Amazone プライムに、007シリーズのラインナップがズラリと揃っていますので、これを順番に見ていくことにします。
まず、007の呼び方。
今は、「ダブルオーセブン」という呼び方が一般的になっていますが、映画公開当時は、「ゼロゼロセブン」が一般的でしたね。
ドチラが正解ということもないのでしょうが、僕としては、「ゼロゼロセブン」がやはりしっくりくる感じ。
どうしてか考えたら、ひとつ思い当たりました。
石ノ森章太郎のアニメ「サイボーグ009」が、「ゼロゼロナイン」だったからです。
この漫画が、連載開始されたのは1964年。
ですから、007の方が少し早い。
当時は、まだ007はゼロゼロセブンといっていましたから、この漫画も、それを受けてゼロゼロナイン。
「ダブルオーセブン」という呼び方は、映画の公開当時はまだマイナーだったと思いますね。
さて、その記念すべき「ゼロゼロセブン」第一作目が、「007 ドクター・ノオ」
日本公開は1963年。
この年はケネディ大統領の暗殺された年。そして、東京オリンピックの1年前です。
僕は、1959年生まれですから、この映画の公開時はまだ4歳。
当然リアルタイムでは見ていません。
僕がこの映画を見たのは、そのずっと後。中学生の頃です。
僕が、初めて自分の小遣いで見に行った洋画は、007シリーズ第7作目の「ダイヤモンドは永遠に」でした。
これですっかり007ファンになってしまった僕は、それから、他の作品見たさに、名画座をチェック。
当時は「007は殺しの番号」と「007危機一発」の二本立て。
もしくは、「007ゴールド・フィンガー」と「007 サンダーボール作戦」の二本立てがまだ、大宮あたりの二番館でやっておりました。
「007 は殺しの番号」は、リバイバル公開時に原題の「ドクター・ノオ」に改題されましたが、僕が見た頃はまだ公開当時の邦題だったと思います。
ちなみに、「007危機一発」もリハイバル公開の際に「ロシアより愛をこめて」に改題しています。
007シリーズのポスターには、いつでも、あられもない姿のボンドガールが煽情的なポーズ。
もうそれを見ただけで、僕はひたすら興奮。
とにかく、007シリーズは、極上の大人のためのエンターテイメント映画。
中学生の僕にとっては、なにからなにまで刺激的な映画でした。
瞬く間に夢中になりましたね。
007という文字を見るだけでワクワクしていたような記憶です。
その第一作目は、「007ドクター・ノオ」
イアン・フレミングの原作では、「ドクター・ノオ」は、シリーズ6作目。
前作の5作目が、「ロシアより愛をこめて」ですから、映画のシリーズとは順番は逆です。
イアン・フレミングは、実際に諜報活動をしていた経験がある人で、もちろんその時の経験が、007シリーズの下敷きになっています。
彼の小説の特徴は、非常にカタログ的要素が強いこと。
とにかく、スパイの必需品である銃や武器、車などのほかにも、高級酒や嗜好品やファッションがどんどん実名で登場します。
映画の中でも、スーツのことを問われたボンドが、「サヴィル・ロウ」と答えるシーンがあります。
「サヴィル・ロウ」は、ロンドンの中心街に実際にあるオーダーメイドの紳士服店がずらりと並ぶショッピング・ストリート。
シャンパンを飲むシーンでも、「53年物のドンペリが最高。」なんていってますね。
車なら1931年製のベントレー・ブロワー。
これらを実名で出すことで、007製作の独立プロである「イオン・プロ」は、そのメーカーやお店とタイアップして、製作費を調達するという手法を確立。
映画会社の資金力がものをいうハリウッド方式の映画製作に対抗しました。
プロデュースは、アルバート・R・ブロッコリーとハリー・ザルツマンの共同製作。
