さて、ティンプーの町に別れを告げて、次に向かったのが第一日目でも、お世話になった民家。
ここで、ブータン名物の石焼風呂ドッツォ。
ブータンの国技であるアーチェリー体験。
そして、民族衣装のゴを着せてもらいます。
食事もここ。
それよりも何よりも、またあのお母さんに会えるのが、なんといっても楽しみ。
ティンプーから、パロまでは高速道路が繋がっています。
ちょっと遠いですが、橋の向こうに見えるのが、高速道路の入口。
もちろん、無料です。
しかし、高速道路とはいっても、ご覧のように道路には、牛や馬がウロウロ。
なんとものどかです。
サービスエリアなんてものはありませんが、道路脇では、個人商店があちらこちらでお店を広げていました。
パロに向かう途中で立ち寄ったのが、
タチョガン・ラカンに向かうパロ・チュ(川)にかかる鉄の吊り橋。
この橋を作ったのは、もうブータンではおなじみのチベットの高僧タントン・ギャルポ。
彼はチベットやブータンでたくさんの鉄の橋をつくっています。
橋は一度洪水で流されてしまいましたが、その残骸を集めて再建。
つい去年までは、この橋を観光客も渡ることができたそうですが、今は危険なため通行禁止。
かわりに、となりに橋がかけられ、対岸に行けます。
この橋の塔の上で、キンレイさんとはしばしブータン談義。
日本では、平成天皇が生前退位をされたけれど、それより以前に、すでにブータンでは、第4代国王が、現在の第5代国王に全権を譲渡し、生前退位をしていること。
この第4代国王は、絶対王権を持っていたにもかかわらず、そして国民がそれになんの不満を持っていなかったにもかかわらず、世界の時勢を見据えた上で、自らブータンにも国会を作り、民主主義の国に変えたこと。
GNHのこと。
そして、インドのアッサム派ゲリラとのブータン流の戦い方。
(詳細はこちら)
すべて、我が国の現職総理大臣に聞かせてあげたいことばかりだといったら、キンレイさんはニヤリ。
ブータンの国王が、すべての国民に愛されていることは、この国にいるとヒシヒシと伝わってきますが、我が国の総理大臣は果たしてどうか。
彼を持ち上げるのは、すべて彼に利害を握られたステイク・ホルダーばかり。
でも、そのことを誰よりも一番理解しているのは、実は、物言わぬ我が国の皇室の皆様なのかもしれません。
秋篠宮様の長女眞子様も、2017年には、ブータンを訪れています。
さて、ブータンに来て、最初の日にお世話になった民家に到着。
お母さんたち一家が、暖かく迎えてくれました。
まずは、民族衣装のゴ。
これを着せてもらいました。
ここで、ブータンの民族衣装ゴについて少々説明。
ゴはブータンの男性の正式な民族衣装。
ちなみに、女性の民族衣装はキラといいます。
ゴの着方は日本の着物に似ていると言われますが、どちらかといえばドテラに近い。
あの西郷隆盛の着こなしに似ていますね。
着物との決定的な違いは、着る際はすそを膝上までたくしあげること。
僕は履いていませんが、通常はその下にハイソックスを着用します。
「昔の人は、これで農作業もやってたんですよね?」
そう聞くと、お母さんの娘さんが飛んできて、下に着ていたシャツを脱がせ、右肩を肌けさせて、鍬を持ってというご指導。
これが、ブータンでの農作業時の、正しいゴの着こなしだそうです。
外に出て、そんなことをしているうちに、気がつけば、お父さんを始め、家じゅうの人が、面白がって、みんな出て来て、あちこちでニヤニヤ。
こちらもつい調子に乗ります。
ブータンテイストの顔の僕ですから、この民族衣装を着れば、ほぼ完全なネイティブ・ブータン。
お母さんの娘さんに言われました。
「来年の田植えは、ゴを用意して待っているから、手伝いに来て。」
おお、上等。
さて次は、ブータンの国技である弓道に挑戦。
初日で、説明した通り、実際のブータンでの弓道の試合は、対抗戦。
140m離れて、相手チームと向かい合い、相手の的を狙い合います。
しかし、この民家では、さすがに、その距離は取れないのでショートレンジ。
師匠は、ドライバーのデチェンさんです。
まず始めに、デチェンさんの試技。
いつも、140mの的を狙っているのだったら、このショートレンジなら百発百中だろう。
そう思っていたら、これが意外と当たりません。
そこで、僕がトライ。
明らかに、デチェンさんの矢よりも、的に接近しています。
そして、最後の6発目の矢的。
僕の放った矢は、見事的に的に命中。
本当本当。
マジで、本当の話です。
のちほど、そのシーンは、動画にしてYouTubeにアップしますので確認して下さい。
デチェンさん曰く、
「140mなら、僕の方が上手。」
アタリマエだろ!
