫に走る人妻役を演じさせてしまいます。
人間の「欲」の氾濫を描きたかった、増村監督としては、このあたりは、ある意味「狙った」キャスティングだったのでしょうが、僕としては、見たくないものを見てしまった感じ。
まあしかし、その逆を言えば、若尾文子などは、いかにもドライな現代娘(この当時の)を演じてはまっておりました。
はまっていたといえば、なんといっても川崎敬三。
植木等の「C調男」から、「オチャラケ」をとって、「女ったらし」をパワーアップさせたような、この映画の象徴的な役を、「演じる」というよりは、むしろ「体現」していましたね。
そして、船越 英一郎のお父さんである船越英二。
ドラマ「時間ですよ」の銭湯の気のいい「おとうさん」役の印象の強い人ですが、彼がちょっとびっくりしてしまうような役をやっておりました。
原作者・伊藤整自身が、「映画化不可能」と述べたこの長編小説を、緻密な構成かつ見事な群像劇として、まずは無難に映画化した増村監督の技量は、評価されるべきでしょう。
「氾濫」を、観ました。
原作は、翻訳家であり、評論家であり、小説家でもある伊藤 整の同名小説。
伊藤整といえば、なんといっても、わいせつ文書として警視庁の摘発を受けた、D・H・ローレンスの『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳を手がけたことで有名な方。
その際には、出版社の新潮社のみならず、翻訳者の伊藤整も起訴されております。
裁判では芸術性の高い文学作品を猥褻文書とすることの是非、翻訳者を罪に問うことの是非などが争われましたが、1957年、最高裁は伊藤、出版社共に有罪としました。
そんな、彼の小説としての代表作がこれ。
実業家・真田佐平、俗物教授・久我象吉とその家族たちを中心に、現代人のさまざまな生活や偽装、金銭、名誉、地位、セックスへの欲望といったものを大胆に描いてゆきます。
実は僕も、この原作は、背伸び盛りの高校生の頃に、一度手にとっています。
しかし、この分厚かった文庫本を、読み終えたという記憶がありません。
おそらく、途中で挫折したのでしょうね。ストーリーもまるで思い出せません。
そんな原作を、98分にまとめたのがこの映画。
監督は、モダンな演出で知られる異才・増村保造。
出演は、若尾文子, 佐分利信, 沢村貞子, 川崎敬三, 叶順子 。
明確な主演者をあげろというと、ちと難しい人間群像劇です。
娘は恋愛を、青年は野望を、人妻は虚栄を、夫は情事を!
かくて現代の慾望は氾濫する!
映画の内容は、おおよそこんなところでしょうな。
出演者全員が、それぞれの「欲」にとりつかれた「俗物」として描かれており、人間の描き方は、極めてネガティブで、ペシミスティック。
物語のベースになる家族の父親役が佐分利信。
彼は、僕としては、「重厚」で、感情をあまり表に出さない「人格者」というイメージが強いのですが、その彼に、愛人の左幸子との密会のシーンで「君だけは、変わらないでいてくれ」なんていう、生々しいセリフを言わせたりしています。
また、彼の妻役の沢村貞子。下町のきっぷのいいオカミサン役のイメージが強い彼女に、なんとも違和感のある、不倫に走る人妻役を演じさせてしまいます。
人間の「欲」の氾濫を描きたかった、増村監督としては、このあたりは、ある意味「狙った」キャスティングだったのでしょうが、僕としては、見たくないものを見てしまった感じ。
まあしかし、その逆を言えば、若尾文子などは、いかにもドライな現代娘(この当時の)を演じてはまっておりました。
はまっていたといえば、なんといっても川崎敬三。
植木等の「C調男」から、「オチャラケ」をとって、「女ったらし」をパワーアップさせたような、この映画の象徴的な役を、「演じる」というよりは、むしろ「体現」していましたね。
そして、船越 英一郎のお父さんである船越英二。
ドラマ「時間ですよ」の銭湯の気のいい「おとうさん」役の印象の強い人ですが、彼がちょっとびっくりしてしまうような役をやっておりました。
原作者・伊藤整自身が、「映画化不可能」と述べたこの長編小説を、緻密な構成かつ見事な群像劇として、まずは無難に映画化した増村監督の技量は、評価されるべきでしょう。
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