満60歳になりました。
還暦です。
人生90年だの、100年だのと政治家の皆さんはおっしゃいます。
それで、年金だけでは、2000万円だの、3000万円だの足りないともおっしゃる。
自分の寿命は、自分では決められませんが、仮に90年生きさせてもらうとして、3分の2は生きてきたということになります。
江戸や明治の頃の男子の寿命は55年と言いますから、とうに寿命は全うしています。
60歳ならすでに余生。
上等。
とは言っても、嫁も持たない、家族も持たないという選択をしてきてしまった身です。
このツケは、残りの人生でしっかりと払わなければいけない。
出来る限り長く、現役で働く。
もちろんすでにその覚悟はあります。
70歳、80歳を超えても続けられる仕事。
自分一人分の暮らしを守れる仕事。
そして、なによりも自分自身が楽しみながらやっていける仕事。
お金がなくても、そこそこ幸せを感じられる暮らし。
諸々考えながら、最終的に、第二の人生は、「農業をベースにした田舎暮らし」という答えにたどり着きました。
これなら定年はありません。
しかし、自分のこれまでの人生には、農業とは一切関わりがなかった。
さてどうしたものか。
ネットで調べればいろいろと出てくる様々な「体験農業」プロジェクト。
案の定、地方の第一次産業も深刻な人手不足。
どうやら、還暦過ぎてからの就農の道もありそうです。
ところが、それに参加したくても、仕事を抱えながらではなかなか難しい。
休みの日に田舎の農家に話を聞きにいったり、メールでやりとりなどもしていましたが、なかなかその先の先方の予定に合わせられません。
時間ばかりが過ぎて、イライラしていると、そこに朗報があったのが5年前。
なんと、会社所有の土地で、野菜作りができるというお話でした。
何事だと思って聞いてみると、これがなかなか面白い展開。
会社はその土地に、太陽光発電のソーラーパネルを建てたかったのですが、その土地の行政区分が生産緑地。
つまり、農業をしなければいけない土地だったんですね。
しかしです。
条件付きで許可がおりたようです。
そのソーラーパネルの下の土地で、きちんと農業が行われていれば、その限りではない。
そこで、会社は有志を募り、社員による素人野菜づくりが始まったのが5年前というわけです。
もちろん、千載一遇の機会とばかり、手を挙げたのはいうまでもありません。
会社の先輩に、野菜づくりに精通した人がいらっしゃって、早速弟子入り。
なんと、会社で仕事をしながら、農業の勉強が出来る。
これはラッキーでした。
メインは野菜です。
とはいえ、なんといってもアマチュア集団。
会社もビジネスにしろとまでは言いません。
要は、行政報告のために、きちんと計画を立て、その通りに収穫されているかどうか記録を残す。
与えられたミッションはそれだけ。
つまり、あとは畑を好きに使っていいよというお話です。
通常農業で飯を食うには、やはりなにか一品種に特化した、ある程度スケールの取れる農業をしないと難しい。
地元のJAに加入して、同じ肥料、同じ農薬、同じ品種を使って、出来上がる野菜の大きさや品質をある程度揃え、均一に同じ数だけの野菜を詰めて、同じデザインの段ボール箱でロット出荷する。
一般農業のほとんどがこれです。
でも、野菜づくりを楽しもうと思うなら、それではいかにもつまらない。
そこで、会社の畑では、多品種の野菜を、無農薬の自然農法に近い形でやろうということになりました。
これは、農業素人の僕にはもってこいの展開。
キュウリ、かぼちゃ、ナス、トマト、さつまいも、スイカなどの定番野菜は、師匠の仕事を手伝いながら、そして、僕の実験エリアも作ってもらって、そこでは、みたことも聞いたこともないような野菜や、ハーブなどを、実験的に栽培。
もちろん、失敗も成功もありの悲喜交々。
そのトライの模様は、このブログでも逐一報告してまいりました。
素人百姓ではありましたが、いろいろな野菜と付き合っていくうちに、これは定年退職後の人生の柱になると、確信していくようになりました。
なんといっても楽しいわけです。
実は、我が社の定年は、世の中の流れで、つい3年ほど前に、60歳から65歳に引き上げられました。
我が社は、運送会社。
ご存知のように、人手不足には頭を抱えている業界です。
運転手の平均年齢も、ここ10年でグッと上がってきています。
定年は65歳になりましたが、もし、本人が希望するなら、65歳を過ぎても運転手として会社に残る道も開かれています。
70歳に手が届こうかという運転手もちらほら。
しかし、僕の場合は、農業をしたいという希望がすでにあり、会社にもその旨伝えてありましたので、60歳での早期定年退職を許可してもらいました。
なんといっても、農業は体こそ資本。
体が動くうちに、農業のスキルを体に覚えこませたいという事情です。
その計画をたててから、会社にはわがままを聞いてもらい、事務仕事から現場に復帰。
会社の最後の10年は、毎日体を動かして仕事をしていました。
そして、休みの日には、畑に行って野良仕事。
おかげで、年齢の割には自由に動く体は、なんとかキープ。
そして、採れたての野菜をふんだんに使ったベジタリアン生活のおかげで、体重や血圧、血糖値も徐々にコントロール。
いまのところ、なんとか健康な体も維持できています。
僕のしていた配送業務は、主にリネン関係。
洗濯した寝具や病衣やタオル類を納品して、その不潔品を回収する仕事。
毎日、病院や老人ホーム、介護施設などを訪れて、そこにいる人たちの日常と付き合いながら、仕事をしていました。