アーチェリーで不覚をとったデチェンさん。
今度は、自家製のダーツを出してきました。
的は、アーチェリーと同じもの。
このダーツは、完全お手製で、休みの日は朝から一日かけて作っているのだそうです。
さあ、果たして、デチェンさんのリベンジなるか。
しかし、ゲームを始めると、キンレイさんも加わります。
そのうちに、ドッツォの石焼きをしている娘さんの旦那さんも参加。
いつのまにやら大勢でワイワイ。
誰が一番最初に的に当てるか。
すごいなと思ったのは、ほんのお遊びなのに、みんなが真剣にやってること。
そこに、ゲストの僕がいるからじゃありませんね。
外れれば、本気で悔しがる。
当たりそうになれば、大声を上げる。
こちらも、いやでも盛り上がってきてしまいます。
結局、ダーツで、一番最初に的に当てたのはデチェンさん。
みんな暖かく拍手です。
そして、ブータン名物の石焼き風呂ドッツォ。
ドッツォは、この焼いた石を、こちら側から浴槽に入れ、石に体が触れないように仕切られている部屋側の浴槽にお客さんが入るという仕組み。
もちろん、ブータンの人たちも当たり前に楽しみます。
通常は、川沿いに小屋を作って、河原の石を焼いて入っていたとか。
それが今は、こうやって一般の民家が自前でやるようになってきたとのこと。
もちろん、すべての民家にドッツォがあるわけではありませんが。
お湯に入ると、薬草のようなものが浮いていました。
我が畑にもあるレモングラスだったり、アルテミシアという葉であったりするそうです。
キンレイさんには、ポットに冷たい水を入れて持って行って、飲みながら浸かってと言われました。
お湯に浸かって、もっと熱くして欲しければ、壁をノックします。
「ワンモア・ストーン・プリーズ」
僕が入らせてもらったドッツォは適温だったので、しばしマッタリ。
ポットで水を補給しつつ30分くらい浸かっていましたね。
うーん、極楽極楽。
ドッツォを堪能した後は、パロの水田を渡る風に吹かれながら、しばし夕涼み。
さて、ブータンでの最後の夕食。
この日は、ドッツォを体験しにきた外国人観光客で、メイン食堂がいっぱい。
僕たちは、隣の家族用の食堂で、夕食をいただきました。
ブータンでは、ホテルやレストランの食事も、もちろん美味しかったですが、お母さんの料理は、完全に家庭の味。
これもまた格別です。
この日もガッツリと食べさせていただきました。
ブータンの家庭の食堂にテーブルはありません。壁に沿って、座る場所があるだけ。
よそってきた皿は、みんな床に直置きして、手づかみで食べるという文化です。
すると、お母さんが、僕らの夕食だけ一品追加してくれました。
なんとあの松茸。
お母さんの言っていることを、キンレイさんが通訳してくれました。
「松茸は、今日の全員の分はないから、あなただけ内緒で特別。」
ありがとうございます。
夕食後、iPad をいじって、今日の写真をチェックしていると、子供が興味深そうに寄ってきました。
好きなようにいじらせていると、あれよあれよという間に、いろんな機能を覚えていきます。
とにかく、なんでもかんでも、やたらとタッチしまくるのが子供流。
たちまち、こんな絵を描き上げました。
「Wao! It’s like a ZOMBIE !」
そうなんです。
この6歳の子供が、普通に英語を喋るんですよ。
キンレイさんに、聞いてみました。
「学校の英語の授業は何歳から始まるんですか。」
なんと、6歳からとのこと。
ちょっと待て。
僕は、中学から大学まで英語は勉強したけれど、まるで喋れないのに、ブータンでは、6歳の子供が、勉強を始めてすぐに、もう喋れるのか。
明らかに、僕よりも、6歳の彼の方が英語は上手に喋ります。
キンレイさん曰く、それはテレビの影響が大きいとのこと。
ブータンでは、ゾンガ語の文化が未発達のため、英語圏の放送は、そのままダイレクトに入ってくるらしいんですね。
子供が見るアニメもそう。
インド映画はもちろん、ヒンドゥ語のまま。
日本のように、それに対して、字幕や吹き替えのサービスは一切つきません。
みんな、翻訳しないオリジナルにそのままで触れているわけです。
テレビのニュースも、ゾンガ語と英語の二本立て。
だから言葉の発音もニュアンスもTPOも、そのまま伝わる。
この影響が大きいんですね。
