公開は1974年。
「前作は、この映画の偉大なる予告編。」
そんな映画のキャッチコピーにワクワクしたものでした。
たいていの続編は、前作を超えることはない。
これが長年映画を見てきた僕の中の鉄板の法則ですが、その例外はいまでもたった二つ。
「エイリアン2」と、それからこの「ゴッドファザーPart2」です。
「エイリアン2」は、前作のリドリー・スコットから、ジェイムズ・キャメロンに変わっていましたから、同じ監督による続編としては、唯一この映画だけ。
コッポラ監督は、最初この映画を、2時間の尺に納めようとしていたそうですが、パラマウント映画から却下。
「前作同様、3時間にしろ。」といわれたそうです。
通常、長い映画を短くしろといわれる話はよく聞きますが、その反対というのはなかなかない話。
それだけ、前作「ゴッドファーザー」か、高い評価を受けていたということでしょう。
Part2の見どころは、なんといっても、ビトー・コルレオーネの青年時代を描いたところ。
当初コッポラ監督は、この若き日のビトーを、マーロン・ブランドに演じてもらおうと思ったようです。
メイクアップで、60代のコルレオーネをきっちり演じきったマーロン・ブランドーなら、役者として若き日のビトーも演じられるはず。
しかし、前作で屈辱的契約を飲んだブランドーは、今度は黙っていません。
パラマウントに、とんでもなく法外なギャラを要求したため会社はこれを断念。
白羽の矢が立ったのが、当時まだ無名のロバート・デ・ニーロでした。
彼は、アメリカ映画にもかかわらず、セリフのほとんどをイタリア語で完璧に演技。
おそらく、こんな芸当は、マーロン・ブランドには、出来なかったでしょうから、結果的にこれは大正解。
彼はこの演技で、アカデミー助演男優賞を受賞。
演技派として大ブレイクしました。
思えば、前作「ゴッドファーザー」では、ビトー・コルレオーネを演じたブランドが主演男優賞。
Part2 では、同じくビトー・コルレオーネを演じたデ・ニーロが助演男優賞。
同じ人物を演じた役者が、それぞれアカデミー賞を取ったというのも、アカデミー賞の歴史では唯一これだけ。
唯一これだけといえば、続編が再びアカデミー作品賞を受賞したというのも、この「ゴッドファザー」シリーズだけの快挙。
そして、コッポラ監督は、このPart2を製作した同年、ジーン・ハックマン主演の「カンバセーション・・盗聴」も撮っており、この作品もアカデミー賞作品賞にノミネート。
同じ監督の作品が2本、作品賞の候補になったというのもアカデミー賞始まって以来。
この「ゴッドファザー」の2本で、彼は名実ともにハリウッドの名監督の仲間入りを果たしたといえます。
映画「ゴッドファザーPart2」は、いろいろな意味で、エポックメイキングな作品となりました。
この映画で、助演男優賞の候補になった人がもう一人。
マイアミのユダヤ人のボス・、ハイマン・ロスを演じたリー・ストラスバーグ。
この人、実はタダモノではありません。
ハリウッドの俳優たちの間では、知る人ぞ知る「アクターズ・スタジオ」の創設者の一人であり、演技指導者という方。
アクターズ・スタジオのメソッドは、いまでもハリウッド俳優たちの指標になっています。
その特徴は、役作りの上で演技者の実生活での体験や、役の人物の内面心理を重視する点。
これを習得した役者たちは、映画界で、それぞれ確固たる地位を築いていきます。
とにかく、その卒業生たちの顔ぶれが凄いのなんの。
ざっと挙げます。
ジーン・ハックマン、ジェームズ・ディーン、ジェーン・フォンダ、ジャック・ニコルソン、スティーブ・マックイーン、ダスティン・ホフマン、デニス・ホッパー、ポール・ニューマン、マリリン・モンロー、
メリル・ストリープ・・・
そして忘れてならないのが、アル・パシーノ、ロバート・デ・ニーロ、マーロン・ブランド、そしてロバート・デュバルもこのスタジオの卒業生ということ。
いわば、この映画には、彼らの師匠が、同じ俳優として、映画に参加しているわけです。
とくに、アル・パシーノ。
ファミリーのドンになったマイケルと、ストラスバーグ演じるハイマン・ロスは、映画の中で何度か役者として絡んでいます。
これは、いわば演技の師匠と教え子の直接対決。
こういう展開、普通なら双方力が入って、力みがちになるもの。
しかし、二人とも、そこらあたりはさすが。
実に淡々と、アクターズ・スタジオの理念にのっとった演技を展開。
甲乙つけがたい貫禄の演技で、この映画の隠れた見どころの一つになっていました。
アル・パシーノは、演技派として映画界で確固たる地位を築き、今では「アクターズ・スタジオ」の学長になっています。
コッポラの演出は、さらに磨きがかかり、若くして成熟していきます。
公聴会のシーンなどは、ドキュメンタリーと見間違えるほどにリアルな演出。
徹底した時代考証は、本作でも引き継がれています。
なかでも、僕が好きなシーンは、ラスト近くの、マイケルが、裏切った実兄フレドを殺させるシーン。
マイケルの子供たちと一緒に湖に釣りを行こうとするフレド。
しかし、子供たちだけがマイケルに呼ばれて残ります。
舟の漕ぎ手と一緒に沖に出るフレド。
そのフレドの背後で、漕ぎ手が銃口を向けます。
そこで画面は変わって、湖に面したボートハウスの中で、一人佇むマイケル。
湖から聞こえる銃声。
ボートハウスの遠景のまま、中央でがっくり頷くマイケルがはっきりとわかるショット。
彼の孤独と苦悩が、しっかりとテクニカラーの画面に焼きついていました。
(ちなみに、この映画が、ハリウッドでは、最後のテクニカラー作品)
映画は、ラストで、時間をさかのぼって、マイケルの誕生日のシーンになります。
これから軍隊に入ろうというマイケル。
まだこの時には、コルレオーネファミリーは全員揃っています。
コッポラは、せめてこのシーンだけでも、マーロン・ブランドを特別出演させたかったようです。
しかし、彼は撮影をドタキャン。
止むなく、彼なしでそのシーンは撮影された模様ですが、確かに、そのシーンにマーロン・ブランドがいれば、ビジュアルとしてのインパクトはあったかと思います。
しかし、彼がいないことで、ドンへの郷愁を誘い、それを一人回想するマイケルの虚しさを強調させることになったのも事実。
これはこれで結果オーライでしょう。
絶好調だったコッポラ監督は、80年代に大コケ。
そんな中で、1990年に、映画のPart3 で復活しようと測りますが、そのはなしはまた別の機会に。
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