ページをスワイプする指(iPad読者ですので)が最後まで止まりませんでした。
文句なしの傑作ですね。
ミステリーの王道パターンを踏襲しつつ、最後はとんでもないラストで唸らせていただきました。
お見事!
『方舟』(ハコブネ)は、夕木春央による現代本格ミステリー小説。
2022年に刊行されるや否や、「週刊文春ミステリーベスト10」や「MRC大賞2022」などの主要ミステリーランキングで高評価を獲得し、話題となっていました。
物語は、主人公・越野柊一が大学時代の友人や従兄とともに、山奥にある謎めいた地下建築「方舟」を訪れるところから始まります。
そこで、偶然出会った三人家族と合わせて総勢10人が、この不気味な「方舟」で一夜を過ごすことになります。
その翌朝、突如このミステリーの開幕を告げる大地震が発生。
全てはこの予期せぬ天災から幕を開けます。
この地震によって、一行が入ってきた地下施設の出入口が巨岩で塞がれてしまいます。
この巨岩はもともと有事の際のバリケードにするために仕掛けられたもので、施設内部には、手動巻き上げ機がセットしてありました。
しかし、この地震により、誰かがこの巻き上げ機を使って岩をどかそうとすると、その人物だけが施設の中に取り残されてしまうことが判明。
10人はお互いの顔を見合わせてしまうことになります。
さらに3階建ての地下施設の地下三階部分は、地下水のために水没していることがわかります。
この地下三階からは、外に出られる非常口が通っていましたが、その地上部分は、土砂で完全にふさがれている絶望的な状況を、まだ生きていた外部監視カメラがとらえます。
そしてさらに、地下水の水位は、徐々に水嵩を増していることも判明。
このままでは「方舟」は水没し、全員が命を落としかねない極限状況に追い込まれていきます。
この施設から脱出するには、誰かが犠牲になって、巻き上げ機を廻し、巨石を動かさなければなりません。
いったい誰が犠牲になるのか。
まあこの設定だけでも、そこそこのパニック人間ドラマが展開されそうなものですが、本作ではこの極限状況の中で、なんと殺人事件が起こってしまうからさあ大変。
しかも、その犠牲者は一人にとどまりません。
いったい犯人は、なんのために、この状況下で殺人を繰り返すのか。
この地下施設からの唯一の脱出方法は「誰か一人を犠牲にする」ことは全員が理解しています。
ならば、その生贄には犯人がなるべきだという暗黙の了解が残された全員の共通解になります。
はたして、地下水で施設が水没するタイムリミットまでに、犯人を見つけ出すことが出来るのか。
この極限状況化で、犯人捜しの心理戦と推理が始まるわけです。
探偵役は、主人公・柊一の従兄である篠田翔太郎。
彼は、人間的な感情を一切排除して、徹底的な理詰めで真犯人に肉薄していきます。
犯人も含め、全員が納得できる真相解明でなければ、犯人に犠牲になることを強いることは出来ません。
そして最後に翔太郎は、タイムリミットぎりぎりで、往年の古典ミステリーよろしく、容疑者を一同を集めて連続殺人の真犯人を指摘します。
とにかくここまでの展開も、なかなかスリリングで、「犯人あてミステリー」として、よく出来ているのですが、事件の導入部を知っている読者は、本作に限っては、犯人がわかっただけでは、このミステリーは終わらないことをよく知っているわけです。
ここからがクライマックスのはず。
まず、閉鎖空間で「誰か一人を犠牲にしなければ全員が死ぬ」という極限状況に置かれた登場人物たちが、「犯人が犠牲になるべきだ」と考えることは、果たして道義的に正しい判断なのか。
「人を犠牲にする」という行為自体が持つ重さについて、登場人物たちは少なからず葛藤や罪悪感を抱くことになります。
つまり、犯人を犠牲にすることで自分たちが助かるという論理は、極限状況下では合理的に思えても、道徳的・感情的には完全に割り切れるものではなく、必ず後ろめたさやためらいがつきまとうもの。
このモヤモヤを残したままで、はたして小説として物語を終わらせることが出来るのか。
それとも、最後に殺人犯人の犠牲的精神を称えて、美談にしてしまうのか。
残りページ数を確認しながら、このミステリーの締めくくり方をいろいろと想像しながら読んでいたのですが、作者はそんなミステリー・マニアの姑息な想像を軽く凌駕するとんでもないラストを用意してくれていました。
さすがにそれを、こんな読書レビューごときで語っていいわけがないのは百も承知。
正直に言えば、「どんでん返し」があるということを語るだけでも、すでに反則なのかもしれません。
この衝撃を完全な形で味わいたい方は、是非とも一切の前情報を完全にシャットアウトしてお読みになることをお勧めします。
本作から学べる大切な教訓をひとつ。
それは、極限状態に放り込まれたときは、最後まで冷静でいられた者だけが生き残れるということ。
あまり近くにいてほしくはないですが、時にはサイコパスに学ぶこともあるかもしれません。