歌謡曲というジャンルは、終わったのか。続いているのか。
とにかく昭和時代には、映画と並んで、明らかにエンターテイメントの主役だった歌謡曲は、平成時代には、完全に表舞台からは、引き摺り下ろされます。
平成の時代は、ご存知の通り、ロックやポップスが主流。
でも、このところ、個人的には歌謡曲を見直しつつあります
50代になって以降ですね。
なぜか。
ふと気がつくのですが、平成時代には、流行歌の主人公がほとんど若者限定になっていくんですね。
中年や老人は、演歌を聴いていなさいといわんばかり。
いやいや、還暦を迎えても、さすがに演歌だけではちょいと厳しい。
そんなカラオケファンもいます。
そんにシニアたちが、かなり無理して、サザンを歌う場面はよく見かけます。
僕に言わせればせ、大人が、若者ににじり寄っている図です。
「オジサン、こんな歌も歌えるんだよ〜。」
松田聖子をオヤジが歌えば、ほとんどギャグ。
AKB48でも歌おうものなら、ほとんどウケ狙いが透けて見えます。
昔の大人たちが、流行歌を気持ちよさそうに歌っていたのとは、これは明らかに違うノリ。
どうも、音楽業界が、完全にシニアたちを、見捨てている気がしてなりません。
つまり、平成時代の曲には、大人が大人の感性でうたう楽曲がない。
だから、昭和歌謡に探しに行くというわけです。
(先日、東松山レトロポップ食堂のカラオケでーで、若者が堀内孝雄の「愛しき日々」を謳っていましたが、ちょっと意外でした)
僕が最近、聞き直してしているのが、ちあきなおみ。
あの「喝采」を歌った人です。
彼女の曲に「別れたあとで」というのがあります。
♪
「あそびにしよう」と あなたが言った
「そうね」と私も 笑って別れた
それで終った 恋なのに なんで今更 涙が出るの
愛していると わかったことが
遅すぎたのね 別れたあとじゃ
♪
なんとも艶っぽい曲です。
オジさんには、普通にグッとくる。
「フライング・ゲット」では、そうはいきません。
今の音楽業界で、こんな曲を作れるクリエイターっていますかね?
こんな大人の曲を歌いこなせる歌手っていますか?
そんな曲、出しても売れないと言われればそれまでですが。
でも驚くのは、この曲を歌っていた当時のちあきなおみは、なんと23歳。
なんとAKB48の、今の指原莉乃よりも年下だったわけです。
明らかに、音楽業界全体が、若者でだけではなく、もっと広い層の大人にも向いていたということでしょう。
だって、まだまだ若い彼女に、こんな大人の歌を歌わせていたんですから。
ちあきなおみもまた恐るべし。
還暦になってみて、しみじみと思います。
昭和歌謡に大人の歌を探しに行くのではなく、今年流行の「演歌ではない」大人の楽曲を歌いたいもの。
演歌が悪いとはいいませんが、流石にこれだけでは厳しい。
記憶を辿れば、1981年の寺尾聡の「ルビーの指環」が「大人の歌謡曲」の最後かな。
日本の政治は、無関心な若者をいいことに、完全にシニアだけにむかって、ゴマをすりすり。
若者たちは、完全に無視されています。
そりゃ、無関心なのが悪いと言われれば、その通り。
同様に、日本の音楽業界は、懐メロと演歌にうつつを抜かしているシニアは無視して、純粋に音楽に金を使ってくれる若者の顔色を伺っています。
こちらの方は、シニアたちが、完全に蚊帳の外。
シニアの皆様。
いつまでも、後生大事に、古き良き昭和時代のレコードを大事に抱えていないで、ダウンロードや、サブスクリプションにも、ちゃんとついていかないと。
ちょっとでも大人の感性を揺さぶる楽曲を見つけて、そして、それにお金を払わないと。
少なくとも、大人が音楽にお金を払って楽しむようにならなければ、文化はかわりません。
でも待てよ。
もう、老人近くになれば、感性の劣化で、いくら、大人の良曲ができても、その新しい音楽を覚えられない可能性も大。
たしかに、昔聞いた昭和歌謡は、今でもまだ覚えていてちゃんと歌えても、最近の曲は、どんなヒット曲でも、覚えるつもりで繰り返し聞かないと頭には入りません。
ということは、昔の若者たちが、今の若者たちに比べて、老けていたということか。
あらら。
なんだか、ちょっと、収拾がつかなくなってきました。
とにかく、昔聞いた昭和歌謡を、今この年齢になって、改めて再評価しているというのは現実です。
それは、昭和歌謡の魅力なのか。
新しい音楽を受け付けなくなった、僕自身の感性の劣化なのか。
ふむ、これは、昭和歌謡を、実際に歌って、肌で感じるしかあるまい。
なんで、いま昭和歌謡を歌うことが、こんなに心地いいのか。
そんなわけで、前置きが長くなりましたが、
胸に染み入る「大人の昭和歌謡」をたっぷり歌ってみましたので、どうぞ。
(ここまで言うなら、我々も令和の新曲も、ちゃんと聞かねばなるまい)
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