「あにいもうと」は、昭和28年の大映作品。
監督は、成瀬己喜男です。
松竹がホームグラウンドの監督ですが、その彼が大映で撮った2本の作品のうちの1本。
成瀬監督といえば、「女の生き様」を撮らせたら、当代随一の監督。
彼の映画に出てくる、男たちは、みんなおしなべて、女たちを引き立てる役回りにさけることが多いという印象ですが、さすがにこの映画の森雅之は、一本ビシッと芯が座っていましたな。
なよなよの船越英二や堀雄二とは、好対照でした。
この森雅之という人は、どんな役をやらせても、その役柄に見事に同期してしまう天性の演技力の持ち主。
「悪い奴ほどよく眠る」の彼などは、それが、森雅之だとわかってみていても、最後までそうとは見えませんでした。
それほど彼が、あの黒幕の役に、なりきっていました。
そして、この映画での、粗野な兄貴役もまた然り。
「え?これがあの知性的でクールな森雅之?」
というぐらい、「浮雲」や「羅生門」の彼の印象とは、ガラリと違う、がらっぱちの役を、リアルにこなしていました。
この森雅之の父親は、かの有島武郎。太宰治と同じく、心中で亡くなった作家。
やはり、彼の演技力の背景には、この高貴な文学者のDNAが見え隠れしています。
「雨月物語」しかり「白痴」しかり。
彼が出演するだけで、その映画に「文学」の香りがそこはなとなく漂うのはそのせいでしょうか。
さて、この映画の原作は、室生犀星の文芸懇話会賞受賞の小説。
愛するがゆえに、ののしり、もつれあう兄妹の葛藤を描いた作品です。
妹を演じたのは、スレッ枯らしを演じさせたら右に出るものなしの京マチ子。
「羅生門」では、夫婦を演じた二人が、ここでは兄妹を演じます。
京マチ子の役どころは男にほれて男のために尽くすのだけれど結局は男に捨てられ、その繰り返しによってどんどんすれっからしになっていく女。
彼女のアクの強いキャラクターを借りて、成瀬監督の演出は、松竹での彼の演出とは、一味違ったものになりました。
久我美子もまた、彼女のキャラクターをうまく活かした、勝気で芯の強い妹役を好演。
ところで、この「あにいもうと」、この後にも、何回か映画化、ドラマ化されているのですが、実は、「男はつらいよ」シリーズの第49作目として企画されていた、「男はつらいよ 寅次郎花へんろ」のモチーフにもなっていたそうです。
渥美清の死によって、それはかなわぬ企画に終わってしまいましたが、これはちょっと見てみたかった。
当時、かなり病状が悪化していた渥美清の変わりに、べらんめえの兄貴役に予定していたのが西田敏行。
妹役には、シリーズ32作目「男はつらいよ 花も嵐も寅次郎」でもマドンナ役を演じた田中裕子がキャスティングの予定だったとか。
さて、この作品は、女たちと男たちの対比が鮮やかな映画でした。
最後まで母性からのがれられない男達と、自ら立つ逞しい女の姿の対比ですね。
いろんな出来事や喧嘩におろおろしながらも、最後には、すべてを許してしまう浦辺粂子演じる母親(実にうまい!)が絶品。
最後には、息子も娘も、そして、娘をとりまく男たちをも、まるく包み込んでしまう母性の象徴としての存在感は、さすがでした。
船越英二演じる学生は、女の兄にもう二度と来るなと追い返された帰りのバスの中で、この母親からもらった饅頭を、居心地よさそうに頬張ります。
まさに母性への飢えを象徴するような演出は、実に巧みでした。
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