「午前十時の映画祭」で上映されている「アラビアのロレンス」を見てきました。
定年退職をしたら、このイベントの作品は、もっとたくさん見ようと思っていたのですが、モタモタしているうちに、この映画祭もあと3カ月で終わりとのこと。
前回見たのは、スタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」。
しかし、自前のDVDの整理を終えてみると、ああ、あれも持ってる、これも持ってるということでムクムクと貧乏根性がもたげます。
いやいや、この作品なら、うちの50インチ液晶でも十分。
映画館に行くなら、大スクリーンで見るのにふさわしい作品に限定しよう。
そう決めて上映スケジュールを気にしていたら、ついにこの映画がやってきました。
「アラビアのロレンス」1962年製作。アカデミー賞7部門受賞。
これなら、文句なく大スクリーンでしょう。
もちろん、学生時代には、何度目かのリバイバル公開は見ています。
見た当時は、この映画の時代背景も、うんちくも全くない状態で見ています。
憶えていたのは、やはりあの有名な前半のクライマックス。
ロレンス率いるアラブ軍が、難攻不落の要塞アカバを、背後から奇襲するシーン。
突撃するらくだ部隊がアカバの街に攻め入っていくシーンを、丘の上からカメラがパンしながら追います。
パンする先には、アカバ湾が広がり、その海に向けられていた大砲が空しく大写しになる。
たった、ひとつのパンで、アラブ軍のアカバ陥落と、長い砂漠の行軍の終焉を見事にビジュアル化したカットは見事でした。
撮影は、フレディ・ヤングとニコラス・ローグ。
このシーンだけでなく、舞台となった砂漠の描いたカメラワークが、まさに大スクリーン仕様。
人物の背景に、砂漠があるのではなく、砂漠の中に人間の動く風景があるというような描き方。
特に印象的なのは、アリの登場シーン。
砂漠の遠い地平の小さな点が、次第に近づいてくるという超望遠の撮影。
このシーンの撮影のためにだけ、482ミリのレンズがつくられたと、最近読んだ映画トリビアの本に書いてありました。
巨大な岩山、荒々 しい岩肌、砂が一面に続く砂漠、 井戸、オアシス、砂地獄などの砂漠の大自然を、ドラマチックに切り取る撮影。
もちろんその映像を盛り上げていたのは、モーリス・ジャールの音楽。
カメラ担当のニコラス・ローグは、後に監督になっていますが、一本憶えているのは、「美しき冒険旅行」
ジェニー・アガター演じる少女の冒険旅行の舞台は、オーストラリアの砂漠でしたね。
もう一つ憶えていたのは、トルコ軍に捕らえられたロレンスが、拷問を受けるシークエンス。
エロい目の、ホセ・フェラー演じる看守が、ロレンスの上着をはぎ取るシーン。
もちろん、ピーター・オトゥールは男性なのですが、これが妙に艶っぽかった。
ロレンスは台に押さえつけられ、鞭うたれることになるのですが、彼を押さえつけているトルコ兵が、彼の表情を見て不思議そうな顔をするカットがあります。
もちろんあの当時も、直接的なシーンはないまでも、ロレンスは、あの看守に、レイプされちゃったなというところまでは、なんとなくわかる演出になっていました。
しかし今回改めて見直してみると、デビッド・リーン監督が、あのシーンの演出に仕掛けた「裏の意味」はもうちょっと際どいということが判明。
鞭うたれた彼は、実はそのときに屈辱感と同時に、快感も感じてしまっていた。
そして、おそらくは、レイプされたときにも・・
もちろん映画のカットとしては映されていませんでしたが、あのトルコ兵の前で、ロレンスは苦痛を感じながらも、エクスタシーの表情を浮かべていたのではないか。
もちろんこれは想像。
そうであれば、あの不思議そうな表情の意味は分かります。
彼は、あの拷問で、屈辱を受けながら、計らずも、自分がマゾであると同時に、ゲイであることにも気づかされてしまった。
今でこそ、男性同士のラブシーンは珍しくないですが、ヘイズコートでガチガチに縛られていた1962年当時のハリウッドで、そこに、確信犯的に切り込んだ映画は皆無。
それを、この超大作映画は、それとはハッキリわからないように演出しつつも、しかし見る人が見ればわかるように、ホモセクシュアルのテイストを隠し味として仕込んでいた。