ザルツマンは、10作目の「私を愛したスパイ」で、007のプロデュースから離れましたが、ブロッコリーは、16作目の「消されたライセンス」までをプロデュース。
それ以降のプロデュースは、娘夫婦に譲っています。
ちなみに、ブロッコリーの叔父にあたる人が、シチリアからブロッコリを輸入して、アメリカに広めた人だそうです。
さて、初代ジェームズ・ボンドを演じたのは、それまで無名だった新人ショーン・コネリー。
当初は、ケイリー・グランドなども候補に挙がっていたそうです。
ショーン・コネリーは、スコットランドの労働階級の出身。
ボディビルなどで筋骨隆々なマッチョマンではありましたが、英国紳士にはほど遠いキャラクターでした。
それを、一挙手一投足がイギリス紳士に見えるように徹底的に訓練し、実践させたのが監督のテレンス・ヤング。
彼は、ショーン・コネリーを実際に、「サヴィル・ロウ」に連れていき、紳士服を作らせたりしてもいます。
こうして、この映画で、ショーン・コネリーの初代ジェームズ・ボンドが誕生。
あの、モンティ・ノーマンの「デンデケデンデン」というお馴染みのテーマ曲に乗って、彼がスクリーンに初登場したのがカジノのシーン。
相手に名前を問われて答えます。
「ボンド・ジェームズ・ボンド。」
この一言で、ション・コネリーのジェームズ・ボンドは、一夜にして世界中の映画ファンに認知されたわけです。
ちなみに、この時のカジノでのお相手シルビア・トレンチが、これもまたスクリーンに初登場したボンドガール第一号ということになります。
演じているのは、ユーニス・ゲイソンというイギリスの女優。
スクリーンに登場した彼女は深紅のドレス。右眉を上げる蠱惑的な表情と厚い唇がなんともセクシーでした。
実はこの当時は、まだ無名だったショーン・コネリーよりも、彼女の方がネームバリューは上。
そのジェームズ・ボンドとしてのファーストシーンに、コネリーはガチガチに緊張していたそうです。
「ボンド、ジェームズ・ボンド」というべき台詞を「ショーン・ボンド、ジェームズ・コネリー…」などと言い間違えるほど、彼の緊張はマックス状態。
これは、まずいと判断したテレンス・ヤング監督は、陰でそっとユニスに「ショーンを飲みに連れて行って、緊張をほぐしてやってくれ」と頼み込んだのだそうです。
彼女はコネリーを連れ出し、一緒に酒を飲み、彼の緊張をときほぐしてから、現場に戻りました。
そして、彼女と一杯ひっかけたコネリーは、あの緊張感から解放され、「ボンド、ジェームズ・ボンド」というハード・ボイルドなセリフも見事に決めました。
これが、ジェームズ・ボンドがまさに誕生した瞬間。
ボンド・ガール第一号のユーニス・ゲイソンは、007シリーズに大きく貢献したというわけです。
その彼女は、ホテルのボンドの部屋で、男物のシャツ(?)一枚でパターゴルフをしながらボンドを待ち伏せ。
ジャマイカに飛ぼうとするボンドを引き止めて誘惑するというシーンもあり。なかなか煽情的でしたね。
なるほど、007シリーズには、こんなイロっぽいオネエさんが、これからドンドン出てくるんだと期待に胸は膨らんだものです。
さて、ジェームズ・ボンドが所属するのは英国秘密情報部MI6。
彼の上司はM。
演じているのは、バーナード・リー。
彼は、シリーズ第11作目の「ムーンレイカー」まで、あしかけ17年間もの長きにわたって、Mを演じることになります。
そして、その秘書の、ミス・マネーペニーを演じたのが、ロイス・マックスウェル。
この人は、バーナード・リーのMよりもさらに長く、シリーズ第14作目の「美しき獲物たち」までミス・マネーペニーを演じました。
なんとあしかけ23年。
最後の出演の時には、彼女は58歳。頑張りましたね。
ミス・マネーペニーは、ジェームズ・ボンドの心の妻。
恋愛対象ではないけれど、世界中を回って女を口説きまくるボンドの帰る場所が彼女のもと。
