ちょっと、このタイトルいいと思いません?
要は、趣味で描いている iPad のお絵描き発表会なのですが、こういうタイトルをつけてみると
ちょっとアカデミックになってきます。しめしめ。
実は、つい先日、中学校時代の文集というのが出てまいりまして、これを読み返してみて
ふと思い出したんですね。
あの頃は、本当に漫画家になりたいと思っていました。
クラスメートの作文に、とにかく下手くそな挿絵を、描きまくってるんですね。
頼まれて描いたのか、無理矢理割り込んでいったのか、それは今となっては思い出せませんが、
とにかく描いた覚えのある落書きが、自分のページ以外のあちこちから
発見されました。
よく、あれでクレームが出なかったものです。
少なくとも、「お呼びでない」という扱いではなかったことだけは確かなようです。
自分の描いた絵で、喜んでもらえるという「ささやかな楽しみ」は、
考えてみれば、55歳になった今でも、ほとんど変わっておりません。
どうも、40年もたっても、僕の「楽しみ」の根っこのところはまるで変わっていないようです。
さて、もうひとつ思い出しました。
あの頃の、柿沢少年があこがれていたこと。
それは、みんなが使っている教科書に、自分のイラストがのること。
勉強はできませんでしたが、やはり、漫画だけは多少の自信がありましたので、
そんなところで、みんなに「スゲーッ」と言われることを夢想していたことを
ちょっと思い出しました。
そこで今回の iPad お絵描きギャラリーは、中学校の歴史の教科書の挿絵を意識して
アカデミックに描いてみました。
資料画像は、先日川越市立図書館に行って仕入れたもの。
それでは、駆け足すぎるとは思いますが、とりあえず8枚。
紙芝居と思ってご覧ください。
まずはこれ。
1936年2月26日勃発した、陸軍青年将校たちによるクーデター未遂事件。
2.26事件です。
事件の首謀者は、銃殺刑になりました。
お次。
第二次世界大戦は、飛ばして、これは終戦直後。1945年9月27日。
アメリカ大使公邸の門をくぐり、マッカーサー元帥と面会した際の天皇陛下とのツーショット。
こんな、場末のブログに、天皇陛下のイラストなどを描いていいのかどうか
わかりませんが、顰蹙覚悟でのせちゃいます。
問題ありならご指摘ください。
とにかく、日本の戦後は、事実上ここからスタートしたといえます。
さて、戦後といえばこれ。
1951年9月8日。アメリカのサンフランシスコ市内のオペラハウスで調印された、サンフランシスコ講和(平和)条約。
署名しているのは、時の吉田茂首相。後ろ、右から二人目は、後の池田勇人首相。
これは血生臭い事件でした。
1960年10月12日。日比谷公会堂において、演説中の浅沼稲次郎社会党委員長が
右翼の少年に刺殺されたテロ事件。
ちなみに、浅沼稲次郎氏は、三宅島出身。
わが母の故郷も三宅島で、よく、僕のおじいちゃんが、この人を「イネさん」と言っていたのを思い出します。
とまあ、そんな縁でこの一枚です。
さて、この一枚は、1970年11月25日。
三島由紀夫が、自衛隊の市ヶ谷駐屯地に立てこもり、憲法改正のため
自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした事件。
さて、次はこれ。1972年9月29日。
中華人民共和国の北京で行われた「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」の調印。
俗にいう日中共同声明の記念すべき一枚。
これで、我が国は、日中国交正常化を、アメリカに先んじて実現させました。
右から、時の田中角栄首相。
中国側は、周恩来首相と、毛沢東。
これは、1974年3月9日。
フィリピンのルパング島のジャングルで、終戦後30年もの間、一人で戦争を続行していた小野田少尉。
かつての上官からの、「参謀部別班命令」で任務解除され、帰国命令が下ったときの一枚。
このときの目と、ブラジルに移住したその後の彼の目が、別人のように変わっていたのが印象的でした。
そして、最後はこれ。
1985年8月12日。
羽田を予定通り離陸した、日本航空123便が、群馬県の御巣鷹山に墜落した事故。
まず、生存者はいないだろうと思われていた現場から、奇跡的に12歳の少女が救出された際の一枚。
以上。
駆け足でしたが、拙いイラストで綴る、「激動の昭和史」でした。
また、機会があったら、描きマース。