時は、江戸時代の半ば、正徳元年。
飛脚問屋の養子忠兵衛が、遊女梅川とのっぴきならない仲になり、身請け金をめぐって、引くに引けない状況に追い込まれて、ついにご法度の封印切り。
これ、いまでいうところの「公金横領」ですな。
覚悟を決めた二人は、手に手を取り合って、親里の新口村まで恋の逃避行。
しかし、結局は捕まってチョチョンのチョン。
この梅川・忠兵衛の「相合駕籠」の道行、二人で生きられるだけ生きて、それまでは連れ添おうという、刹那主義的な悲恋は、当時の江戸庶民に拍手喝采をもって迎えられました。
「翠帳紅閨に 枕並べし閨の内
馴れし衾の夜すがらも 四つ門の跡夢」
これが、近松門左衛門の悲恋の名作 『冥途の飛脚』です。
この梅川と忠兵衛を主役にした人形浄瑠璃をモチーフにした構成で、これまでの作品とは、 全く違う新しい映像世界を描いたのが、北野武監督作品による『Dolls』
この映画は、2002年公開。
ポスターの真ん中にドカンと書かれたキャッチコピーは「あなたに、ここに、いてほしい。」
北野武が、いよいよ純愛モノに挑戦ということになれば、こちらも構えますよね。
「さあこい。タケシ監督。お手並み拝見」
さてこの映画、一般的な批評としては、日本的情緒に溢れた映画で、色彩がすこぶる美しいと賞賛する声がありますが、「自然美」を、舞台の「人工美」に見立てるという幻想的な手法は、お見事といってよいでしょう。
3組の全く別々の男女たちが交錯し、そして登場人物たちが、それぞれの未来や希望を見出して新しい人生を歩み出そうとするけれど、最後に訪れるのは「死」。
この「無常観」は、この映画全体の「空気」を支配しています。
さて、この映画を見ていて、僕の脳裏をよぎった映画は、野村芳太郎監督の名作「砂の器」。
「砂の器」のラスト30分は、人形浄瑠璃を、映画に置換えたものだと力説していたのは、この映画のシナリオを書いた脚本家の橋本忍。
ハンセン氏病の元患者である本浦千代吉と息子が放浪するシーンが、赤い紐で結ばれたまま、日本の四季の中を放浪するこの映画の二人と、重なりましたね。
この 夢幻的な美 を追求するために起用されたのが、ファッション界の鬼才、山本耀司。
彼の製作した斬新な衣裳は、この作品から「リアル」さを取り上げてしまうことにはなりますが、そのかわり、舞台の幻想的様式美を、映像にもたらせます。
この映画は、こちらで正解でしょう。
主演の二人は、菅野美穂、西島秀俊。
菅野は、この映画の演技で、第40回ゴールデン・アロー賞映画賞を受賞。
ラストで見せる、「狂気」と「正気」のハザマを見事に表現した、彼女の表情の変化は見事でした。
日本的「美」の情緒に満ち溢れた、悲しくも残酷な愛のカタチ。
この作品に対して、監督の北野武は、こう語っています。
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