これは実際に彼の残した手記で告白されていたことだそうです。
デビッド・リーン監督は、これを当時のギリギリの表現方法を用いて、きちんと演出していたんですね。やはりタダモノではないというべきでしょう。
それがわかってしまうと、その事件の後、アラビアから帰還してイギリス軍の仲間の前に現れたロレンスが、かなり異様なおネエ喋りとおネエ歩きになっているのが、今度ははっきりとわかります。
これも前回はまったく気が付かなかったこと。
作る側は、完全に意識して演出していたわけです。
なるほど、いい映画というのは、何回見ても新しい発見ができるように作られているというわけ。
確か、この映画は、中学の時の学校推薦の映画に指定されていましたよ。
果たして、あの当時の先生方は、この映画に隠されていた裏テーマをはたしてご存じだったか。
これから、あの映画を見られるという方、是非そのあたりはしっかりチェックしてみてください。
あの有名な、マッチのシーンも印象的でした。
ロレンスが、マッチの火を吹き消すと、場面が砂漠の真っ赤な夕日に切り替わるジャンプ・ショット。
ジャンプ・ショットは、ヌーベルバーグのジャン・リュック・ゴダール監督がよく用いていた編集技法。
この映画にはいろいろな場面変換で積極的にこの手法が取り入れられていました。
3時間47分のな長尺となるこの映画。
前半は、アカバ攻略をクライマックスに、ロレンスの英雄譚が語られていきますが、後半は同じ時間をたっぷりかけて、そのヒーロー像が、徐々に崩壊していく過程もじっくり描いていきます。
もちろん、時代と大国のエゴに翻弄された彼の悲劇も浮き彫りにされます。
アラブの英雄として祭り上げられた彼が、次第にアラブの民たちの裏切り者にされていく残酷さ。
彼はゆっくりと確実に壊れていきます。
前半、隊から遅れた兵士を、自分の命も顧みずに救いに戻ったロレンス。
そして、軍の規律を破ったその男を、苦悩の表情でみんなの前で射殺したロレンス。
自分と行動を共にした少年兵を、砂地獄から救えずに苦悶したロレンス。
そして、信管の破裂でラクダに乗れない体になった少年兵を、敵につかまる前にやむなく射殺したロレンス。
そのロレンスが、第二部のトルコ軍との銃撃戦では、相手軍の兵士を射殺するたびに、快感と狂気の笑みを浮かべる異様なキャラになっていきます。
アリからプレゼントされた、アラブの民族衣装は、この銃撃戦の鮮血で真赤に汚れていきます。
そして、最後はアラブを追われるロレンス。
軍の用意したロールスロイスで、送られるロレンスは、もう自分の行き先さえ、見失っていました。
そのラストで、ロレンスたちの乗る車を、バイクが追い抜いていくところで映画は終わります。
あのバイクの意味するものは・・
ちなみにバイクは映画の冒頭でも登場。
そのバイク事故で死んだロレンスの葬儀に参列した弔問客がインタビューされます。
「ロレンスさんんは、どういう人でしたか?」
「よく、わからないんだよ。」
参列者はこう答えます。
つまり、実在の人物T.E.ロレンスは、インディ・ジョーズや、ジェームズ・ボンドのような、とても分かりやすいヒーローなどではなく、ミステリアスで、ヒーローチックで、デリケートで、ホモセクシュアルで、マゾヒスディックな人物。
こんな複雑な人物像を、この当時新人だったピーター・オトゥールが、よく体現していました。
これで、アカデミー賞主演男優賞を取れなかったのが不思議なくらい。
のちに彼は、自分がゲイであることをカミング・アウトしています。
当初ロレンスの役は、「いつも二人で」などのアルバート・フィニーに内定しかかっており、カメラ・テストまで済んでいたとのこと。
しかし、彼は長期間の拘束を嫌って、結局、このオファーを断わります。
その後で、名前が挙がったスターは、マーロン・ブランドやアンソニー・パーキンス。
しかし全く無名の新人ピーター・オトゥールを、リーン監督に推したのは、「旅情」で監督の作品に出演したキャサリン・ヘップバーン。
身長が165㎝足らずだったロレンスを演じるのに、いくらなんでも、身長が190㎝近いピーター・オトゥールでは背が高すぎるだろうということになったそうですが、結局この役は、ピーター・オトゥールがゲット。
これは正解でした。
