久しぶりに、WEBカメラをセットして、動画バージョンで一人カラオケ。
もちろん、ギターは、弾いているふりだけ。
画面は、暗いですが、これくらいの方が、アラが見えなくてヨロシイ。
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気仙沼市に到着したのはお昼前。
やはり、今回見てきた中では、この町の被害状況が、一番深刻だと思いました。
湾の奥にあるこの町が、なんでだろうと思っていましたが、狭い湾の入口で津波の威力が
増幅されて町を襲ったと知って、なるほどこういうことかと思いました。
気仙沼復興屋台村です。
ここでランチ。漁港は、少しずつ営業を始めていました。
しかし、まだ町で多く見かけるのは、鉄屑などの産廃業者や建設業者。
震災から9ヶ月経ちましたが、復興はやっとこれからです。
津波で破壊された鉄道。
南リアス線も、全線開通は、まだ先になりそうです。
石巻市です。
市街地の様子は、普段と変わらない様子。
しかし、港まで行くと、広範囲にわたって、津波の被害の跡がクッキリ。
そして、今回の道中で、けっこう目についたのが、比較的新しい墓地でした。
この後、松島まで南下して行って、今回の旅は、時間切れ。
後は、福島原発の被害エリアを含む、仙台から、福島県いわき市までのルート。
ここは、また日を改めて行くことにします。
2日目は岩手県釜石市からスタート。
岩手県に入ると、被災地の様子は、深刻になって来ました。
それから、何にもないところにポツンと立っている自動販売機をけっこう見かけました。
こんな光景は、日本でしか見られないのかもしれません。
外国の人には、現金が、箱に入って無防備に置いてあると見えるのだそうです。
海岸から、山ひとつ入ったところに建てられていた仮設住宅。
いかにも、寒そうな所で、ちょっと心配になります。
海沿いの山道を走って大船渡市。
今回、車で走ってみて思ったことは、被災地の遠景と近景の落差です。
遠くから見ると、いつもと変わらないように見える景色が、近くの現場まで行ってみるとビックリ。
そんなことが何回もありました。
陸前高田市は、町一つがごっそりと津波にやられた様子が歴然。
残った建物がポツリポツリという状態で、いったいここが、震災前は、どんな街並みだったかを知りたくなりました。
不謹慎を承知でいわせてもらえば、ちょっと西部劇に出てくるコーストタウンのようでした。
車は、宮城県へとはいっていきます。
クリスマスの日曜日。
仕事を終えて、その足で東北自動車道に飛び乗りました。
とにかく、年内にどうしても、東北の被災地には見ておきたかったんですね。
幸か不幸か、ほとんど休みが取れない12月だったので、平日の2日間の休みを、無理を言ってなんとかもらった次第。
この後になるともう、正月休みの帰省ラッシュにぶつかると思いましたので、思い切って出かけてきました。
予約も何も一切なし。
ぶっつけ本番。出たとこ勝負の2日間。
あらかじめ用意したのは、スタッドレスタイヤだけ。
12月は、東北方面の高速道路が軒並み無料サービスになっておりましたので、思ったよりお金をかけずに行ってくることが出来ました。
往路は、眠くなるところまでいこうと思っていました。
twittr でつぶやきながら、走りに走って、東北自動車道の吾妻SAあたりが限界。
ここで仮眠して、とりあえず一路八戸へ向かいました。
八戸自動車道に乗り継いで、八戸のフェリー埠頭に到着したのは、26日の10時30分。
ニュースでは、本格的な被災は、岩手県と宮城県だと聞いていましたので、まだ青森の被害は、それほどでもないのかなあと漠然と思っていましたが、やはり港には、震災の爪跡がクッキリ。
今回は、許される限り海岸線を走ろうと決めていました。
iPad2 のナビゲーションを活用しようと思っていたのですが、残念ながら、青森からいきなり圏外。
仕方が無いので、カーナビを使って南下開始。
この標識は、今回被災地のいたるところで見かけました。
北リアス線は、いまだ未開通。
いたるところで、線路の修復工事をしていました。
被災地を見学する観光バスツアー。
東北のコンビニは、ローソンが多かったのですが、プレハブの仮店舗で営業しているのをけっこう見かけました。
動画の最新作です。
これ、音楽でダメだし出そうです。
YouTube に、差し替えろと言われる前に見てもらいたいなあ。
新年あけましておめでとうございます。
去年の暮。12月27日。
被災地釜石で迎えた夜明けです。
2012年は、復興の年。
2日間東北を車で走ってみて、思いました。
これだけの目にあったのですから、東北の被災地は、復興するだけでは絶対に元は取れない。
これはもう、再生しかない。
この際ですから、もとに戻すのではなく、未来を見据えてしっかりリニューアル。
今までよりもグレードアップして、よみがえる。
そして、何年も後に、あの時、震災ですべてがゼロになったからこそ、今の東北がある。
そうならないと、この震災を経験した意味がないと思います。
今の日本は、みんな自分だけの既得権益にしがみついて、改革はお題目だけ。
誰が政権をとっても、結局同じ事の堂々巡り。
ですから、すべてが等しくチャラになってしまった東北は、ある意味では千載一遇のチャンス。
いろいろなしがらみを考えずに、真っ白い紙から、将来の再生を描けます。
どうせやるなら、今までよりも、もっといい町に、生まれかわらなければ、やられ損。
2011年に起きた東日本大震災。
今の東北の太平洋岸の町の状態は、しっかりとこの目に焼き付けてきました。
蘇った被災地の様子は、また10年後に、しっかりと確認に行くつもりです。
さて、新しい年です。
どちら様にとっても、実り多き年となりますよう。
心よりお祈り申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。