養老翁も、今年で83歳とか。
かくゆう僕自身も、来月になれば満60歳。還暦である。
この方の著書は好きで、もう何冊も読ませてもらっているが、こちらの年齢を重ねるにつれ、おっしゃっていることが腑に落ちてくるようになった。
この本は、月刊誌「Voice」に連載されていた時事エッセイを一冊にしたものなので、論点は多岐に及ぶ。
養老氏の文章は、いつもそうだが、簡潔明瞭で、センテンスがとにかく短い。
なにせ学者さんですから、書こうと思えば、論文調の文章もかけるはず。
それを「わかりやすく」翻訳して短い文章にしてくれている。ありがたい。
これで、僕のような頭の血の巡りの悪いものにでも、養老氏の膨大な科学の知見が、スイスイと頭に入ってくる。
いやいや、そうではないな。入っているような気になれるというのが正解かもしれない。
それが証拠に、いざその感想を書こうかという段になると、はて? 何が書いてあったんだっけと、筆が止まることが(もちろん、実際には筆ではないが)いうことがしばしば。
こちらのような凡人には、やはりこの天才老人は、いつまでたっても雲上の仙人なのである。
理解してもいないのに、理解したふりをするから、どうしても受売りになる。
そんなわけで、読んでいて、思わず膝を叩くようなセンテンスに遭遇すると、著作権もへったくれもなく、備忘録のつもりで、僕はツイッターにアップしている。
今回はこれを持って、読書感想といたします。
***********************************************
自然を感性で捉えれば風流になり、理性で捉えれば学問になる。
環境問題がおかしくなるのは、「環境」と「自分は別」という文化を、「環境」なんてそもそもなかった社会に持ち込んだのが根本 。
楽をすると、どこかで元を取られる。しっぺ返しが来ることになる。でも、世の中の仕組みでは、そ れは、いわないことになっている。そうすると、みんなが楽ができなくなるからである。
人口が減るということは、大人が子供達ら向かって、「おまえなんか要らない」と言っているのと同じこと。
世界を数字で測れば、確かにわかりやすい。けれど、だからといって、世界自体がわかりやすくなったわけではない。
口だけで大臣を やっているから、口だけで首になる。
不快な真実より、心地よい嘘がいい。それが聞き手の本音。
法律はつまるところ言葉でしかない。言葉を決めれば、世界が決まる。誰もがそう思っている。人間はいつのまにか、そういう社会を作ってしまったのである。
社会システム自体が、時と場合によっては、ウソを強要していることは事実。それに個人で反抗すれば、残念ながら損をする。
あらゆる技術は、本来は体を使ってやるのが正しい。
意味のないものに、現代人はあこがれる。なぜかといえば、身の回りに意味のあるものしか置かないからである。
嫌いなのは、実は好 きと同じ。向きは違うが関心は強い。
現在の日本人が、常識を変えず、生き方を変えないで、そのまま経過すると、日本社 会は消える。
コメント