アラブ軍のリーダーを演じたのは、これも当時新人だったエジプト系のオマー・シャリフ。
この映画で人気に火が付いた彼は、1966年には同じデビット・リーン監督の「ドクトル・ジバゴ」では、主演を堂々と演じています。
ベドウィン族の首長を演じたのは。アンソニー・クイン。
あのフェリーニの名作「道」の大道芸人役で、胸板で鎖をちぎっていたヒト。
ファイサル王子を演じたのは、名優アレック・ギネス。
ご存じスター・ウォーズの、オビワン・ケノビです。
イギリス軍のドライデン顧問を演じたのは、クロード・レインズ。
あの名作「カサブランカ」のラストで、ハンフリー・ボガードと一緒に、友情の花を咲かせて歩いて行った警察署長がこの人。
新人二人を、きちんと英米の名優たちが、脇を支えていたのがこの映画。
後半に登場するアメリカの新聞記者ベントリーに扮したのがアーサー・ケネディ。
実際に、このロレンスの英雄譚をスクープして、アメリカでこれを第一次世界大戦のヒーローに祭り上げた新聞記者がいたんですね。
これですっかりと人気者になったロレンス。
彼の著書「知恵の七柱」は映画化権を何度も打診されましたが、ロレンスは固辞。
やはり、結果的にアラブの民族を裏切ったということは、彼自身の大きなトラウマになったようです。
その贖罪のためか、彼はその後、名前を変えて、一兵卒として再びイギリス軍に再入隊したりしています。
そうそう、前半で、ラクダから落ちるイギリス軍の兵士役で、「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」で、ビートルズのロードマネージャー役をやっていたノーノン・ロッシントンを発見。ビートルズ・ファンとしてはニヤリ。
ちなみに、監督のデビット・リーンがカメオ出演しているシーンがあります。
映画第一部の終盤、ロレンスが、シナイ半島を歩いて横断してたどり着いたスエズ運河。
その対岸にいたオートバイに乗った兵士。
ゴーグルで顔は全然わかりませんが、その兵士がリーン監督だそうです。
ちゃんとセリフもありました。
対岸から、監督がロレンスに向かって叫ぶセリフは、「Who are you ?」
今では考えられないような予算を湯水のように投入したこの作品。
とにかく何もかもがホンモノ。
爆破される列車もホンモノなら、砂漠の中に作った町もホンモノ。
アラブ軍を襲うトルコ軍の複葉機もホンモノ。
広大な砂漠の中に点のように映る一人一人の人間も、行軍するラクダもみんなホンモノ。
一切ごまかしのない迫力は、CG処理を見慣れた目には、強烈でした。
今回上映されたのは、スティーブン・スピルバーグが中心となって、デビット・リーン監督の製作意図に沿って、忠実に修復及び追加収録まで行われた完全版。
公開当時よりも、20分も尺の長いバージョンでした。
それ以前のバージョンはネガの現像ミスで「裏焼き」のまま残っていたカットもあったらしいのですが、当然そんなことは当時も気づいておらず。
インター・ミッションもはいった4時間近い大作をしっかりと堪能しました。
「アラビアのロレンス」は、洋画のベストテン企画があれば、今でも必ずといっていいほど、ベスト3にはランクインしてくる映画。
それくらいの名作中の名作ということになれば、今回のように再見しても、通常の新作映画以上に楽しめるということは明白です。
残りの人生で一体、何本の映画が見れるのかわかりませんが、やはり映画館に行って新作を楽しんで時代の流れを感じるか。
それとも、過去の名作を見直して、その魅力をあらためて確認するか。(DVDは、およそ4000タイトル保有)
この選択は、ちょっと悩ましいところ。
「午前十時の映画祭」では、残りのラインナップに、「七人の侍」「大脱走」などが控えています。
これは、忘れずに見に行くことにします。
最後に一つ。
ロレンス本人の、Wiki を読んでいたら、僕との共通点が一つだけありました。
彼は、生涯独身で晩年は一人暮らしをしていたのですが、食事をするときは、いつもピクニック用の紙皿を使用していたらしいんですね。
理由は、後片付けの時間の節約だったとか。
はい、これは僕と一緒。
ロレンスは、バイクの事故で亡くなりましたが、気をつけたいと思います。
コメント