そこにいるのは、概ね老人たち。
もちろん、認知症の方もいらっしゃいます。
彼らは、決まった時間に、テーブルにつき、介護ヘルパーさんたちの献身的なサポートで食事。
順番に風呂に入れてもらい、そしてリハビリ。
そんな日本の老人介護の現場を、仕事をしながら日々眺めていました。
少子高齢化の日本。
今後、こういう施設で暮らささせるを得ない、ねたきり介護老人はどんどん増えていきます。
それに対峙するべき介護スタッフはいまだ、他の業界の平均年収よりも100万円も低い。
この低賃金で人手不足。
ねたきり老人になってしまえば、いやでも彼らのお世話にならざるを得ませんから、やはり、これから老境に向かう身として、出来る限りの自助努力。
それをしろと政府には言われたくないですが、少なくとも自分のことは自分でしたいという思いは募りました。
昔付き合っていた女性にこう言われたことがあります。
「私たちには、子供がいないんだから、まともな老後を送ろうと思ったら、1000万円以上の貯金が必要なのよ。大丈夫?」
その貯金が何に必要かといえば、もちろん老人ホームに入るための準備金です。
高級なタイプになれば、2000〜3000万円もザラ。
貯金はいくらあっても多すぎることはないという話です。
しかし、その老人ホームに暮らす老人たちを、仕事で毎日のように眺めながら感じた妙な違和感。
「果たして、あれがまともな老後か。」
そんな疑問です。
ここ10年、時間を作っては、日本全国の田舎へ行って、そこで暮らす農家の人の話を聞いてきました。
静岡の茶畑でも、八ヶ岳の高原農家でも、安曇野のわさび農家でも、その現場には必ず老人がいました。
老人ホームで介護を受けている老人たちと同年齢か、下手をすればもっと上のおじいちゃん、おばあちゃんたち。
中には、90歳だという老人もいました。
「大変だねえ。大丈夫なの。」
そう聞くと、彼らは日焼けしたしわくちゃの顔を上げて、こう言います。
「しょうがねえなあ。息子や娘たちは、東京へ行ってけえってきそうもないし、こんな老人がやるしかなかんべ。」
みんな、ほぼ口を揃えておっしゃるのは、それ。
老人問題、過疎化問題、農業問題。そう言ってしまえば簡単な話かもしれません。
しかし、そう言って笑っている彼らの顔は、少なくとも僕には、都会の老人ホームで、口を開けて食事を待っている老人たちよりは、はるかに幸せそうに見えました。
家族も、貯金もない身なら、死ぬまで働くのも上等。
少なくとも世の中のお荷物になっていくのは心外。
自分の生き方は自分で責任を持つ。
しかし、それなら絶対に田舎へ行って農業。
それしかない。
それは、ここ10年かかってほぼ確信になってきました。
本来であれば、誕生日の3月の予定でしたが、現場の事情で今週まで延期になっていた定年退職。
引き継ぎはつつがなく終了。
平成時代まるまる30年お世話になった会社には感謝しています。
さて、これからはじまる老後。
すべてをリセットして、再びいちからスタートする不安は確かにありますが、いまのところ、そのワクワク感の方がまさっている状態ですね。
悠々自適の老後を送ろうなどという気はサラサラありません。
目指すは、「お金はなくても、幸せな生活」「お金はなくても、食べるものはある生活」
自給自足の、地産地消。
周りにお裾分けはしても、迷惑はかけない一人分の老後。
最近よく見る夢があります。
田舎の古民家の縁側で、朝の畑仕事を終えてお昼寝。
蚊取り線香。
膝の上には猫一匹。
庭には柿の木。
軒には、吊るして乾燥させている干し野菜。
手には、都会の消印のハガキ。
土間には、畑作業で使った鍬や鋤。
そして、頭の横には、読みかけの文庫本一冊。
なんのへんてつもない田舎暮らしのワンシーンですが、いまのところ、これをこれからの人生の目標にします。
とても安上がりにイメージしてみました。
でも、これで上等。身の丈にあわせてあります。
もちろん不安もありますが、少なくともこちらは死ぬまで働こうと申し上げております。
働かないで、遊んで暮らすとはいっていない。
税金だって、きちんと払います。
介護のお世話にも、頼りたくない。
そんな、老後を、これからスタートさせようという老人新入生の人生が、いずれどこかで立ち行かなくなるようになるなら、それはたぶん、日本という国の政治がおかしいはずだと思っています。
応援してくれとは言いませんが、せめて足だけは引っ張らないでほしいもの。
5年後、10年後の政治がどうなっているのかは予想もつきません。
相変わらず、自民党が政権を取っているのか、今破竹の勢いのれいわ新撰組の山本太郎が総理大臣になっているのか。
それはわかりません。
自分の人生が、はたして、描いた理想に近づいていけるのかも、まるで見えません。
いずれにせよ、周囲に極力迷惑はかけないように、細々と生きてまいりますので、暖かく見守っていたたげれば幸い。
ご希望の方には、野菜のお裾分けなどもさせていただきます。
「美味しい」と言っていただければそれだけで百姓冥利というもの。
鍬を握る手にも力が入ろうというものです。
というわけで、とりあえずは自由の身になりました。
本日はこれから3日間、信州の山奥の温泉に行って、頭の中を真っ白にしてくるつもりです。
すべてはそれから。
今頃働いている同僚たちには申し訳ありませんが、頑張ってね。
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