確かに、ブータンの若いガイドたちはみんな、欧米の観光客に対して、なんの遜色もない、流暢な英語を喋ります。
おそらく、ガイドさんだけではない。
ブータンの若者たちは、ほとんどみんなそうなのだと思われます。
ホテルやレストランの女の子たちもみんなそうでした。
ゴやキラの衣装を身にまとった彼らが、母国語のゾンガ語の他に、英語も駆使する姿は、かなりカッコいい。
脱帽です。
要するに、言葉を覚えるにはやはり環境なんですね。
日本でも、欧米の映画やドラマに対して、字幕や吹替を一切やめてしまったら、案外英語が喋れる人がもっと増えているのかもしれません。
因みに、ブータンでインターネットやテレビの放送が始まったのは、ほんの20年前。
1999年のことです。
ですから、それ以前のブータンの人たちは、一部のエリートを除いて、老若男女すべてがゾンガ語だけを使っていたわけです。
それが、たった20年で、みんながバイリンガル。
だからこそ、外国観光客のすべてにガイドをつけるという、ブータン式の観光事業も成立するわけです。
これは凄いことです。
古い伝統を大切にするブータンの人たちですが、実は、新しい文化にもちゃんと対応する能力は持っているんですね。
因みに、若い頃にテレビのなかった、この家のお父さんは、英語はダメな様子でした。
夕食後は、中庭に出て、キンレイさんの通訳で、お母さんと日本談義。
格差問題。
労働問題。
いじめ問題。
日本の人は、ブータンの人よりも、確かに金銭的には豊かかもしれないけれど、みんな「幸福」ではありませんよ。
そんな話をすると、おかあさんは苦笑い。
すると、日本語が聞こえたので、声をかけさせてもらうと、八王子から来たという老夫婦。
聞けば、仕事はやめられ、今は300坪ほどの農地を、一人でやってらっしゃると言います。
これは、今年定年退職をした僕が目指すところ。
しっかりといろいろな話も聞かせてもらいました。
「今晩も、泊まっていきなさい。」
おかあさんは、そう言ってくれましたが、残念ながらここでは、Wi-fiの電波は取れないので、泣く泣くホテルに移動。
お礼に、日本から持ってきた歌舞伎揚煎餅と、手作りの米粉クッキーをプレゼントしてきました。
因みに、ブータン旅行では、旅の予定のアレンジは、結構自由です。
なにせ、滞在中は専属ですので、こちらが希望すれば、ガイドの実力に応じて、かなり柔軟に変更がききます。
これから、ブータンに行かれる人なら、各町の見所は、勉強されてから行った方が、いいと思いますよ。リクエストには、たいてい応えてもらえます。
さて、最後の夜のホテルは、パロの高台にあるマンダラ・リゾート。
キンレイさんたちは、このホテルを取れなかったので、お母さんの家に泊めてもらうとのこと。
さて、Wi-fiの繋がったホテルのロビーで、何をしたか。
実は、お二人のLINEを登録しました。
なんと、ブータンでもLINEが浸透していたのにはビックリ。
これで、今回のツアーで、二人の写っている写真は、すべて送ることができました。
ちなみに、今このレポートは、自宅で書いているのですが、なんとデチェンさんから、LINEでブータンから国際電話が入ってきましたよ。
ビデオ電話で、向こうにはガールフレンドも映っていました。
これLINE電話だから、日本のように無料なんだろうか。
ちょっと、ドキドキです。
さて、お二人を、しっかりと LINE に登録できたところで、内容充実の4日目もつつがなく終了。
ブータン旅行は、完全ガイド密着のパック制なので、ツアー料金は、他の国に比べてどうしても割高になります。
本当なら、定年退職した身で、時間はたっぷりあるので、10日でも、一ヶ月でも滞在したかったのですが、予算の都合で泣く泣く5泊6日の、今回のツアーで折り合いをつけた次第。
でも、実に内容の濃いここまでのブータン滞在。
それもこれも、みんなキンレイさんと、デチェンさんのおかげだと思っています。
日本からたった一人でやってきた親父に、実にきめ細かいサービスと、「幸せ」な時間を提供してくれました。
お二人には感謝感謝。
そのお二人とも、いよいよ明日はお別れ。
去りゆくのが、なんとも名残惜しいブータンです。
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