原作では、もっと淡白に描かれているミス・マネーペニーですが、映画ではそんなふうに描かれます。
つまり彼女は英国淑女の代表なんですね。
ですからボンドが世界中を股にかけて、肉体関係を持つ肉食系ボンドガールとは一線を画す。
従って、彼女は通常、ボンドガールとしてはカウントされません。
彼女とのシークエンスで、必ず出てくるシーンがあります。
それは、MI6の事務所を訪れたジェームズ・ボンドが、かぶっていた帽子を帽子かけに投げるシーン。
成功するまで何カット撮影したかは定かではありませんが、基本はカット割りなしのワンカットで撮影。
第一作のこの作品で、そのシーンは、早速登場します。
以降、シリーズでは、このシーンは手を変え品を変え毎回登場するのがお約束。
ファンの隠れた楽しみになっています。
登場するボンドガールの二人目は、敵側に通じる中国系の女ミス・タロウ。
演じているのは、ゼナ・マーシャル
なんだか、変な名前ですが、基本的に007シリーズに登場するボンドガールの名前はかなりおふざけが入っているのが恒例。
彼女は、その最初ということになります
彼女はボンドを自宅に誘い、誘惑して足止めさせ、刺客に命を狙わせるという役どころ。
察知したボンドは、お楽しみはしっかりとした上で、彼女の身柄をなんなく確保。
味方に引き渡します。
お色気たっぷりのボンドガールは敵方にあり。ジェームズ・ボンドを色仕掛けで誘惑するが返り討ち。
これは、シリーズでは以降繰り返し出てくる黄金パターン。
映画評論家の町山智浩が言っておりました。
このシリーズが全世界でウケた理由は4つ。
一つは前述した映画のカタログ化。
ボンドガールによるお色気。
残酷性とユーモア。
観光ガイドとしての側面。
つまり、手に汗握るアクションよりも、世界中を股にかけ、世界中の美女たちと浮名を流し、世界中の高級品を嗜好するジェームズ・ボンドのライフスタイルそのものが、このシリーズの人気の鍵だということですね。
確かにそれはその通り。
007は、アクション映画としても、もちろん優れていますが、案外見終わってから思い出すシーンというのは、アクションシーンではなく、ジェームズ・ボンドの日常のさりげないシーンだったりします。
当時はまだ、ドルが360円だった時代。日本も高度成長期の真っただ中で、まだまだみんな貧しく、映画が最大の娯楽でした。
海外旅行も、高級品をたしなむことも、ましてや、世界中の美女とロマンスすることも、当時の男たちには夢のまた夢だった時代。
それを映画の中でたっぷりと登場させることで、007シリーズの人気は盛り上がっていった。
少なくとも、60年代のショーン・コネリーの時代はそうであったかもしれません。
その町山氏が、面白いことを言っていました。
日本で、ジェームズ・ボンドの代わりに、当時の大人の男性諸氏に、夢のライフスタイルを売っていたのは、石原裕次郎でもなく、加山雄三でもなく、実は大橋巨泉だったというんですね。
つまり、深夜バラエティ番組「11PM」が、その役割を果たしていたというわけです。
そのホストであった大橋巨泉は、番組の中でジェームズ・ボンドばりに、次から次へと大人の娯楽で派手に遊びまわっていました。
確かに、大橋巨泉は、当時の「遊びたくても遊ぶ金がない」まだまだ貧乏だった大人たちの垂涎の的であったかもしれません。
姿形は偉く違いますが、彼が日本におけるジェームズ・ボンドの役割を果たしていたというのは頷けます。
まあ、僕は、「11PM」といえば、お色気情報しか見ていなかったので、その記憶しかありませんが。
さて、この映画が、公開当時に観客をビックリさせたのは、意外かもしれませんが残酷性。
残酷性といっても、いまどきのホラー映画のような、血が噴き出るようなスプラッターな演出ではありません。
