1965年といいますから、昭和40年公開の東映映画。
日本映画のトップ10をあげれば、必ずランクインしてくる不況の名作です。
内田吐夢監督の渾身の3時間。
これを始めてみたのは、確か池袋の名画座テアトル池袋。
まだ大学生でした。
今回は、Amazone プライムのラインナップからこの作品を見つけて久しぶりに鑑賞。
そして゜再見しながら、しみじみと思ったこと。
それは、この映画の、「貧困」という重いテーマは、はたして今の時代に通用するのかなということですね。
映画の背景にあるのは、終戦直後の混乱と、きれいごとでは済まされない当時の貧困という問題。
僕は、1959年生まれですから、昭和40年ではまだ6歳。
小学生です。
我が家は、もちろん裕福ではありませんでしたが、子供心にも、それほど貧乏という実感はありませんでした。
でも、両親も祖父も祖母もみんな終戦の時代の経験者。
彼らは、ことあるごとに口をそろえてこう言います。
「いいか、おまえたち。こうやって食べられるものがあるだけ幸せなんだぞ。」
「こら。そんなにものを粗末にすると罰が当たるぞ。」
まあ、彼らにしてみれば、それは身に染みていたことなのかもしれません。
しかし、実際当の僕らは、その悲惨な時代を経験していないので、彼らになにを言われても、お小言は馬耳東風。
叱られながら、ウンザリしていたものです。
「戦争を知らない子供たち」とはよくいったもの。
こちらとしては、戦争を経験していないのは、僕らのせいではないよという話です。
でも、今にして思えば、そうやって、繰り返し繰り返し、耳にタコができるくらい聞かされてきた、大変だった時代の経験談。
やはり、それはどこかで、僕らの潜在意識に刷り込まれていたかもしれません。
例えば、この映画を見ていても、なにかのエピソードが、頭のどこかで、おじいちゃんが話してくれた何かのエピソードとリンクする。
まだそんな風に見れるわけです。
でも今の子供たちは、もうすでに、両親も、下手をすれば祖父祖母の世代も戦争を経験していない世代です。
そんな世代には、この映画どう見えるのか。
ちょっとそれが心配になりました。
おそらく、彼らにとっては、この映画そのものが、歴史の教科書の1ページ。
なるほど、そういう時代もあったのねという、蘊蓄の資料にしかならないのではないか。
おそらく、そういうことになるのでしょうね。
昭和40年といえば、テレビの台頭は始まったとはいえ、まだ映画産業は元気でした。
この映画は大ヒットしましたが、この映画をお金を払って見に行った観客たちは、おそらくみんな同じ時代の経験者。
そんな彼らの熱烈なシンパシーが、この映画のエンターテイメントとしての大ヒットをさ支えたわけです。
日本映画のベストテンをあげれば、必ず上位にランクインしてきたこの「飢餓海峡」。
しかし、この映画が、時代を超えて、新しいファンを獲得するのはちょっと難しいのかなという気がしています。
例えば、黒澤明の「七人の侍」。
あの映画にあるエンタテイメントとしての不変のテーマ。
これは時代を超えて支持されます。
現に、デジタルリマスターで非常にクリアになってにリニューアルした「七人の侍」は、新しいファンを獲得しています。
でも、この映画は、残念ながら、時代を経るごとに、支持者が減っていくような気がします。
「貧困」という社会問題がなくなったというわけではありません。
ただ、貧困の質は明らかに違ってきています。
あの時代は、1億人すべてが貧しかった。
「貧困」という問題を、公平に誰もが共有できた。
でも、今の時代は違います。
今の貧困は、「格差社会」のなかにある貧困。
貧困にあえぐ層がいる一方で、天文学的裕福を彼らから、搾取している富裕層がいる。
嫌な言い方ですが、「勝ち組」と「負け組」が歴然といる社会です。
そういう中での「貧困」は、あの頃の貧困よりも、明らかに、歪にねじれ曲がります。
あの時代の貧困は、ある意味で純粋でした。
映画の中で、娼婦八重が、犬養の残していった爪を大事に保管し、それをお守り代わりにする。
時には、その爪で、頬を刺して、恍惚とする。
あのシーンがどう映るか。
「きもい」「アホか」「信じらんない」
そんな感じでしょうか。
僕でさえ、今見ると、ちょっ引いてしまう感じは否めません。
明らかに、今の時代の感覚と、なにかが決定的にずれてきている。
でもこれは、時代を切り取ることで名作の地位を確立してきた映画の、宿命かもしれません。
時代に埋没していくのも映画の宿命。
しかし反対に、時代の語り部となるのもまた映画でしょう。
映画「飢餓海峡」は、いろいろな意味で、日本人として、忘れてほしくない映画です。
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