忠臣蔵の季節となりました。
江戸城内松の廊下で、赤穂藩主浅野内匠頭が吉良上野介に突然斬り掛かるという、俗に言う「松の廊下刃傷事件」がおきたのが元禄14年3月14日。
時の将軍・徳川綱吉はこれに超激怒。
浅野内匠頭には即日切腹を申し渡し、赤穂藩にはお家断絶断の決定を下しました。
そして、一方の吉良上野介に対しては、この浅野の暴挙に対し、一切手向かいしなかったとして、何のお咎めもなし。
この裁きを片手落ちと考えた家老の大石内蔵助以下の赤穂藩士たちは、吉良上野介に対して密かに仇討ちを計画。
元禄15年の本日12月14日吉良邸に侵入。吉良を討ち取って主君の仇討を果たす。
これが、日本人が愛してやまない「忠臣蔵」の顛末。
時代が時代でしたね。
元禄という頽廃的な時代に、「仇討ち」という、日本人の「心」の原風景を揺り動かすような義理人情的大事件が起こったことに関して、庶民たちが、熱狂的に盛り上がってしまいます。
この事件、事実は事実ですが、これに「町民文化」華やかし頃の、江戸市民の「ストレス」や「希望的想い」がのっかってしまうわけですね。
事件の後に出来た「仮名手本忠臣蔵」は、この事実を元にしているとはいえ、創作の部分もかなり多く、フィクションといってよろしい。
忠臣蔵にまつわるいくつものエピソードは、その後、現代に至るまで、さまざまなメディアで、客を呼べる「興行のネタ」として、一人歩きを始めてしまいます。
さて、冷静に考えてみましょう。
「松の廊下刃傷事件」です。
いかがでしょう?
忠臣蔵を扱った数々の作品では、吉良上野の度重なる「いやがらせ」にキレた浅野内匠頭を「やむなし」と好意的に描いていますが、本当にそれでいいでしょうか。
これって、今のモラルに照らし合わせても、明らかに主君としては失格じゃないでしょうか。
殿中で刃傷という行為が、赤穂藩にどういう事態をもたらすかを、そのときの彼が、わからないはずはありません。
たとえ、どんな仕打ちを受けようとも、殿様たるもの、江戸城内において、それだけはしてはいけなかったはずです。
それは、この時代の殿様の常識すぎるくらい常識な「義務」であったことは想像に難くない。
僕の私見としては、浅野内匠頭よりも、その場所が、江戸城であることをきちんとわきまえるがゆえに、彼の暴挙にも一切応戦せずに、眉間に傷まで負った吉良上野介の方が、殿様としての「分別」と「良識」は、はるかに格上だと感じてしまいますね。
たとえ、それが「忠臣蔵」で描かれているような、「いやがらせ」や「挑発」の結果だとしてもです。
主君の仇を討った、赤穂浪士は、確かにご立派かもしれません。
ですが、浅野内匠頭は、お殿様としては、やはりペケでしょう。
家臣を守るべき立場にある彼が、自分の立場を忘れて、キレてはいけません。
いかに、「忠臣蔵」といえども、この短絡的で激情型のお殿様の「キレた」振る舞いを、こんなにも堂々と、「正当化」してほしくはないですね。
コメント