ご存知の通り、007の「00」は、殺人許可を持ったエージェントのコード番号。
ですから、この映画の中でもジェームズ・ボンドは、たくさんの敵を殺していくのですが、問題はその数ではなくて殺し方。
例えばこのシーン。
イギリス諜報部でありながら、敵側に寝返っているのが、アンソニー・ドーソン扮するデント教授。
ドクター・ノオの指示で、ボンドの命を狙いにくるが、反対にボンドに射殺されてしまうシーン。
そのことを事前に察知していたボンドは、逆にデント教授を待ち受け、サイレンサーのワルサーで射殺。
この時、ボンドは、顔色一つ変えません。
これが、実は当時の描写としてはかなりショッキングだったようです。
ハリウッドなら、完全にヘイズコードで自主規制するべきシーン。
ボンドが悪役なら問題はありません。
しかし、ボンドはこの映画では主人公で、ヒーロー。
そのヒーローが、涼しい顔をして人を殺す。
それがこの映画での「残虐性」です。
こんなヒーローは、それまでの映画の中にはいませんでした。
そして、人を殺した後で、ジョーク交じりの軽口をたたく。
これが、このシリーズで、延々と繰り返されるお馴染みのパターンになっていきます。
殺人のシーンだけでは、映画が重苦しくなるので、ユーモアを挟んでいく。
これは、監督であるテレンス・ヤングのアイデア。
追跡してきた敵の車を崖下に転落させてから、ボンドがいうセリフ。
「葬式に急ぎすぎたようだな。」
こうして、007シリーズのサディズムとユーモアが混合した独特のテイストが作られていったわけです。
こういうシーンで彼がつぶやくセリフは、基本的にきわどいユーモア。
しかし、殺すか殺されるかのスパイ映画の主人公が、品行方正であっては映画にならないというのもまた事実。
そんな不謹慎なジェームズ・ボンドは、実際には、映画の中では、クールで、かっこよく見えたのだから仕方がない。
「大人のエンターテイメント」とはそういうものだと、ちょうど大人の入口にいた当時の僕は、勝手に思っていましたね。
さて、この映画の敵役ドクター・ノオを演じたのは、ジョセフ・ワイズマンという俳優。
登場は最初は声だけでした。
映画のラスト近くになって、やっと登場しましたが、短い出演シーンでもその印象は強烈でした。
カナダの俳優ですが、これでもかというくらいに東洋風の厚化粧で登場。
今なら、問題視されるくらい、差別的なメイクでしたが、当時はまだそれほど問題にはならなかったようです。
手は義手。
これは、後のブルース・リー主演のカンフー映画「燃えよドラゴン」の敵側のボスのキャラクター造形に拝借されていましたね。
ジョセフ・ワイズマンは、この一作で伝説の悪役として記憶されることになります。
ところで、ジェームズ・ボンドが立ち向かう悪の組織といえばスペクター。
しかし、この第一作では、まだドクター・ノオが「私はスペクターの一員だ。」というセリフでしか登場しません。
さて、いよいよ初代ボンドガールの登場。
映画の中では、三人目に登場するボンドガールでしたが、彼女が初代ボンドガールであるというのが一般的認識。
役名は、ハニー・ライダー。演じたのは、スイス出身の女優ウルスラ・アンドレス。
僕がこの映画を見た当時は、英語式に「アーシュラ」と表記してありましたが、現在はドイツ式の「ウルスラ」で統一されています。
彼女が、クラブ・キーの海岸で、「アンダー・イン・ザ・マンゴー・トゥリー」の曲を口ずさみながら、収穫してきた貝を持って浜辺から上がってくるシーン。
「おお、来たぞ」と映画館のシートで身を乗り出したものです。
日本の女優では逆立ちしても無理な、その圧倒的な筋肉質のボディからムンムンと醸し出される色気。
その煽情的なビキニの水着は、彼女のチョイスだそうです。
