この映画を、なけなしの小遣いで有楽町の「丸の内ピカデリー」に見に行ったのは中学生の頃。
とにかく、「凄い映画が来るぞ」という前評判で、あちこちのメディアで宣伝していました。
当時の人気歌手だった尾崎紀世彦も映画の「愛のテーマ」をレコード化。
映画は知らなくとも、ニーノ・ロータによる、そのメロディは誰もが知っているというほどポピュラーになりました。
「丸の内ピカデリー」という映画館は、あの頃、そういったワンランク上の映画をよく上映していました。
スタンリー・キューブリックの「時計じかけのオレンジ」も、たしかあの映画館でしたね。
ゴッドファーザーのタイトルの前には、「マリオ・プーゾの」が付いていました。
彼の小説が原作。
我が家は本屋でしたが、その原作小説は、映画の封切りと合わせて、平積みにしてありました。
映画オタクだった僕は、ハクをつける意味で、店からその本をちょっと拝借し、学校へもっていって、休み時間などに、話題の映画の原作を読んでいるフリをしたものです。
もちろん、中身は最初をチラチラと読んだだけ。
当時クラスメートに語った映画の蘊蓄は、ほとんど、月刊誌「スクリーン」や「ロードショー」のウケウリでした。
でも、映画は、中学生なりにも、たしかにその重厚感はヒシヒシと伝わってくる内容。
前評判通り、たしかに他のハリウッド映画とはどこかで一線を画していました。
この映画、さぞや、名のある監督が作った作品かと思いきや、監督のフランシス・フォード・コッポラは、新進気鋭。
それまで、映画的な成功は経験していない若手にもかかわらず、こういう大作を任せようと決めたハリウッドは、実に懐が深いと思ったものです。
しかし、その若手監督に撮らせる上で、ベテランの腕のあるスタッフをつけたのもまたハリウッド。
そのセンスの良さは、業界でもそこそこ認められていたコッポラは、その期待に応えて、単なるエンターテイメントに妥協しない「作家性のある」傑作を世に送り出しました。
同じマフィアものとして、アカデミー賞を獲得したのがウィリアム・フリードキン監督の「フレンチ・コネクション」。
あの手に汗握るカーアクションを劇場で見て、実は彼は落ち込んだそうです。
「やはり観客に支持されるのはアクションか。それに比べて、俺の映画は、男たちが暗い顔をして、話し合っているシーンばかり。こなんな映画がヒットするわけがない。」
コッポラ監督、当時はまだまだ謙虚でした。
しかし、ふたを開けてみれば、映画「ゴッドファーザー」は、それまでの映画興行を更新するほどの大当たり。
それは、1975年に、スピルバーグ監督の「ジョーズ」に破られるまで続きました。
それは、ある意味、コッポラ監督が、安易なエンターテイメントに妥協せず、自らの作家性を貫いた賜物といえます。
主演は、マーロン・ブランド。
この人は、折り紙付きのトラブル・メーカーで、この映画の製作が話に登ったころは、ハリウッドの中では、すでに過去の人となりつつあった時期。
復活の意味で、どうしてもこの映画のドン・ビトー・コルレオーネ役を獲得したかった彼は、製作陣に積極的に売り込んだそうです。
このとき彼は40代。
映画の中では、60代までを演じるため、あの独特のbulldog顔を演出するために、口に綿を含んで演じたというのは有名な話。
彼の老け顔の特殊メイクを担当した、ディック・スミスは、後にあの「エクソシスト」なども担当してハリウッドの売れっ子になりました。
その甲斐あって、彼はこの映画でアカデミー主演男優賞を獲得。(受賞は拒否)
大物性格俳優として、再びハリウッドに復活を果たしました。
もうひとつ、この映画の成功に欠かせなかったスタッフが、美術のディーン・タラボリス。
この映画のドラマチックなストーリーを、完璧な時代考証で彩り、かつ格調高い映像美をコッポラに提供したのが彼。
この映画をワンランクアップさせたのは、彼による美術の効果が大きいといえるでしょう。
とにかく、画面の隅から隅まで、どこを切り取っても安っぽくない。
完璧な美術でした。
映画の蘊蓄をもう一つ。
映画の中に登場してくる、落ち目の歌手のジョニー。
彼のモデルはあのフランク・シナトラ。
彼は、1940年代には隆盛を誇った人気歌手でしたが、1950年代当初は、次第に落ち目になっていました。
その彼が、復活をかけて狙っていたのが、映画「地上より永遠に」の酔いどれ兵士マジオの役。
監督のフレッド・ジンネマンに必死の売り込みをしたようです。
その際、裏社会のマフィアの親分に泣きついたかどうかは知りませんが、その甲斐があって、めでたくその役をゲット。
アカデミー賞の助演男優賞にも輝き、そこからふたたび歌手としても復活を果たしました。
このあたり、前述のマーロン・ブランドの一件も考えると非常に興味深いところ。
この映画で、コッポラ監督と同じように、一躍有名になったのはなんといってもアル・パシーノ。
この役は最初、ロバート・レッドフォードにオファーしようとしていたようですが、コッポラ監督の強いプッシュにより彼に決定。
ロバート・レッドフォードのマイケルも見てみたかった気はしますが、結果的にはそれが大正解。
以降の展開も考えると、彼なしでは、この映画の成功はなかったでしょう。
失礼。
おっと、気が付けばうんちくタラタラになりました。
あの頃、クラスの女の子にもてたい一心で拾い集めていた知識は、まだ頭の片隅に残っているようです。
この映画、今見てもやはり欠け値なしの傑作です。
コメント