2012年製作のWOWOWドラマ。
わお、さすが三谷幸喜。これをやってくれていましたか。ニンマリです。
なにがニンマリか。
なんといっても、このドラマの特筆するべきことは、完全ワンシーン・ワンカットで撮られているということ。
これに尽きます。
三谷幸喜は、やはりこの「完全」というところに、こだわったんでしょうね。
ワンシーン・ワンカットで思い出されるのが、あのヒッチコック監督の名作「ロープ」。
1948年の作品です。
ヒッチコックという監督も、こういう挑戦は嫌いではないタイプの監督です。
「ダイヤルMを廻せ」では、3D映画などにもいち早く挑戦しています。
この「ロープ」は、あの当時で、映画丸々一本ワンシーン・ワンカットに挑戦した意欲的作品。
やるならこの人でしょう。さすがヒッチクック。
しかし、これ厳密に言うと「完全」ではありませんでした。
映画の冒頭。タイトルバックの流れるシーンは、部屋から通りを見下ろすショット。
タイトルロールが終わると、そのカメラは、殺人の起こる部屋の窓へパン。
悲鳴が聞こえるところでカットが部屋の中へ変わります。
ですから、ヒッチコックの「ロープ」は、正確に言えば、「ワンシーン・ツーカット」で撮られていました。
さらに、もっともっと、厳密に言ってしまいますと、当時の映画用のカメラは、フィルムが15分程度分しかはいりません。
なので、技術問題として、この映画の尺73分のワンカットというのは当時の映画撮影方法ではまだ無理でした。
そこでヒッチコックは、出演者の背中とか蓋の大写しで、画面が一瞬真っ黒になるカットを意図的に入れて、そこでカメラのフィルムを入れ替え、観客には、ワンシーン・ワンカットに見えるように工夫していた訳です。
もちろん、ヒッチコックファンなら、これは常識。三
もちろんそれを三谷監督が知らない訳がない。
なので、彼は「ワンシーン・ワンカット」の「完全」にこだわったのでしょう。
ヒッチコックの頃には無理だったことが、カメラの進歩で今では可能になった。
ならば、それをやるなら僕しかいないだろう。
三谷監督がそう思ったかどうかは、定かでありませんが、そんな気概がこの作品の全編ににあふれていました。
得てして、自由に撮れる映画よりも、いろいろと制約のある映画の方が、作り手は知恵をしぼるもの。
結果、いい映画ができるという例はたくさんあります。
主演二人の実力が、またそれを可能にしたとも言えましょう。
三谷監督の脚本も秀逸ですが、見ている方は、物語進行そのものよりも、映画をワンカットで撮る様々な工夫にいちいちニヤリ。
「反則」があったら突っ込んでやろうというような気持ちで見ていましたが、映画は見事にラストシーンまで完全ワンカット。
見事でした。
なにか、ギネスの審査員になったような気分で楽しんでいましたね。
コメディ映画でありながら、ワンカットを気にして見ていると、なにやらドキュメントを見ているような気分にもさせられました。
さて、そこで次に気になること。
では、はたして、このドラマの中で、どこまでが脚本で、どこまでがアドリブなのか。
今度はそれがやたら気になりだしました
入念なリハーサルは繰り返したと思われますが、はたして撮影がそのとおりにいったのかどうか。
しょうがない。もう一度みるとしますか。
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