お目当ての女性がもし歌い出したら、それにハミングをするという口説きのテクニックは、このシーンから学習しましたね。
彼女は、ドイツ語、フランス語、イタリア語は堪能ですが、英語だけはしゃべれなかったので、この映画での彼女のセリフは実は吹き替え。
以降、ボンドガールは、イギリス以外の国の女優が扮するのが通例となり、シリーズでは、吹き替えがパターンとなっていきました。
彼女は、「アンドレス」という名前の通り、その後の映画で脱ぎまくり、1964年のプレイボーイ誌ではヌードを発表。
僕のようなスケベな映画ファンには、ちょっと目が離せない女優でした。
007シリーズの番外編でもある、1967年の「カジノ・ロワイヤル」(2006年のダニエル・クレイグ主演のものとは別作品)でも、役名ジェームズ・ボンドとして出演。
007シリーズ初期の、ボンドガールのパイオニアとして活躍しました。
さて、今回再見して、こんなシーンをチェック。
僕のようなスケベ映画ファンなら絶対見逃さないシーンです。
クラブキーに潜入して捕らえられた、ボンドとハニーが、放射能を洗浄するシャワーのベルトコンベアに乗せられるシーン。
その出口近くで、チラリと、ウルスラ・アンドレスの裸の全身が映るシーン。
それが、ヌードであるかないか。
これです。
やはり何かつけていますね。当然といえば当然。
残念でした。
今回、iPadで再見して、はっきりと思いだしました。
当時の僕は、これを確かめるためだけに、もう一度この映画を映画館で、見直しています。
さて、死闘の末、ボンドは、宿敵ドクター・ノオを放射能プールに沈め、妨害電波発射装置を爆破し、危機一髪のところで、ハニー・ライダーを救出して、クラブ・キーを脱出します。
これも、このシリーズのクライマックスでは、黄金のパターンとなりました。
しかし、このクライマックスシーン。
これは、シリーズの中の最低予算で作られた第一作では、残念ながら、苦戦しました。
クラブキーの基地内のセットは、いかにもB級プログラムピクチャのテイスト。
当時の中学生の目から見ても、やはり第一作のセットは、後のシリーズの豪華セットと比べて、明らかに見劣りしていました。
しかし、この007シリーズの第一作目は、100万ドルという当時の映画製作費としては低予算ながらも、全世界で600万ドルの収益を上げます。
およそ6倍の収益率。
これで、007シリーズは第一作を成功させたザルツマンとブロッコリーのプロデュースコンビは、2作目では、さらに倍の予算をかけて製作。
007シリーズは、ドル箱のシリーズとなっていきます。
映画のラストは、ボンドと、ボンドガールの熱いラブシーンというのも、この第一作から変わらないパターン。
ショーン・コネリーは、この第一作目のヒットで、押しも押されぬスター俳優の仲間入りをすることになります。
さて、007シリーズといえば、忘れてならないのが音楽。
お馴染みの主題歌を作ったのはモンティ・ノーマンでしたが、それ以外の、この映画の実質上の音楽を保担当したのはジョン・バリー。
しかし、彼がクレジットされているのは。第二作目以降で、この映画ではクレジットされていません。
僕が彼の仕事で覚えているのが、ボンドが寝ている最中に、毒グモに襲われるシーン。
毒グモが、ボンドの体を這っている間に流れる緊迫の音楽。
そして、毒グモが体から離れるや否や、ボンドは枕をつかみ、毒クモを二発三発とヒット。
これに、合わせてオーケストラも大音響で、バンバンバンとシンクロヒット。
これが見事に編集されていて、映画館の中でニヤリとしていました。
ジョン・バリー恐るべし。
というわけで、次回は、第2作「007 ロシアより愛をこめて」でお会いしましょう。
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