2011年公開の松竹映画。
監督は、成島出。
不倫相手の妻が産んだ子供を誘拐して、逃避行を続ける女に永作博美。
その子供は3歳で保護され、やがて大学生になる。
その21歳になったヒロイン役が井上真央。
彼女は、自分を誘拐した犯人を、自分の実の母親と疑わずに育った。
女は、溢れるほどの愛情をその子に注いだのだ。
実の母親のもとに返されても、少女は両親になじめない。
そのことで、たびたびヒステリックになる母親にも、冷めている。
やがて、彼女もまた、不倫相手の子供を身ごもる。
いいシーンがあった。
とうとう警察に発見され、子供と引き離されるシーン。
すべてを察した母親は、大声でこう叫ぶ。
「その子はまだ、朝ご飯を食べていません。よろしくお願いします。」
僕は、誘拐されたことはないけれど、実の母親とは3歳で死別している。
弟はその時まだ1歳。
その後再婚した「育ての母」を、弟は大学生になるころまで、実の母親と疑っていなかったらしい。
でも、その時3歳だった僕には、かすかに実の母親の記憶が残っている。
いまでも、ときどきフラッシュバックする、実の母親の映像がひとつだけある。
僕は、夜中におしっこをしたくなって起きる。
でもなぜか家の中のトイレにはいかず、外に出ておしっこをする。
そして、振り返ると、母が起きて、縁側に立って僕を見ていた。
僕が外に出る物音を聞いて、母親も目を覚ましたのだろう。
覚えているのはそこまで。たったそれだけの記憶である。
そのあと、僕が怒られたのかどうかは覚えていない。
でも、その時母親が来ていた浴衣は、その柄までもはっきりと覚えている。
僕がリアルに記憶している実の母親の唯一のライブの記憶である。
母親は乳がんで亡くなった。
ガンが進行してからは、次第にやせ細り、やがて入院した。
周囲の大人たちの配慮で、僕と弟は、そんな母親の姿を見ることはなかった。
母親が死んだことも、母親の葬儀も、僕の記憶には一切ない。
後は遺影の記憶と、父親から後で聞いた話しかない。
その後、二人の子供を残された父親は、再婚する。
僕は、僕と弟に優しくしてくれたその人を、最初「おばさん」と呼んでいたのを覚えている。
そして、ある日、まだ存命だった祖母に、こういわれた。
「いいかい。これからは、あの人をオバサンじゃなくて、ママと呼ぶんだよ。」
そして、言われたとおりに、その人を始めて「ママ」と呼んだ時に、彼女はうれしそうに笑った。
実は、彼女もまた再婚だった。
前夫との間に子供はいなかったらしい。
彼女にしてみれば、父と再婚したおかげで、いきなり二児の母になってしまったわけだ。
だいぶ後になってから、その辺の事情も理解したうえで、母親に聞いたことがある。
「大変だったでしょう?」
しかし、母親は目を細めてこういった。
「あんたたちは、可愛かったからね。」
そういうわけで、僕の場合は映画とは逆。
3歳の時に、実の母親と死別して、新しい母親に育てられたわけである。
しかし、母親が変わることに、とくにストレスやわだかまりを感じた記憶はない。
ただ、死んだ母親のことは、両親にも周囲にも、何も聞かないようにした。
どうやらその方が、よさそうだということは、子供心に察していたようだ。
これは、後で父親に言われたこと。
「3歳という年齢が良かったんだな。あれでお前がもう少し大きかったら、難しかったかも。」
確かに、3歳の僕には、大人の事情はまるで分からなかった。
そして、まだその年では、こちらの事情もへったくれもない。
自分の置かれた状況に、ひたすら順応するのみ。
そこにあるのは、子供としての、本能のみ。
ある意味でそれは、子供としての自己防衛本能かもしれない。
少子高齢化時代、我が子を溺愛する母親は多い。
子供を愛する母親としての母性は、永遠にゆるぎない。
しかし、そんな、母親の母性から、一歩引いたところで、子供の方は案外冷静に状況に対応しているのかもしれない。
親にとっては、「自分の子供」であることは、母性のスイッチが入るかどうかに大きな影響を与える。
しかし、子供は案外したたかかもしれない。
そこに「愛情」さえあれば、子供は誰でも「親」としてその相手を認知できる。
考えてみれば、それくらいの芸当が出来ないと、いまどきの子供たちは、やっていけないかもしれない。
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