小学校、中学校を通じての友人だから、幼馴染といっていいでしょう。
その彼らと、現在ほぼ3ヶ月に一回の割合で、食事をしています。
メンバーは四人。
みんな還暦を迎えました。
僕の出身校は、小学校は、当時の浦和市上木崎小学校。
中学校は、浦和市立大原中学校。
ですから、現在のさいたま市。
我が家は、京浜東北線の与野西口から徒歩58歩にある本屋。
幼馴染たちも、みんな当時はこの与野界隈に住んでいました。
高校ぐらいになると、彼らとはほぼ遊ばなくなるのですが、それ以来、彼らの状況は、風の噂に聞く程度。
それが、2017年の暮れに、そのうちの一人から連絡が来ます。
この経緯がちょっと面白い。
僕は、現在川越市在住なのですが、残りの三人がみんな上尾周辺に住んでいたというんです。
しかも、そのうちの二人は、なんと家も200mと離れていなかったというからビックリ。
もう一人は大宮です。
この大宮の彼は、何を隠そう僕のパソコンの師匠。
今までも、ちょくちょくお世話にはなっていました。
四人は、一番最初は、東大宮駅前の居酒屋で再会したのですが、2回目以降は、約3ヶ月に一度、その上尾の友人宅で定期的に同窓会です。
もちろん話題といえば、一緒に遊んでいた頃の思い出。
これがなかなか楽しくて、毎回電話がかかってくると出かけています。
担任の先生の話。
好きだった女子の話。
実は誰と誰が付き合っていたのなんの。
もう半世紀も前のことを、四人が四人とも、まるで昨日のことのように思い出せるから不思議です。
あの頃の悪ガキも、今はもうみんな還暦を迎えたじい様たち。
白髪と黒髪のハイブリットヘアーオヤジ。
老眼メタボオヤジ。
バツニの独居老人。
そして、かくいう僕は、歯っ欠けのつむじ禿げ。
しかし、それでも、四人で思い出話に花を咲かせていると、意識は、みんなあの頃の血気盛んなチューボーになってしまいます。
しかし、驚くべきはその記憶力。
体育会系のマドンナだった、ブルマー姿が凛々しかったMは、確か左の腿の横に、大きなホクロがあったよね。
転校生だった2年5組のKには、隠れファンが多かった。
ピアノが上手だったNの、背中から透けて見えたブラジャーはセンスが良かった。
あの頃には、間違っても口にできなかった気になる女子の情報を、四人が四人ともはっきりと覚えていたこと。
修学旅行で、隣の中学校と喧嘩になったすったもんだの経緯。
みんなで鎌北湖までサイクリングした湖畔で、初めて食べたカップヌードル。
不純異性交遊の噂あれこれ。
まあまあ、どれもこれも、まるで昨日のことのように語れる訳です。
しかし、待て待て。
そんな昔のことが、スラスラと思い出せるのに、一昨日に会った、得意先の係長の名前が思い出せるか?
土曜日の二次会でいったスナックの名前が思い出せるか?
今日のランチのメニューが思い出せるか?
そうなんです。
実はこれがかなり怪しい。
昔のことは、鮮烈に思い出せるのに、最近のイベントについては、なかなか思い出せない。
どうやら、これが老人性の脳の記憶力の傾向のようです。
まあいいでしょう。
60代になった訳ですから、脳みそも含めた、身体の経年劣化は認めざるを得ない。
それが、僕だけのことなら心配にもなりますが、聞いてみれば、四人が四人とも症状は同じ。
これを聞けば、少々安心です。
この幼馴染たちとの交流は、これから老境に向かう自分の人生において、いいモノサシになりそう。
利害関係のまるでない人間関係というのは格別です。
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