縄田一男という文芸評論家がこう言っています。
「内面の懊悩が何らかのかたちをとった場合、極端に身体的障害といった異形として表現される。この象徴は、彼ら自身の、そして彼らを生み出した時代の、そして大衆のアイデンティティなのである」
「座頭市物語」は、1963年制作の大映作品。
言わずと知れた、勝新太郎の出世作です。
勝新太郎は、デビューからしばらくは、二枚目俳優として売り出したけれど、これがパッとしない。
それでは、ダーティヒーローならどうだということで撮られた映画が「不知火検校」。
これが当たって、俳優・勝新太郎の活路が大きく開きました。
そして、それいけとばかりにその延長線上に展開されたキャラクターが「座頭市」。
原作は子母澤寛となっていますが、実際は彼の6000字に満たない短編の中に登場する座頭の市のキャラクター設定だけを拝借したもの。
三波春夫の「大利根無情」でお馴染みの病弱な剣豪・平手酒造を絡めた物語は、ほとんど映画のオリジナルです。
座頭というのは、江戸時代以前にはれっきとしてあった盲人の役職。
ですから「座頭」は、「めくら」などとは違い、差別用語でも何でもない職業用語です。
武士の時代にあっては、盲人たちは意外と世の中からリスペクトされていたようですね。
ちなみに、検校というのはその役職の最高位。
「丹下左膳」もそうですが、「異形のアウトロー」というのは、時として時代が求めるんですね。
でも身体的障害を持った異形のヒーローというのは、今の世の中では、扱いがちょっと難しくなってきました。
なにせ「めくら」というのは、今では、完全に「表現に不適切」のある差別用語。
しかし「めくら」という言葉を外したら、この映画シリーズの脚本は成り立ちません。
「てめえ、このこのドめくら。」という敵役の親分のセリフが、「てめえ、この視覚障者!」ではやはりね。
昔テレビで見た「座頭市」シリーズの1本では、この「めくら」というセリフの部分に、なんと音声処理がされていてビックリしたことがありました。
これでは、映画の魅力自体が台無し。
今では、そんな面倒くさいことをせずに、放送の冒頭に、「作品の中には、不適切な表現がありますが云々」というテロップがつくのが主流です。
それでも民放放送では、スポンサーに配慮して、ほとんど過剰ともおもえるほどの自主規制をしてしまいますから、リスクのある映像作品はあつかわないのが常識。
ですから、これらの映画は、「やくざ映画」同様、有料放送や、このAmazone プライムビデオのような有料サービスでしか見られないコンテンツということになります。
テレビだったか映画だったかは記憶にないのですが、子供の頃、足が悪かったおじいちゃんの杖を借りて、よく座頭市ごっこをして遊んでいました。
「おめえさんたち、なにかい?あっしを斬るといいなさるんですかい。」
もちろん僕が座頭市。弟には、ビニールの刀を持たせて悪徳親分役をやらせます。
そして、あの居合い抜き。ピシッブシュズバッ。
すると、それを見つけたおばあちゃんにはいつも苦虫を潰したような顔して怒られました。
「こら、 そんなマネするんじゃないよ。」
子供の頃は、おばあちゃんは、座頭市が嫌いなのかなと思っていましたが、今にして思えば、彼女は「映倫」でしたね。
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